目隠し、騙し、手当もね。

多少、調子が戻ってきているかもしれない。というか、数週間前、一、二ヵ月の状況が悪すぎたから、沼の中から頭だけ浮上したといった体だけれど。

 それでも、そのこと自体は喜ばしいことで、少しは自分の身体をいたわらなければと思う。俺は怠惰で自堕落だけれど、自分の身体を痛めつける。

 ただ、本を読みたいなら、本に文章に見えないものに人間に向き合うならば、多少の健康さ公正さ精神の余裕が必要なんだ、だから、たとえなくてもあるふりをした方がいい。目隠しは、騙すのは自分から。

 色んな店の閉店やら何やらのニュースが耳に入り、他人事ではないのに、まだ俺は実感がない。少しずつ、色んな物に触れる機会が減る。

 ただ、渋谷のレコファンが閉まると知って、最近は全然レコファンで買っていなかったのに、妙な気持ちになった。今は中古cd、レコードショップはどこも厳しいこと位分かっているけれど、閉店、おしまいの日は、宙ぶらりんの いつか であるはずだった。

 高校生になってバイトが出来るようになって、渋谷のレコファンにはとてもよく通っていた。実家から少し遠いが歩いて行けたのだ。バス代往復で安いcdが買えちゃうよ。何でもいい、誰かが好きな人がオススメした奴、ジャケットがかっこいい奴、沢山聞きたい知りたい。

 渋谷にレコファンは、最盛期には三店舗あったはずだ。でも、一番大きな店舗もしまるという。今は色んなサービスで無料で聞けちゃうし、俺もかなりcdを買わなくなってしまった。でも、cdが今も好きで、youtubeなんてなかった時代に、色んな曲に出会う機会を与えてくれたんだ。ありがとうレコファン。お疲れ様、というよりも、俺も好きなの買わなきゃなー。

バルバラ『赤い橋の殺人』読む。19世紀のパリで急に金回りがよくなった男。しかし、ある事件の真相が自宅で語られた時に彼は異様な動揺を示す。
探偵小説だが、執拗な心理描写、ボードレールの引用、貧困と反抗を胸に抱く芸術家、それに加え神や良心の不在といった要素があり、解説にもある通り『罪と罰』を想起させる。

マルグリット・ユルスナール『青の物語』再読。死後まとめられた、彼女が若い頃の短編集。表題作がとても好きだ。サファイアを求めて青の洞窟に向かう、様々な国の商人達。彼らは残酷な、或いは虚しい結末を迎える。詩情のある表現で世界を彩り、冷静で簡潔な表現で生き様を記録する。一時、宝石の夢を見る

白洲正子『鶴川日記』読む。鶴川に越して、30年になる著者の記録。当時は戦中で、田舎の朗らかな描写と共にそうも言っていられない状況なのだが、この本では日々の生活、自然との交流、村の人々や仲良くしている文学者等との話が多くて湿っぽさは薄く、著者のたくましさと穏やかな筆致を楽しめる

マンディアルグ短編集『狼の太陽』読む。人工物も自然も妄想も、悪夢に変える恐ろしい作品群。デコラティブで飛躍する文体を訳するのは生田耕作。奔放な夢魔の迷宮の中で迷子になる。

木下恵介監督『二十四の瞳』見る。原作は小さい頃読み、映画はいつか見るだろうと思いつつ、十年以上経って見る。前半は小豆島の自然を唱歌に載せて美しく描く。しかし貧困や親が幼子の運命を決め、戦争が人々の生活を激変させる。生徒を深く愛する高峰秀子の名演技と、人々の生きていく姿に涙が出る。

 リマスター版を見たのだが、古い時代に撮ったのに豊かな自然、海と山がとても美しく、広がりを持って捉えられていてすごかった。また、感動ものというか、そういった描写があることを知っているのに、映画を見て涙が止まらなかった。五回くらい泣いた。そりゃあ、ちょっとお涙頂戴演出ではないか、と思うこともないシーンもあったが、それでも高峰秀子(と子供達)の演技は良かったし、自分の意志を踏みにじられる子供達は見ていて辛い。だが、大好きな人の助けに力になれなくても、必死で生き抜く力と献身が伝わってくる。とても良い映画だった。

