よいふうけい

 結構な量の結構な物を売り払い自分としては結構な金銭を手にしたのだがこれが全てこれからの求職費、生活費やらカードの支払いに消えるのだと思う。結構結構。

 中平卓馬の写真を最初から好きだったわけではないのはきっと、彼の回復後の写真が初見だったからなのだと思う。それよりもずっと、彼の文章の方が好みだった。
『貧苦の中で、世紀末パリの街角を撮り続け、それを<美術家たちの為の資料>として売って糊口をしのぎ、貧困と無名の中に死んだ一人の写真師』ウジェーヌ・アジェに関する中平の言及は俺の意見と重なり、いや、自ら優れた写真家として活動する中平のカメラ=言葉によって、俺は確かな輪郭を与えられる思いがしたのだ。以下、『決闘写真論』よりだいぶ長いが列挙すると、

「アッジェ(今ではウジェーヌ・アジェが一般的だと思うが、ここでは中平の表記に倣う)の写真は、その一枚一枚は、こうした時空の膨大な隔たりを超えて、私が私のそう短くもない人生のどこかで見た風景、私がどこかで出会った体験、その遠い記憶に絡みつきながら、しかもアッジェのとらえたこの特定の風景、この街には絶対に居合わせなかったのだという“とりかえしのつかない”思いを無残にも突きつける、あるいはこう言いなおしてもよい、これらの街、これらの事物からついに私ははじき出されてしまう、そのような種類の写真だ。私が“とりかえしがつかない”と言ったのはそのような意味合いを帯びている。確かに私はどこかの公園でこのような彫像を見た。彫像と森の木立が池の水面にこのように反映していたのを見た。たしかに私は真夏の木漏れ日が、このように私に降り注ぐのを感じた。そしてこのように古びた街角を、その染みだらけの壁面の前を吹き抜けていった小さい頃の思い出がある。だが、にもかかわらず、このアッジェ木漏れ日、このアッジェの街角は絶対にそれらではない。
 アッジェの映像はそのような私の思い出、情緒を最後の最後で突き放し、街は街として、事物は事物として冷やかに私を凝視している。そこには私による意味づけ、情緒化の入り込むすきはない。私の記憶にまといつき、しかもそれを最終的には突き放してしまう一種のねじれ。。このような牽引と突き放し=異化の中天にアッジェの一連の写真はさしかかっている。おそらくアッジェの写真の最大の特徴はその辺りにある」



「それでは写真家とはいったい何者なのか。ユジェーヌ・アッジェについて考えてくると、写真家である私にはこの問いが最後に残される。それはまた、「作家」としての写真家は存在するかという問いでもある。むろん現在、職能的スペシャリストとしての写真家は存在する。かくいう私もその端くれくらいだとは思っている。だが「作家」というものが文字通り「私」を主張することによって世界を「作り出す」者であるとするならば、そのような「作家」としての写真家は存在する必要はない。そのことはアッジェについて書いてきたことからも明白である。アッジェはイメージを持たなかったが故に、世界を、現実を呼びいれることに成功した。あらゆる先験的なイメージをもたなかったが故に、世界を世界として顕わにした。だがすでにあまりにも多くを「知ってしまった」われわれにとってそれが可能であるのか? もし可能であるとするならば、まず自らを捨て去ること、そこから出発する以外に道はないだろう」

 アジェの写真とは対極に位置するともいえる「アレ・ブレ」写真から出発した中平の自作への決別はこうも語られている。


「リアリズムを自称し、あるいは表現者を自認する写真家たちの多くは、そのことに気づかなかった。写真家はひと一倍自分を語ろうとした。そして語れば語るほど、語ろうとすればするほど写真家ら逸脱していった。それがいつわらざる写真の歴史である。それは同時に対話を欠いたモノローグ=独白の歴史である。しかしそれはまたなんと独りよがりのモノローグであったことか。
 だが本当は自己を相対化すること、私だけを本質的であると考えることをやめ、世界と対話を始めることが我々の課題なのだ。世界との対話、それはみずからを世界に投げ出し、世界に身をゆだねること、世界にわが身を凌辱させる勇気と、それを乗り越えて新たな自己を確立する覚悟を持つことである」

 豊かなモノローグ、その一例として写真における「私写真」達へ、鑑賞者でしかない俺は一定の距離を持ち、眺めることができる。しかし、中平の求めているものはそれとは違う地平にあるものだ。写真という表現に関して自覚的に、立ち向かうその姿は痛ましい感傷、というのに相応しい勇ましさをたたえている。それが『なぜ、植物図鑑か』で語られ、実行される。

「ではなぜ植物なのか? なぜ動物図鑑ではなく、鉱物図鑑でもなく、植物図鑑なのか? 動物はあまりにも生臭い、鉱物は初めから彼岸の堅牢さを誇っている、その中間にある物、それが植物である。(中略)中間にいて、ふとしたはずみで、私の中へのめり込んでくるもの、それが植物だ。植物にはまだある種のあいまいさが残されている。この植物がもつあいまいさを捉え、ぎりぎりのところで植物と私との境界を明瞭に仕切ること。それが私が密やかに構想する植物図鑑である」

 森山大道が中平との雑談の中で「悲しそうな顔をした猫の写真はない」という中平の発言に耳が止まり、そのフレーズにとらわれていたという。写真における情緒のない作家性とはどういうことだろう、しかし記録写真ではない、図鑑。とはいえ、中平はその実践のさなかに急性アルコール中毒で運ばれ、記憶喪失になってしまう。そして回復後に写真を撮り始めるのだが、それを6、7年前の俺は一目見て弛緩した写真だと感じた。それが中平の写真との出会いであり、その後彼の初期・中期の写真や文章に触れる機会はあったが、今の彼を見ようとはしなかった。何だか痛ましいような気がしたのだ。

 けれど最新作ではないものの『原点復帰ー横浜』と題された2003年の写真集を、丁度俺が中平の存在を知った頃に展示、刊行された本、しかし俺が見たことの無かった本を目にして、彼の新しい仕事に広がりを、心地よさを感じるのだ。楽しさ、ようなものがそこにはあり、止揚、とかそんな馬鹿らしいものではなく、これからの彼の写真を見ていきたいと思えるような作品で「きわめてよいふうけい」を視界にいれようとしなかった自分を恥じしかし、見たいならば見ればいいのだと思う

 経験上和解、というようなことは滅多にない。あるとすればそれはとても幸福なことで、あの時の俺がきちんと対象を見ていなかったにしてだ。また、中平の著作を読み返し、若き頃の彼の意志には改めて共感することが多く、こうやってタイピングをしているだけでも、楽しさ、ようなものを感じるのだ。俺と「きわめてよいふうけい」とは遠いものではあっても、まだ今は「決闘」気分でその楽しさを。