一年後の花や星

これから先も、今のバイト先で続けられる気はしないのだが、初日で辞めなかったので、もう少し続けよう、続けたい、と思っている、にしても、沼から足を上げたと思ったらまた新しい沼に足を突っ込んでいることに気づいてしまった。沼天国。

 こんなんじゃ駄目だと思い、二十万程度かかるから散々決断を渋っていた、図書館司書の資格を取ろう、と思って資料請求をした。場所によっては半年でとれるらしいのだ。半年の我慢。それで新しい職につけるなら頑張れるような気がする。

 届いた資料に目を通し、ホームページを良く見ると、半年、ではなく申請が通るのは結局一年後、とのことだった。一年先? 気が抜けた。

 この先のことについて、というか、日常をいかにないがしろにしていたか、ということを浮草生活の折々で痛感していたけれど、少し調子が良くなって、人と会ったり無駄な物を買ったりしていると、俺もまだまだ平気なんだな、とあたりまえのことに気づくのだ。しかしながら、最短一年、以上もこの状態でいられる気がしない。職がない時とは別の沼にはまって。

 俺が望む「おしごと」なんて、俺にとって都合が良すぎるもので、この世には「ほぼ」ないんだなあ、と身に染みたのだ。それでも働く、ということに対して動機付けが出来る人は、幸福を愛することのできる人だと思う。

 渋谷に「こち亀」のTV宣伝の看板が十個以上あった。なんでだ。キリスト&マリアTシャツと細い紺と銀のストライプシャツを買った。金ないのになんで?安かったからです、なあるほど!じゃねーよ、けど、数千円程度の好きなものを買えない生活なんて、何年も続けているとガタがくる、けど、俺は長い時間働いて「社会的」に「人間的」に働いているとガタがくる。うまく付き合っていこう、としているけれど、もう、「うまく」はいかないのは分かっている。

 一年。それでやっとまた応募ができる状態になる。十万程度と時間を使って、「まあ、ましかも」しれない道へと進もうとしていること。人にとっては一年しか、或いはたかがバイトで、といった問題だと思うが、俺にとってはそうではない。アスファルトの地面にチョークで白い綱を書いて、その上をおそるおそる歩いているような日々。Tシャツのキリストは俺を救ってくれないけれど、その無様で美しい姿は、ささやかな幸福を与えてくれる。こういうのを拾い集めて、綱を作るしか、ないような気がする。例えば。

 何かある度に、胸に星の小さなタトゥーを入れて(男なら星女なら花のタトゥーは、誰にだって似合う、と思う)、それが七個になったら自殺しよう、と考えたら、何だかわくわくした。明日への希望が生まれた(は?)。七個タトゥー入れる現金今はないし! てかタトゥー自体俺一個もないし! (やりすぎる性格なので、まったくないかやりまくりがいいっす)てか、この設定自体が痛すぎるし! でもこんな設定のゲームでないかなー(でねーよ)やりたいなー。

 自作好き、としては自分で入れられればなーと思ったけれど、(カッターで切って墨汁入れるんだって!)当然出来上がりが悲惨なことになるらしい。彫り師の友達が欲しいな、ていうか彫り師のアルバイトしたいなーいろんな意味で俺にはできないけど。

 でも、身体に星々、ってのは素敵なことだ。数時間は、俺、いい気分になれた。毎日星や花のことを忘れることができたら、きっと毎日俺は幸福になれるだろう。 瞳を閉じて、俺みたいにアバラが浮いたキリスト君も、そう思うだろ?