鈴木信太郎のエッセイ『記憶の蜃気楼』読む。小林秀雄森有正渡辺一夫等々錚々たる人々との交友。仕事も遊びも大切で楽しいと言える、恵まれた環境での、優れた研究者の探究心に触れる。ランボーの引用

俺の生活は饗宴であった、すべての人の心は開き、あらゆる葡萄酒は流れ出した饗宴であった。

 このエッセイを読むまで、俺はフランス文学の訳者鈴木信太郎という人に対してかなり神経質なイメージを持っていたのだが、そういう一面があるにせよ、結構恵まれている呑気なお坊ちゃんといった姿が見られて(というか、昔はかなり恵まれていないと、大学、留学、学者にはなれないだろう。あ、今もか?)楽しかった。感受性を育むのは喜びであって虚ろではないのだ。

 ピエール・ルイス『妖精たちの黄昏』読む。語り部が話す物語は、どれもこれも救いの無い悲劇で、納得出来ない聞き手が質問をしても、幸せな話がいいと言っても語り部は応えない。あとがきで、友人が著者に捧げた寓話を読み、この作品が腑に落ちた。その寓話は、様々な物を持っていても手に入らない。

 永遠の渇望を、どんな才能や輝きを持っていてもお前は不幸の闇に没するのだ。


この予言、寓話が友人の(!)書いたルイスへの本の冒頭にあり、『妖精たちの黄昏』とも奇妙な類似を見せている。知ってはいけないこと、意味がないことをたしなめる。くすぶる感情、気持ちが整理されないまま幕は降りる。しかし著者は美しい詩や物語を生み、作っていた。大人の為の残酷なおはなしだ。

 パゾリーニ監督『カンタベリー物語』見る。8つのエピソードを巡礼宿でつづるオムニバス作品。その中身は、性欲に正直過ぎる男女の物語。夜這い覗き男色罪で火あぶり兄弟で殺人、ラストの地獄では悪魔の尻の穴から僧侶が吹き出る。裸の男女が沢山。猥雑の極み。だが、構図陰影が巧く悲劇も明るく描く

 久しぶりに見たパゾリーニは、まあ、生命力にあふれていてすごかった。とにかく裸の男や女の多さ! でっぷりとした脂肪がついた男や女。尻と放屁。無修正だからか、丸出しの男性器に下着なしで服を着るという動作が何度か見られて、それが妙な躍動感というか、あっけらかんとした様子で、嫌なエロティシズムがない。アダルトヴィデオではない、映画の濡れ場での、つまらないセックスシーンもどきよりもずっと、パゾリーニの方が自然だから。

 とはいえ、それは自然を映す時は陽光で全体を映す、室内や緊張感があるシーンでは陰影を強くする(カラヴァッジオみたいに!)、猥雑な集団もあればシンメトリックな落ち着きのある構図もあるといった彼の美学映画のセンス、様々な使い分けができるから、下品さをあまり感じないのだと思う。

 岩波文庫シェリー詩集』読む。自然の讃歌、甘い恋歌、政治的な問題視される歌、神話を題材とした重厚な詩。様々な顔を持ち、詩情を感じさせる豊かな作品群。読み応えがある。丁寧な解説・脚注もあり、とてもありがたい。彼が30歳で亡くなったとはとても思えない!

ボルヘス『創造者』再読。彼の好きな物が集められた詩文集。それは、夢や引用や神話や記憶で編まれたバベルの図書館、或いは盲目の図書館。濡れた金貨、死後に対話する勇士、夢の中の虎、天恵の歌。

私は書物の引力を、ある秩序が支配する静謐な場を、みごとに剥製化して保存された時間を感知する という言葉は、いつ読んでも素晴らしい。

 体調や気分が優れないことはしばしば、というかパッシブスキル標準搭載。でも、何も消費できないんじゃ生みだせないなら死んだほうがまし、でも、死んだら本も音楽も映画もどこかへ消える。だったらまだ消費できますように。目隠し、騙し、手当もね。