欲望

いつだって誰かが教えてくれた、知らない、きっと、素敵な名前の人々。知らない名前に触れるたびに、単純にワクワクしていた、のは五年以上前の話。下痢気味、供給過多の洪水の中にいた。知りえないと言う幸福。今だって大して代わりはないはずだが、遊んでは暮らしていけないのだから、そうもいってられない。

 うだるような暑さで、家の中で扇風機とにらめっこをして、喉を痛め、むき出しの背骨を向け、布団の上で丸くなる。面接の結果が明日か、あさってか、しあさってに出る、けれど、合否のどちらにしても、このうだるような環境は変わらないだろう、と思うと、少しおかしい、といつまで思えるのだろうか?大きくなったらロックマン錬金術師かマゾヒストになりたい。

 山形の本で触れていたからソウル・アサイラムのCDを借りて、聞いた。

 今までは貪るように、少しでも気になるCDがあったら片っ端から聞いていた。でも、かなり久しぶりだった。こんな風に貪ろうとすること。音楽に限らず、欲望が薄れているのを、なりふり構わず貪ろうとする姿勢がなくなったことを。

 ソウル・アサイラムのCDは、少し古臭い(っていっても発売は十年以上前)軽快少し陰気ロックだった。俺が好きで、苦手な奴だ。彼らの若さに、ひるんでしまう、そういった類の音楽だ。

 しかも、Sで始まるアーティスト。個人的に、Sで始まるアーティストには軽い思い入れやら感傷的にさせるものがあるのが多いのだ例えば、
sade,
saint etienne,
scritti politi,
the sea and cake,
serge gainsbourg,
sex pistols,
sheryl crow,
sigur ros,
smashing pumpkins,
soft machine,
sonic youth,
spank happy,
stan getz&joao gilberto,
stereo lab,
strawberry switchblade,
the strokes あまり詳しくないのも中にはあるし、「S」に限った話でもないかもしれない、でも、俺が中古CD漁りをしていた時に、いつも「S」で探す頻度が高いなあ、と頭の片隅で感じていた。

 感傷的な気分を引きずったまま、というよりも、最近は沼と感傷の雨の間をいったりきたりしていて、久しぶりに、レディオヘッドを聞いた。レディオヘッドは大学の時に凄くはまっていた。それこそCDはほとんどもっていた、けれど、或る日突然覚めた。多分ヘイルトゥーザシーフ(売ってしまった)の頃。引越しと金欠の時に大分売り払った、けれどオーケーコンピューターは売れなかったし、聞けなかった。青臭く美しいこのアルバムは、俺の青臭さから、触れられずに捨てられずに長いこと部屋の隅で積まれたままになっていた。

 きっと夏のせいではない、気だるい、終わらない季節の中で、これから生きたり死んだりするんだろう、と、ふと、彼らのCDを数年ぶりに視聴した。青臭く美しかった。欲望が少し、もどったような錯覚をした。これからも、錯覚をするためにも、吐き気や健康のために、新しい音楽を部屋に鳴らさなければ、と。