君は太陽を何と呼ぶ?

 高校生の時に一番好きだった作家、は日本ならば川端康成で、外国だったら、アルベール・カミュだった。川端と違ってそんなに刊行数がなかったカミュの本は高校時代にほとんど読み散らしてしまった。敬愛する作家の本を読み尽くす幸福よりも、未読の作品がある幸福の方がはるかに大きい、しかし、抗えない程魅力的なのだから、仕方が無い。そんな中で、『カミュの手帖』という二冊の本、一巻が『太陽の讃歌』二巻が『反抗の論理』というのだが、俺はその二巻だけを古本屋で偶然見つけ、その後一巻を古本屋で見つけたら購入しよう、と思いながら、数回の引越しでそれを無くし、結局七、八年後に図書館で借りることになった。

 あまりにも好きだったから、折に触れて読み返す機会はあったけれど、弱っている時に読むのは耐えられない、とずっと避けていたのだが、ふと、気分がましになり、一、二巻とも借りて読んだ。何だかその日は一日中ホワイト・ストライプスを聞いていた。ジャックが「鼠の臭いがするぜ!」と叫ぶ。メグがバカスカドラムを叩く。クールクールクール。二冊の本、記憶によって美化された、あまりにも美しい世界があったわけではなかったけれど、彼の文章は美しかった。彼の文章は美しかった。

「反抗。自由とは嘘をつかぬ権利のことだ(下位の、また上位の)。社会的次元についての真実と、道徳的次元についての真実」


「ぼくは、自分が無垢だという観念をいだいて青春を生きた。というのは、まったく観念など抱かずにということだ」


「ジッドと夕食を共にする。このまま作家として続けるべきか否かを尋ねる若い作家達の手紙に話が及ぶ。ジッドはこう答えた『なんだって?君は書くのをやめたり、ためらうことができるんですか?』」


ミストラル(ミディに吹く季節風の北風)が空を荒れ狂い、海のように青く輝くその新しい皮膜まで剥ぎ取ってしまった。いたるところで小鳥の歌声が、歓喜と陽気な不協和音と限りない法悦を力強く爆発させる。昼の光が流れ、さらさらと輝く」


 中でも今の俺の気分にあっていたのが、「あらゆる知性に共通の誘惑、つまりシニシズム」という一文だった。シニカルは幸福や優位の為の方法だ。それよりももっと、ぐちゃぐちゃした、吐き気のする現実の方が、キュートだ。

 何をしてもいいんだって、感じた、少し気が楽になった。迷惑を掛ける心配よりも、自分の意志の方がずっと肝要だと、気づいているはずだったけれど。当分迷惑をかける予定はないのだが、とりあえず、何だか、どうなったってどうにかなるかもしれない。今二年ぶり位にストロークスのファースト、セカンドを聞いてる。60’っぽい感じでキュート。今、チョコボの不思議なダンジョンやってる。DSのシレンにつかれた。モーグリと旅ができるなんて超うらやましい。俺、大きくなったらチョコボになって、モーグリと旅にでます脳内でキュート。