クロスでプッチでキングスライムで便所サンダルで

 髪が伸びてきてくれて嬉しい。っていっても、長い後頭部は肩にかかるが、短い頬の周りはあごにかかる位。頬の周りの髪が早く、十字に入れた胸のタトゥーまで伸びて欲しいなと思う。

 もしそうしたら、海水浴に行きたいな。海水パンツはエミリオ・プッチ(あるんです。持ってないけど)のサイケ柄で、スクエニショップで売っていた、キングスライムのビーチボールを持って(あるんです。持ってないけど)、足元は100円ショップで売ってる便所サンダルのしかも茶色、ワンサイズ下のを無理やり履いて(てか、俺、足のサイズ29センチなので、靴選びは困る)。

 でも、そんな恰好してたらちょーっとだけ「アレ」かなー。避けられるのはいいけど、迷惑掛けるのは嫌だなー。個人的にはマジで、やってみたいてか、いいと思うけどね! でも、今冬ですけど。それに、海なんて、海水浴目的でなんて、十年以上行ってねーよ!!!

 でも、たまに訪れる、海辺のあの強い風も、あの匂いも、すごく好きだ。

 音楽をituneに入れまくっていたら、購入して半月しか経ってないのに、4GBも喰っておりまして、ちょこっとあせった。アルバム全部っ込みとかしてないのに、いったい何枚のCDを消費したんだ?

 てか単純計算すると、このままじゃ一年ちょっとしか持たないよ!! 現時点では160GBが一番容量の大きいのだと思うし、逆にあんまり大きすぎても、今度はPCを買い変えなきゃいけなくなる。無間地獄!(は?)

 でも、本が読めない分、何かを消費しておきたかった。それに、やっぱ、色んな音楽を積極的に聞くようになって、広がる、感じることもやっぱあるんだ。

 16だか17だかの時は、漠然と、この世の「主要な本」はあらかた読もう、読んでいる人と友達になりたいな、と思っていた。でも、ほどなくして、そんなの俺でなくても無理だし(俺が知的だと思っている著名な文筆家でも!)、そんな必要なんてないんだって分かった。

 でもさ、やっぱ、何か一つ知ると、そこから連鎖反応的に起こる疑問やらわくわくやら、への招待をしてくれる本やら音楽やら芸術やら、を消費し続けていくことは、何よりの幸福だった。冒険している感覚だった。

 でも、今は本が読めない。

 だけれども、こんな「日記」なんかではなくて、もう少しましな「小説」を、ちょこちょこではあるが書きすすめられているのが、思考を、或る程度の秩序で導けていることが、俺にとってかなりの精神安定と言うか、幸福につながっている。 

 (本に限定はしないが、やはり「本」が文章量においては圧倒的すぎる。当たり前の事ですが)文章を読むこと、書く事。そして考えることで、どうにか、俺は冒険しているような、暮らしていけているような、そんな気がしている。

 ほんの少しだけだけれど、いい機会だとも思っている。何でもやり過ぎ大好きの俺は、本を(一時期)「読み過ぎていた」かもしれなかったから。

 でも、読みたい、読まなければいけない本のリストがあり過ぎて困る。だってさ、そういった類の読書って、好きな友達の熱心な話に向き合うってことでもあるんだ。

 だけれど、そればっかしていると、その「熱心な言葉」を解読、翻訳する作業へ意識が向いてしまう。その作業も、とてもスリリングで楽しい物だが、今自分はそれを、したいのか? と思うと、やはり、「違う」と思う。色々とふわふわくらくらしている今だからこそ、互いの要素が作用しあう、という意味において堅牢な秩序で、言葉の群れを導き、「見られる」形にしなくてはならない。そう思っている。

 今の状態は色々とアレな感じだけれど、でも、冒険している感はけっこうある。ていうか、この年でやっとそれを引き受けたんだ。

 高校の頃、ランボーも未だ読んでいない時に「自分の体は自分のものではない、自分とは一人の他者」なのだと、登校途中に、そうひらめいた。それは俺とランボーとの類似も早熟も意味しない。大体同じ言葉でも、文脈が違うだろう。俺の場合、ただ、世界との親和性が低いって、それだけのことだ。

 だけど、もうちょっと冒険しようぜって、「頭の中の一番親しい友人」に言う。リチウム、カートみたく、って、今聞いてるのシネボサのコンピレーションですけどね! モンド色が強くて中々いい感じ、だけど、こういうのっていいのを見つけても、一度きりの参加とか、ituneに入れて、検索するときめんどいとか色々あって買い渋っていたけど、やっぱ聞くといいね。
こういうCDのジャケットも、大抵60’な感じで、クールでいい。

 あと、佐々木敦が短い推薦文を寄せていたnq [recording syntax]ってのを中古で、ちょこっと値段したけど佐々木が書いていたから買ったんだけど、マジ、すげーよかった。スゲー綺麗でクールなエレクトロ。

 文筆家としての佐々木敦は、真面目な方(これだけで十分素敵なことだ)だとは分かるものの、ちょこっと「どうかなあ」と思う点もある、けど、この人が推薦したりライナーノーツを書いているアーティストにマジで外れなし! てか、ジョン・マッケンタイアとその仲間たちを中心に書いているだろう(つまり俺が好みのCDを買うと、自動的に彼の言葉もついてくる)し、俺、音楽雑誌読まないので、彼と「一部の趣味が超合う」だけなんだけどね。

 でもさ、一部でも、趣味が超合うって、嬉しくないか? 素敵な音楽を、的確な言葉で表しているのを目にすることが出来るなんてさ。

 でも、問題はこの人の他のアルバムが、ディスコグラフィーはあるのに、アマゾン先生はおろか、他の量販店の通販ページにもないこと。どういうこと? 一応作者のホームページから他のアルバムのダウンロード販売はされているようだが、全曲捨て曲なしのアーティストのをダウンロード販売なんて、嫌だ。多分見つからないだろうが、地道に、中古で探そうと思う。いつか、また出会えたら。

 それに、恐ろしいことに、他にもヤバイ奴らたくさんいるし。

 それって、やっぱ、幸福なことだろ?