けだものよ、一時の安らぎを、鎮痛剤を幻覚剤を。

かき終えた小説を見直し、応募する。俺は色々と雑なので、読み返すたびに細かい間違いに気付く。というか、大なり小なり差はあってもプロアマ問わずそうらしいんだけども。

 小説を書き終えてほんの少しだけほっとしても、それが俺に何かの余裕をもたらしてはくれないのだ。でも、俺は書く位しか楽しみがないのだ。だから書き続けなければ。

 とは思っていても、思うように書ける日の方がはるかに少なく、毎日のように書かなければとかどうかこうか等と思いながら、いらいらそわそわ

 疲れたまま、銀座で映画『ワイルドライフ』を見る。森で暮らしていた家族だが、母親が生活に嫌気が差し、子供を連れて実家に戻る。その後親権は母親へ。母親は1週間の約束で、父親に二人の息子を預けることになるが、そこから親子の逃避行が始まる。登場人物を画面中央に配し寄りのカメラで写す、という構図が続き、

見ていてとても疲れるし、辛い。幸福なひとときよりもずっと、トラブルが多いのだ。親子で罵り合い、逃避行では様々な人とも問題が起きる。ラストシーンでは泣いてしまった。人物の表情をずっとうつし続けていたから。争いばかりなのに、争いたくないのだ。でも、どうしようもないのだ。それが伝わる。

前半で、子供を奪われたエゴイスティックな父親が、妻の実家の前で大声で子供を呼ぶシーンがある。父について行くことになった男の子が放浪生活の中で十年たち、窮屈な生活から親に反抗する。

 彼はガールフレンドになった街のお嬢さんに、放浪生活での重ねた嘘から、不審に思われてふられてしまう。その時に、反抗していた父の様に、恋人の家に忍び込み、同じように大声で名前を呼ぶのだ。

 何度も、彼らは家族で罵り合い、名前を呼び合う。とても辛い。映画の手法としては、正直一発アイデア勝負的な見づらさ(ほとんどずっと寄りの画面ばかりなのだ)があるので、映画として「美しい」とか「高得点」、とは思わないのだが、それでも俺はこの映画がとても心に残ったのだ。好きなんだ。閉塞感不安感を感じたのだ。そして、交差するぶつかり合う愛情を。

見ていて、今の自分の様々な嫌なこと心配ごとを思い出してしまった。俺の生活も一時の幸福を鎮静剤にしている、逃避行のようなものだ。ずっと、逃げ続ける人生。

見た後すぐ、同じエルメスで『ベゾアール(結石)』シャルロット・デュマ展見る。結石は、動物の身体に形成される凝固物。まんまるで白いそれを、人はお守りにしたり、神秘を見いだす。北海道から沖縄の与那国島まで、人と馬との共生の姿を捉える。馬の表情を感じるかのような、写真がとても良かった。

 写真集が欲しくなるくらい、馬が可愛らしかったのだ(今回会場で販売はしていないようだった)。たまたまだが、俺は朝完成させた小説で、主人公の少年が知り合いになった外国の少年を「馬みたい」と褒めるシーンを書いていたのだ(馬みたいと言われた少年は当然なんだこいつ、みたいな反応をするのだが)

 主人公の少年にとっては、馬は優しく気高い存在で、体温、平熱が人間より高い、獣の温度を持っていた。だから、外国の友人をそんな風に褒めたのだ。

 幻想の中の馬。それも素敵だが、この展示を見て俺も馬が触りたくなった。この展示では、馬の「表情があるかのような」親密な写真が並んでいて、素敵だった。

 俺は犬猫大好きだが、犬猫などに「哀しい顔」をしている、という見方は嫌いだ。人間が勝手な自己投影をしているように思えるのだ。動物は人間の感情からは自由だ(或いは人間とは違う価値観で活きているのだ)。それを矮小化しないでくれ、と思うのだ。

 マーク・ロスコの抽象画に感情移入しているひとが自慰的に見えてしまう、ということが想起され、それは大学時代から俺が思っていたことで、山下裕二が著作で似たようなことを言っていてびっくりしてちょっと驚いた。でも、誰か、と同じようなことを考えるなんて感じるなんて、ちょっと長く生きていればよくある話だ。

 でも、俺のこの身勝手な感情を共有してくれるような友は、俺には現れないだろう。

 マーク・ロスコの抽象画は嫌いなのに、ポロックやダン・フレイヴィンやサイ・トゥオンブリのそれはとても好きなのだ。

 こんなことばかり考えていて、こんな話を気軽にできる人なんているわけないので、俺は黙るようになっていて、こういう場所でどうでもいい独り言でさえ、口を噤もうとしている。

 でも、喋らなければ、生きている意味がない。誰の人生だ?

