取り出せない硝子や水晶や屑宝石

誕生日を迎えた。いつもなら、少しだけお洒落をして、普段かいたくても買えない、とはいってもたかだか数千円の本とかを買うのが習慣になっていた。でも、今だと難しいかもしれない。店自体が閉まっているし。

 というより、もう俺はいい歳で、色々と摩耗してしまったというか、単純な話で、騙し騙しやっていくのも終わりにしたいなあという思いが頭をよぎる。希死念慮離人症が手をとってワルツ。

 でも、俺の人生を豊かにするのは俺しかできないことなのだ。当たり前の話。幾ら、これから先が終わりのない沼の中であっても。

 雑記。

夜になって、調子が戻ってきて、森本美由紀の画集二冊読む。高校の頃に買ってから、今でも大切な本。ピチカートやバルドーのDVDのジャケもこの人
過剰な装飾が好きな俺だけど、彼女のイラストで引き算の美学を知った

本屋で沢山本が並んだ中で、すっきりと目立つのが良い、


というような発言は、今も胸にある。

色々あると、ストレスマックスになる。そんな時は、獣になりきって思い切り唸り声をあげるのがよい。当然、すさまじい音がでるので、タオルを噛んでさらに布団で顔を覆う(それでも音出る注意)。頭を揺らしながら吠えると気持ちいい。
俺がヤバいのではなく、たしか
演劇の練習の本に書いてあったのだ

夜になったから、やっと外に出られる。日光浴びたいけど、仕方ない。

注文してた『世界の美しいハチドリ』が届いていた。読んだことあるのに、手に取って色とりどりのハチドリを見ると、心が解ける。
毎日、綺麗なものを見て、考えること。時には難しくても、それが豊かってことだと思う

ピエール・ルイス『ビリチスの歌』再読。ギリシャの詩人を想定した、艶めく愛と死。鈴木信太郎の名訳

キプリスの小鳥、鶺鴒よ、萌え出る妾たちの欲望に、合わせて歌を唄っておくれ、乙女の肉体は瑞々しく、地面のやうに花に覆われる。妾たちのあらゆる夢に 夜は近づき みなひそやかにそれを語らふ

 読書自体は、家にこもっているのだから、色々とできている。昔の本を再読して、色々忘れていたり、覚えている感動に再開したり。

 読書によって自分が数々の輝きを知らないことを、また、それらを見つけることができることを再確認するのだ。誇張ではなく、それが俺を生き延びさせてくれている。

 芸術に生かされている、なんて大層な話というよりも、ぴかぴかきらきらするんだ。錯覚できるんだ。自分の内に、沢山の硝子や水晶や屑宝石があるような、そんな気分になれるんだ。

 正直、いい年して変わらなぬ浮草生活も、社会や人との不和も、もう沢山だ。でも、俺の人生は続くから、豊かにしなければ。本を人を知ってしまったんだから。

 良い一年になりますように、ではなく、しなくっちゃ。元気なふりして片づけるか、満足して死ねますように。