カプセルは初期の(以下略)

 季節に特別な思い出があるわけでも、特にファンと言うことでもないけれど、夏の終わりにはfat boy slimの「praise you」がよく似合うと思う。涼しげでちょっと切ないダンスミュージックは、夏の終わりによく合う、というか、夏がたいして好きではない俺は、やっとこの季節が終わってくれるのか、と思いながらも、ふと、過ぎさる日々に仄かな哀惜を抱いている、かのような気分にもなるのだ。センチメンタル・ハウスミュージック。

 半ひきこもり生活でやるべきこと、やりたいことはあっても、しばらくは考え事をしたくない、とも思っている。でも、やはり考え事なしで日々を送れるほど俺は強くなんてない。小さな予定が約束が反故になっただけで「すぐに駄目だって 思いこんでいた いつもそうなんだ だけどそうなんだ これは当然て 思いこんだんだ 夢じゃない方が いいじゃないそうだ 震えてるよ ぷるぷるまるで 赤色のjelly」

jelly?

いや、そこまで歌詞を引く必要はないんだけれど、この「jelly」みたいな、ポップな和製ハウスで丁度いい位の陰気な歌詞(一部分だけ抜くと)、みたいな状態になるのは勘弁して欲しいよなあ俺。一応、ひと月位はゆっくりしていたい、ていうか、ひと月で(俺ができそうな、続けられそうな)仕事見つかるとかありえないし、とにかく今は休んで、考えないようにしている、なんてことがうまくできる、かな?

 よく見るゲームレヴューサイトで、同人ゲームを作ったサークルから、そのサイトにレヴューを依頼している作品があった。正直、俺はその同人ゲームをプレイする機会はないので、そのサイトの評価がどうなのかは分からないけれど、なるほど、と思った部分はあった。簡単に要約すると、

 そこそこ光る所はあっても、やはり誰の目にも明らかな改善すべき点がある。同人クオリティ、ということを差し引いても、その点は明らかである。それなのに強気の値段設定はどうだろう。初作品ならば、多くの人の手に取ってもらうような工夫をすべきでは。

 といった内容で、そのサイトにリンクされている別のレヴューサイトでも、大体同じようなことが書いてあった。もっとはっちゃけて言うと、話はそこそこいいけど、画のクオリティばらばら、ボリューム短すぎ、それで某人気同人ゲームと同じ価格設定はどうかな? ということだそうです。それらのサイトでレヴューしている人達はまっとうな文章を書いていると思っているので、俺はプレイしたら同じ感想を抱くのかなあ、とぼんやりと思いながら、そのサークルの人のホームページをのぞいてみた。そこにあるブログで、文章担当の人が恐縮しつつもちょこっと愚痴ってる個所があって、それを見て既視感を覚えた。

「同人だから赤字になってもいい」けれど「お金のせいで次の作品が作れないのが悔しい」そして「ゲーム制作が生活の中心になっているから何らかの手段で生活費を捻出できないとつらい、かじるすねもない」

 ということを、少し前向きに語っている。そんな人、あなたの周りにはいなかっただろうか? いた、ていうか、俺も似たようなこと言ってた、ていうか、ふらふらしながら何かを作ろうとしている人って、根っこの部分ではこれに似た思いを大なり小なり抱えているんだと思う。きちんと社会生活を続けている人の中には、こういう意見に過剰反応して「ていうか甘えじゃん働けよ」と苛立つだろうが、働かない人に過剰にむかむかする、見下せる人は、自分の「労働」をどうにか肯定したくて必死らしいのだ。みなさん、疲れている人には優しくしてあげましょうねなんちゃって。

 こんなブログやサイトのこんなやり取りを見ながら、同人のジャンルでもゲームやら漫画は、一部であってもちゃんとお金が発生する仕組みができているのはとてもいいことだなあ、と思った。単純に金があれば金の事を(しばらく)考えなくていい、だけではなく、お金の流通があるということは、色々な人に必要とされていることでもある。その多くが、表現の中にエロが含まれているものだとしてもだ。

 それはむずかしめのゲームをしているような(え、またゲームっすか?)、いや、ちょいばくち打ち、みたいな感じだと思う。資金と熱情を投資して、さあ、出来るか、出来たものが評価されるか。職業無職じゃなくて、職業ギャンブラーっていうと、何だかかっこいい……(え)イカサマのダイス「乱れ打ち」(セッツァー)。でも、最大の問題は物を売る時に現職欄に恥ずかしくてかけないこと、あとの問題点は、沢山あり過ぎてちょっと書けない書く気になれない。


 流通に乗るということは、商業性を帯びている、多くの相手に伝わるように作られていると言う風に言い換えてもいいかもしれない。大勢の人に伝わり、質のいいものだってとても沢山存在する。でも、それは俺の作りたいものとは違っていて、俺だって漫画もゲームもイラストも大好きだ、けれど、なんで自分はそういうものを作ろうとしないのだろう、と、ふと、考えた。色々やってけるほど甘いものじゃないから、とりあえず今は文章、と思ってはいるけれど、そういう可能性を真剣に検討しようとしなかったのだ、とも思う。

 例えば、あと一、二年 MUSYOkU☆DAYSを送っていいというならば、マジで漫画とかの勉強あ、いや漫画的に「修行」をしよう、と思う。勿論一、二年でどうなるとは思っていないけれど、自分で作り上げた「かっこいい・かわいい」に自分で感動できるのって中々気持ちのいいことだと思うのだ。目に見える成長とあと少し、そんなもので、暮らしに色が添えられる「ものーくろのふるーつくりっぱー」聞いてる最中ですけど。

 沼袋ジュラシックパークをお書きになった売れ売れ石平庄一大先生は、別の人の授賞式で会った中原昌也に「純文学の人はヌルイですね」とか言って中原の怒りをかったらしい(大先生は別の方に「仲がいいんですね」と言ったと反論していましたが)。ていうかその売れ売れ大先生は同著で、あの貧相ないや、嘘、爽やかな御顔(想像)で「純文学は暗い」と発言していて、それに「え? どこが?」と思った俺は、全く暗くないのに、ほぼ初対面の、あまり親しくない人から「くらいね」とか「思ったより明るいんですね」と何度か言われた経験があり、おい沼袋下痢袋糞袋!! 『ブン殴って犯すぞ!』(中原の小説の題名です。そんなこと思ったことない俺)。

 暗い、ではなく、消費するのに色々と必要な場合がある、というのが正しいのではないかと思う。でも、その分色々な反応を見せて面白い。色んな色で画をかける、みたいな。で、色んな色を混ぜまくって最終的には、ぱっと見全部、くすんだ黒、みたいな。可愛らしいハウス抜きの「すぐに駄目だって 思いこんでいた いつもそうなんだ だけどそうなんだ これは当然て 思いこんだんだ 夢じゃない方が いいじゃないそうだ」

 でも、考えようによっては、色々やりたいことがあるんだ、ともいえるかもしれない(お、超前向き!)。何かを始めるのに遅い、なんてことはないけれど、その前に駄目になることはあるだろう(え、じゃあそれって遅いって言うんじゃ……)いや、てかさ、そんな簡単に言えることじゃない、よね? 「渋滞のトーキョーで スーパースクーター」って、今CDから流れているから、まあそういうことで。今日はカプセルばっか聞いてました、ってことで