 俺のだ。だから、何も手ごたえが無くても、俺は書き続けなければ、喋り続けなければ、死んでいるのと同じだ。

 だけどさ、こんな生活をずっと続けていると、おかしくなるんだ。早く放浪生活綱渡り芸人終わりにしたくなる。

 けだものよ、一時の安らぎを、鎮痛剤を幻覚剤を。

 自分が幸福な生活をおくる、というのにまるで現実味がない。だけどさ、それから目を背けることはしない方がいい。誰かの作品を見て、触れて、動物の植物の鉱物の、人の運動を生命を感じて、感応できるように。俺は、それが好きなんだ。

 雑記

11月に新宿TSUTAYA歌舞伎町店が閉まるって。そんなに広さはないのに、結構マニアックな、古い映画のラインナップが揃っていたのだ。このご時世仕方ないのかもしれないが、残念。ありがとうございました。

過小評価されてると思う私的に最高な邦楽
ふぇのたす/胸キュン’14
桐島かれん/ディスコ桐島
空気公団/「ここだよ」
清水愛/発芽条件M
田島貴男長岡亮介/sessions
桃井はるこ/momo-i quality
plagues/california sorrow king
ceiling touch/into U kiss
de de mouse/dream you up

過小評価、の基準がよく分からないので単に自分の好きなアルバムになってしまった感が……既に評価されているとしても、個人的にもっともっと!なアルバムを選んでみた。

大村しげ『しまつとぜいたくの間』読む。大正生まれの著者が、京ことばで京都の暮らしや食べ物のことを綴る。親から受け継いだ古いしきたりを元に、送る日々の生活は読んでいて心地良い。それは著者の親や自然への深い敬意を感じるから。手間をかけて質素に見えても良い食べ物をとる。耳が痛い。

『メットガラ ドレスをまとった美術館』見る。メトロポリタン美術館で年に一度開催されるファッションイベントを追ったドキュメンタリー。作り手のラガー・フェルドがファッションはアートじゃないと言ってるのに、周りのキュレーターやらがしきりにファッションはアートだって主張するのがうわーって思っていた。でも、映画自体は豪華な顔ぶれに衣装、中国をテーマにするからウォン・カーウァイに依頼等見どころ多数だし、ごちゃごちゃ考えずに見ると、楽しい。

シェリーのブラックリーフトゥリーの食器がとても欲しい。価格は二万ちょいなので買えないことはないのだが……他に買いたいものあり過ぎる。ふと、何でこのデザインが好きなんだろうと思ったら、チェルシーの黒地にカラフルな色使いも好きだと気づいた。上品なレトロモダンな雰囲気が素敵だ。

チャールズ・シミック詩集『世界は終わらない』読む。シニカルでユーモラスな老人の戯言のような、賢しげで夢想好きな少年のような語り口。神話も著名な作品も戦争も汚い景色も、ふっと顔を出す。作者の夢や悪夢や白昼夢のコラージュが、うっすらと短編小説のような輪郭を与えるようで、面白い

大村しげ『京暮し』読む。著者の京都での日々の暮らしを綴った、暮しの手帖の連載をまとめた一冊。京ことばの語り口とオノマトペの多い文章は食べ物がとても美味しそう。

聖護院かぶらは、たたくとポカポカという音がして、包丁をいれるとピシッと割れるくらい肉がしまっている。」

ダーティペアのオープニング。
名前しか知らずにたまたま見たけど、めっちゃ動くしセンス良くてかっこいいな! この頃の昔のアニメの雰囲気めっちゃ好き。黒地にカラフルなモダンイラストのアニメ版というか、くすんだパステルカラーと背景やモブ塗りつぶす感じの好き

コーネル・キャパ写真集『われらの時代』読む。有名な兄のロバート・キャパの弟。兄の他の写真家へのアドバイス「相手に好意を持て、そのことを相手に分からせよ」という精神を、弟の写真を見ると感じる。様々な国や立場の人々の生き様、息づかいを感じられる写真集。

藤異秀明『武狂争覇』読む。めっちゃ面白い。超ハード(ボイルド)少年漫画。アメコミのような迫力のある構図と、SDキャラのようなキュートさを兼ね備えた血みどろバトル出血大サービス! 一気に読めちゃうスピード感は、昔デビチル漫画よんだことを思い出した

 漫画版のデビチルのハードな展開はとても好きだったから、それがリニューアルして帰ってきたみたいでわくわくした。久しぶりに少年漫画(?)読んでわくわくした。本当は読みたい本沢山あるけどさ、巻数が出まくってるとね、気軽に手が出せないのだ。

 人生は続いてしまう。幻想の馬を輝かせるために、馬にけだものに会いに行きたいし、いかなくっちゃな。