ヘヴィーライトノベルハード

キャパシティ、という言葉でFF5を思い出す。でも、そっちの楽しいイメージではなくて、やりたいこと、やろうとしていることに、どれだけ消化できるか、挑戦できるか、ということについて考える。毎日元気、或いは小康状態、なわけない。

 案外少ないことしか出来ないのだろう、とも思うのだけれど、じっとしている時間も必要なのだと思うのだけれど、そうもいかない。そんなんじゃ、嫌なんだ、悪化する。

 PSP女神転生デビルサマナーが、思っていたよりもずっとつまらない出来だった。メガテンだからやれば面白いのだけれど、個人的にはメガテン関連作品の中でトップスリーに入るほどのつまらなさ。スカスカなストーリーもオートだけでどうにかなる戦闘も、難しいのではなくイラつかせるだけのダンジョンも、言うことを聞かない、というかほぼ必要ない仲魔も。

 だから、かなり品の無いプレイをしていた。(今更!!)見そびれていたチャーリーズエンジェルの1と2を流しながら、消音状態でプレイしたのだ。エンジェルは勿論吹き替えだ。正直、「まともな映画」なら、吹き替えの映画は見たくない。ていうか、ハリウッド系とかの大作しか吹き替え版ない(と思う)けど。

 エンジェルは予想していた通りの出来で、すごく満足できた。ミュージックPVを継ぎ接ぎしたような、何を見逃しても楽しめる内容だ。特に続編の2の方が映画として酷い出来で、俺を楽しませてくれた。ちょっとあか抜けない高級コスプレ映像観賞会だ。実際幾ら戦闘がオートとはいえ、半分はゲームの画面を見ていたのだから、吹き替え版で、しかもどこを見逃しても楽しめる作りになっていないと、映画の方も気になってしまう。その点でも満足させてくれた。

 やはり、大金を投入しているものは、それだけで力がある。余りにも巨大すぎる(芸術)作品(最近クリストさんの名前見ませんけど)は、一定の力がある。で、だからどうした、ということでもあるが、あくまで消費するだけなら、金でなくても何かを投入しまくった奴の方が魅力的だ、健康的だ。物量は感慨を与える。大食い選手権であれ大量虐殺であれ。

 とにかく、何でもいいから消費的行為を行う、行えるような気分になれるのは、気持ちがいいことだ、健康的なことだ。最近ライトノベルで何か読めるものはないかなあと色々見て回っているのだけれど、正直、肌に合わない物が多い。TRPGのリプレイは読めるのに。って、リプレイはあくまでその場の会話であって、ゲームセンターCXを視聴するみたいなノリだからだと思う。(どちらも見やすいように、実際のプレイが編集されているから)

 既知の中の言葉と、楽しませてくれるような人物、物語とのバランス。エンタメ(に類される)なライトなノベルを心から楽しむには、客層からずれているのだろう、俺が。

 と言いながらも、ブックレヴューから目にとまった豪屋大介デビル17』の一巻を一日で、ぶっ続けで読むことができた。一冊500ページ弱。しかし文庫本サイズだから文字数は少なく、一時間で百ページだか百五十ページだか読めるのだ。たった一時間でだ。とても楽しい。消費している気分になる。

 この『デビル17』は、普通の高校生の男の子が、テロに巻き込まれ、何故か急に不思議な力に目覚めて、重火器や素手で悪い人ボコったり美男美女にモテモテになりやらしいことを沢山する、というライトノベル的、といってもいいような筋書だ。

 けれどこの主人公は、作中でエロゲーライトノベルを揶揄するような発言を漏らし、さらに、作中では多分、ライトノベルにしては珍しく、かなり露骨な性描写が描かれている(アダルトなものだけのライトノベル系のレーベルもあるそうだが、そっちはさすがに読む気にならない)。というか、ブックレヴューでそういうことが書かれていたから読む気になったのだ。とても都合のいい女の子と何故かモテモテ俺力あるぜ、な甘ああああああああいファンタジーは、よほど巧くないと、つらい、よね?

