明るいニュース

細切れの睡眠が緩和されたと思えば、最近頻繁に夢を見る。週に四日、五日位見ている。夢を記憶している時は眠りが浅いのだと言われているが、自分でも思う。その夢の内容も、正直気分が悪くなったり自己嫌悪に陥るような物が多く、夢なんて見たくはないと思う。ぐったりとした状態で、或いは働かない頭で夢の内容に思いを巡らせたまま迎える朝なんて、年に数回で十分だ。

 少しだけ値の張るヘア・アイロンを購入し、うざいくせ毛が緩和された。使い方にもよるだろうが、劇的な効果はないにせよ、人生で一番直毛かもしれない。はねて欲しくない個所ではねていたのが直せたので助かった。払った金よりも、髪のまとまりの方がずっと肝要だ。

 数日前に目にした服が頭の片隅に居座ったままで、そうだ、洋服に関する夢を見れたらよかったのに。でも、そんなものは一度も見たことが無い。買いに行くことにした。はした金で悩むのは馬鹿らしい。問題、のようなものを、解決していかなければならないのだと、そう思う。

 その服は売り切れていた。正直予想していなかったので、しばし呆然としながら、他にも目についた服を眺めながらも、頭の中にあるのは失われた服の、煌びやかな幻想だけ。新宿を出て、渋谷に向かう、

 けれど欲しい服が無い。欲しい服は、財布の中の金額では足りない。ATMまで行く情熱もなければ理性もはたらいている。歩きながら少し、疲れてきて、そうだ、俺は休むのが嫌いだか苦手なのだと改めて想起する。

 そのまま、歩いて原宿に向かう道の途中で、新しくできたルミネ・マンに大きな浅野忠信の顔が印刷されていた。ファイヤー通りから明治通り側、というか渋谷原宿コースなんてしばらく通ってなかったから、その広告と共に新鮮な気持ちになる。奥さんだったチャラがルミネのCMの声を担当していたなあ、結婚していたままだったら二人の話題に上るのだろうか、と、どうでもいい感傷が湧きあがり、原宿に向かって、結局何も買わずに、歩いて戻り、恵比寿まで向かった。

 恵比寿のアトレはいわゆる駅ビルだけれど、結構好きだった。ガーデンプレイスに繋がる動く歩道があるそし、とても長いエスカレーターがあるから。動く歩道と長いエスカレーターは、好きだ。

 PLAZAでミンティア二つ分くらいの大きさの、クッキー型のデジカメが売っていて(ちゃんとPCにつなぐケーブルも付属されていた)、裏には20万画素と表記されていた。どの位の画像が撮れるのだろうか? 少し見てみたかった、けれど買ってまで欲しくはなかった。こういうのはプレゼントするのがいい、と思う。自分の欲望を肩代わり、と発想して、露悪趣味だと少し反省する。欲しいものが無い、というよりも、決められない。決めたものはどこかへ行ってしまった。そのうちに疲れてきて、惰性と恒常性の幌馬車にゆられ、従順で愚鈍な驢馬のように進んでいくのだ。

 ジュネの『恋する虜』を再読する。再読とはいっても、この本は600ページもあるので、体力の落ちている今ではきつい、と思ったが、いったいいつ体力があるんだ、と思い返し、ページをめくることにする。別に何日か掛けてよんでもいい。本当は何もかも、さっさと終わらせたいんだけれど、そんなに都合よく行かないこと位は分かっている。



 しかし、もしもエクリチュール(文章表現)が嘘であるというのが本当だとしたら? エクリチュールはかつて存在した事柄を隠蔽することを可能とするだろうか? 証言というのはだまし絵でしかないとして。かつて存在した事柄と正反対のことを語ることもせずに、エクリチュールはその目に見える、受け入れられる、いわば無言の表面しか与えない。なぜならエクリチュールはおのれを裏打ちするものを本当に示す手段を持たないからだ(中略)この本はただ一つの声しか持たぬだろう。
ところが、すべての声がそうであるように、私の声も細工されている。そして細工は見抜かれているとしても、その細工の性質についてはどの読者も警告を与えられていない。この本を私に書かせた真実味のかなりある唯一の事柄は、アジュルーンの生垣のところで拾ったはしばみである。しかしいまの一句は一つ一つの分がそれに先立つ文を隠そうとしているのと同じくこの本を隠し、このページの上に誤りしか残すまいとしている。それはまあよく起こることで、このことを私は巧妙に述べ得たためしがなく、それでこのことをりかいすることを巧妙にやめている。




 ここ一、二年、再読する頻度が増えているように思える。読みたい本の、その表皮を、あらかた食い散らかしてしまったということに加えて、意欲が落ちてきたのか、と思ったが、後者に関しては昔からそこまで変わりがなかったように思えた。単純に労働から完全に切り離されていただけの話だ。

 他に読みたいものやらは常にあるのだけれど、色々な好条件がそろわないと、中々うまくはいかない。そして何より、俺に欲しいものはにのだという「気分」が、厄介だ。売り払うものはある。売り払うものはあるんだ。売り払うものはある。売り払うものはあるんだから色々とものを大切にしないので高値は期待できないにしてもまだまだ大量に売るものは。