さいしゅーけーのそーのさきもーみんなみんなみんなうそだ

予想はしていたのだけれどやはり仕事先が見つからずに落ちまくり、少し落ちていたのだけれど、仕事にはつながらない資格には合格したことを知り、多少は気分が楽になった。それにも落ちていたらさらに金がかかるところだったのだ。

 元々これからの仕事につなげるために受講したのだけれど、それが役に立たなくても不思議と後悔はなかった。将来取っておけばおかったと後悔するくらいなら、早めに無駄遣いをしていてもいいだろう。と。

 朝からずっとアジカンばかり聞いていた。思えば三年近く前、大学出たてで求職中も、当時ブレイク真っ最中の彼らの音楽を聴いていた。彼らの音楽はメロディーがあまりにもキャッチーで、それは人に嫌悪や快感を与える。俺と同じように洋楽邦楽問わずに聞く友人、ナンバガスーパーカーゆら帝はオッケーな友人が、苦い顔をして「え、アジカンはなしでしょ」と口にした、その台詞をはっきりと覚えている。面倒な当然なことだが、好きなものが増える分嫌悪するものも増え、なるべく多くの物に自然に触れられたら、なんて都合がいいことだけれど、音楽について俺は消費するだけで、楽しみたいと思っているのだけれど、「アジカンなしでしょ」と言った友人にあいまいな返事をした記憶がある。好きだけど。いや、かなり?、とても?それなりに?いや、お気に入りの一つのはずなのに、それを口に出すにはどこかひっかかる、ような。

 単に普段そこまで聞いていないからかもしれないのだが、アジカンを聞くと現実世界をどうこうしようかな、って気分になる、ような気がする。ゆら帝とかTHEピーズを聞くと働きたくなくなるし、スーパーカーとかコレクターズは一人で聞きたくないし、スネオヘアーとかフジファブリックとかプレイグスを聞くと切なくなるし、くるりを聞くと岸田の今後が心配になるし(自分の心配しろよ)、ハイスタやラッドやバンプはアルコールが入った時に口ずさみたい感じだし、great3は動きたくなってしまうからなるべくなら移動中に聞きたいし、イースタン・ユースやミッシェルは友達にカラオケで友達に歌って欲しいしえーと何の話だっけ、そう、椎名林檎について俺が抱いている感情と、アジカンについて抱いている感情は似ている。以前彼女の『ギブス』の歌詞で、

「だって カート(コバーン)みたいだから あたしが コートニー(ラヴ)じゃない don't you think?」 の部分を

「だって カート(コバーンを連想しなかった)みたいだから、 あたしが コート(外套)にいいじゃない」

 だと思っていて、勘違いしているくせにこれはメロウで激しい曲に合っていてとてもいい歌詞だ、と思っていた。正式な歌詞でも勿論いのだけれど、痩せぎすの人に「コートにいいでしょ?」とか言われるとぐっときますね。そんな機会訪れませんが。

 アジカンも歌詞の間違いをしていて『ループ&ループ』の
「最終形のその先を 担う 担う 担う世代(この歌詞間違えてたらどうしよう)」を

「最終形のその先も みんな みんな みんな嘘だ」

 だと勘違いしていて、なんて胸キュンな歌詞なんだ、とポップすぎるバンドミュージックと(勘違い歌詞が)合わさって、ドキがむねむねしたことを覚えている。この勘違いを入れなくても、青臭いまま、と言うには何かが違うと感じるおそらく友達になったらすごくいい人っぽい後藤さんの歌詞はすごく好きだ。いろんな外野の声に「うるせぇよ」と言っている(ような気がする)彼らの音楽。

 音楽を聴いて、これからのことを考えていかなくっちゃ。