(I BELIEVE IN YOU)

「さようなら」

 に類する言葉を口にすることはとても気分が軽くなるもので、その機会を得て、仕事場から出れば生温い空気に触れげんなりしたような気が抜けたような心持ち、で今まで仕事先で寝巻に使用していた迷彩柄のハーパンを穿いたままで、足元が涼しく、「ああ、よかった」と思う。歩きながら、図らずも、今の自分の恰好が『パリ・テキサス』の少年のように、赤い、そしてダサイ「ギャロTシャツ」に迷彩柄パンツ、といった、小中学生がカッコつけで選んだようなスタイルになっていて、ほんの少しだけ嬉しくなった。

 実のところ映画上では、シャツ、ハーフパンツ、靴、の三つの内のどれかが赤と迷彩柄との組み合わせで、俺の今の恰好と重なっているかは定かではないのだが、ヴェンダースの映画を見直すような人の良さはないというかヴァンダースの映画は、というか彼の『ベルリン・天使の詩』がもう最高に苛立つような映画で、映画としての質、ということではなくて(それなら話は簡単だ)、極限(ささがわ)に肌に合わない代物で、ヴェンダースの映画を見て苛立たない人ならば労働に向いているのではないか、と、偏見を抱く、のだけれど問題はそんなことではなく質の高い映画を見てむちゃくちゃ苛立つ人間は労働に向いていないのだ、と思う。

 家に着いてアマゾンからの贈り物(しかし俺は金を払うのだ)を手にする。ずっと欲しい欲しいと思いながらもオリジナルではなくアレンジされたアルバム、ということで買い渋っていた『mother』のサウンド・トラックをようやく購入することにしたのだ。ボーカル入りではなく、本当はあの、ファミコンの貧相で脳に刺さる音源がいいのだが、鈴木慶一がプロデュースしたのだから質に間違いはない、というかサイトで少しだけ視聴できるのだが、もう、曲がいいのは分かっているのだ。

 とか思いながらも、実際に聞いてみるとやはり、想像以上に良かった。中でもフィールド音楽をアレンジした一曲目のPOLLYANNA(I BELIEVE IN YOU)がかなり出来が良く、ポップ度と明るさの増したヴァセリンズっぽい曲だった。そのほかにもビートルズフォロワー風、チーフタンズ風、10CC風、といったようなミュージシャンを連想させるような、ゲームのサントラらしからぬ高品質の、そして少し懐かしい感じのアルバムだった(オリジナルの発売自体89年だけど)。

 とか感じながら、俺は英米のポップス・ロックに詳しくないしというか最近聞いてないなあ、と想起し、詳しくないついでに、このアルバムの編曲の一部にはマイケル・ナイマンも関わっていて、一部でとても有名らしい(大抵そうっすね)氏の俺にとっての連想は「いいのけんじのゲームに曲を提供した人」と「グリーナウェイの映画に曲を提供した人」という、この二つが合わさると、こんな連想をするなんて何とも陰気な人間なのだろう、等と思ってしまうが、これに「マザーのサントラの編曲をした人」を加えると、ほら! 陰気度が三割減だ! だからどうした。

 俺が超聞きたい、と思っていた、ファミコン音源の、オープニングとフィールドの音楽も、一応まとめてファミコンの音源詰め込んだ22分の曲の中に収録されていた。本当は独立して、二、三度ループして収録して欲しかった、のだが、正直収録の期待はしてなかったので、流れてくるそれに気付いて、鳥肌が立った。マザーのオープニングの曲はもう、好きとしか言いようがなく、頼りない音が重なりあい、豊かな音を奏でる様はシガーロスを想起させる、けれど個人的にはかなり好きなシガーロスよりも更に鳥肌ものの音楽だ。俺にとっては、褒め言葉しかみつからない曲なのだ。

 豊かな音楽はどこかに連れて行ってくれるような気分を与えてくれる。マザーの曲は(ゲームの中身だって1と2は文句なしに素晴らしいゲームなのだけれど、というかこのゲーム制作に関してはいとーいしげーさとさんに極限に感謝する! 大好き! いといさん! 他の彼のいかにも慣れた業界人、ぽい仕事に関しては言及しませんはい。マザーを作ってくれたことに感謝!!)どこか知らない所へ一人で向かう途中のような、そんな気分を与えてくれる。旅路の途中、なのだというような、そんな、センチメンタルで豊かな気分だ。

 その感覚はマザーに限ったものではなく、自分にとって優れた音楽は、俺をどこかに連れて行ってくれるのだ、けれど、マザーは特に「旅路の途中」といった印象を与えてくれる。それはマザーのオープニングやフィールドの音楽が、俺にとっては良質の物悲しいポップソングだからだ。ポップソングと言うものは大抵物悲しさを内包しているのだけれど、その質が高い、そして特に単純な、口ずさんでしまうようなものには、なんともいえない物悲しさと豊かさとを覚える。知らない場所に一人で歩いている、今、を想起させる、今、ここに自分がいることを、その幸福やら不安やら不感やら、を。

 それは、力を与えてくれる。ポップソングなのだ。ポップソングはつかの間、力を与えてくれる。ヴァセリンズの『Molly's Lips』をニルヴァーナがカヴァーした、あの曲みたいな、何度も、同じフレーズを口にする、その幸福、無条件でつかの間、わくわくしてしまうような、それゆえに恐れを抱いてしまうような、そんな感じ。

 俺は闘争めいていても逃走ばかり、旅路というよりも無人のシェルター内を裸で歩いているような、そんな印象を自分の生活について抱いていた。俺は今年で26歳になり、もう二十代も後半戦か、という俺よりも年長者にとっては苦笑を禁じ得ないような発想をして、少し、楽になったような気がした。少し、覚悟が出来たのだと、自分ではそう思っている。

 後半戦って、根性無しにとっては都合のよい言葉だ。後半なら、もうすぐ楽になれるんだ、って。しかも、最近のゲームによくある「二周目の継続プレイ」だって選択肢にあるんだし。

 とにかく、シェルター一人裸ふらふら、よりも旅路の途中、という着想の方が、カートっぽい、というかマザーの主人公ネス君(名前は変更可能)っぽいというか、そういう着想の方が、俺にとって都合の悪い生活をこなす上で、別の力を与えてくれるような気がした。物悲しいポップソング、をもっと、引き受けること。無職期間は他人や金銭への新たなる媚を予感させ、本当に気が滅入るのだけれど、そういうのは色々と別の方々に任せたい。だって俺は後半戦だから、後半だから、楽しいことを考えよう、な、(I BELIEVE IN YOU)。