 俺はアニメ声、特に女の子の声が苦手だ。あり得ない甲高い声で、現実の女の子が絶対言わない、しかも(これを嗜好としている一部の)男にとって都合の良い、媚びた台詞を吐く。正直勘弁して欲しいというか、無理やりおゆうぎに参加させられているようで辛くなる。漫画や小説は声が聞こえてこないし、すぐに次のコマ、行に移ることが出来る。しかし、アニメは「スキップ」が出来ないのだ。ずっと、その声に付き合わされる羽目になるのだ。

 俺はゲームばかりやっている。最近のゲームは大体声優が声をあてていたり、フルボイスだったりする。俺はフルボイスでもメッセージを読み終えたらガンガン飛ばす方だが、ちょっとした場面で(必殺技の名前を叫ぶとか攻撃の掛け声とか自分のターンになった時の台詞とか)あのやり過ぎた声を聞くのは(聞き続けていると)、小さな快感を覚えるものだと気付く。ありえないものを楽しむ。これは舞台、演劇に通じるものかもしれない(俺がどちらもいいお客さんではないので)。その多くが苦手であっても、何かでウマが合えば、その過剰が快感を与えてくれる。媚びる人が好みとしかいいようがないなら(媚びる人が嫌いだ、とかいうのは置いておきます。好きならば、やがて慣れてしまうから)、叫ぶ人がカッコイイなら、それにこしたことはない。だってその場はアニメの、舞台の上なんだから、派手にやってほしい。派手にやるべきだ。特に、観客に挑戦するのではなく、を楽しませようとするならば大いに媚びて、大いに気障な台詞をはけばいい。楽しめないものが、その場からさるだけなんだから。

 この『デビル17』のあとがきで、作者はこれがエンタメ小説だといいながらも、ルールよりも自分の規範を重視する少年の成長物語、だと告げている。だから、主人公はライトノベルらしくなく、人を殺してもさほど悩まず、やりたい奴とやりまくる。だから、読者はこの話の登場人物に「萌え」にくいだろう(萌えって言葉よくわかんないし、分かんなくていいけど)。それは求めている求められている関係性が、交換可能であることを示唆するからだ。感情移入を妨げるからだ。でも、そんな中で本来暮らしているんだから、それでも、まあ、楽しい「ヘヴィーライトノベル」な生活は送れる。そっちの方が、読むにしても、俺は楽しいと思う。


「というわけで強いご要望さえあれば(←重要)戦艦大和だろうがスケベなことしかしないぬるぬるべっちゃりの触手怪獣だろうがパワードスーツだろうがふたなり姉ちゃんだろうがアイツでオレなハードなやおい三連発だろうが擬音付きの眼鏡っ娘委員長(髪形、胸、年齢はオプションです)だろうが片っ端から登場させます。んでもって爆発したり殺されたり汁気たっぷりだったりさせます。かなりほとんどまず適当に本気です」


 作者はあとがきでこう言っている。「ライト・ノベル作家」として、とてもいいコメントだと思う。おちょくりと真面目さのバランスが。チャーリーズエンジェルに対抗するには、やっぱりその位やってほしいものだよね。

 で、このデビル17シリーズは新刊が数年出ていないそうで、再開の見込みはかなり薄いようだ。この作者の別のライトノベルはちょっと俺には読めなかった。また、wikiに項目がなかった。珍しい。他の小説家の変名かもしれない、とも書かれていた。

 「ライトノベル的」な受け身(美女に振り回される)だけれど本当は能力があってモテモテ、な主人公(世界)をおちょくる「ライトノベル的」な主人公は、俺にとってエンタメだった。けれど、これを推し進めると、何だか愚痴っぽくなったりギャグを制御できなくなったりしてしまうのだろうか? おちょくるというよりも(凡庸な)メタ視線で語り始めてしまうのだろうか? 真面目に真剣に、「頭が悪いこと」に「ライトノベル的な気障」、「ライトノベルスノッブさ(あんまり都合が良くない主人公として)」というものの成立がされるには市場の確率は難しいのだろうか? その可能性があるのが、やっぱりライトを対象にしているよりも、(訴求対象から、市場から見て)エロゲーらしいのだが、女の子がもえもえじゃなくて、数時間でプレイが終わって、「普通」の人間「も」出てくるのならやってもいいかも、って、それは普通の小説読めばいいんじゃ……。読み飛ばしたい。とにかく読み飛ばしたいんだ俺は。

 書いていて自分でもなんだこれ、と思ったが、要は、好きなものを存分に読み飛ばしたい、ってことです。沢山、引用なんて影響なんてなくて、ただ、読み飛ばしていきたいです健康の為これからの俺の健康の為に健康の為に。