またたきを探して溝の中へと

短期で新しい仕事が始まり、研修をして一応は真面目に働いている。仕事中は当たり前だがサボったりしないし、給料分はきちんと働きたい、働くべきだと考えている。

 だけれど、俺は仕事をすぐに辞めるし苦痛で不安で仕方がない。上辺のコミュニケーションはとても得意だし、相手が喜んでくれたら俺も嬉しい!みたいな単純な所もあるので、人間嫌いではないのだが、些細な事で激昂や狼狽してしまい、薬で抑えても何日も何年もそれが残る。

 薬を飲むのも十数年続けていると馬鹿らしくなってくる、虚しくなってくる。専門家ではないので間違ってことを書いているかもしれないが、薬には必ず大なり小なり副作用というものがある。効き目が強いものほど副作用も強めに出るものが多いらしい。

 薬を飲むと一応、症状は緩和されるが、その代わり想像しようとか創作物に触れようという意識、意欲も減退する。

 だとしたら、俺は何で生活や労働を続けているのか? それを無くしてまで生きている意義って何だろう。

 昨日今日、またギャンブルでかなりの金を溶かした。というか、毎日数万溶かしている。俺の収入、月収以上だ。クレカでの支払いなので未だ猶予はあるが、賭けに負けた後、さらに負けたんだ。

 日々の不満やストレスへの依存先がギャンブルになってしまった。大なり小なり誰でも何かに依存している、頼りにしているとは思うが、俺みたいな躁鬱とギャンブルの相性は抜群! いや、最悪だ。勝つまで続ける。稀に勝ってそれなりの金額をてにしても、それをかけてしまうから、結局手元に金は残らない。熱狂と焦燥の時間だけを手に入れるだけ。

 依存症、なのかは分からないが、自分がギャンブルに依存しているのは自覚すべきだと思った。

 最低限の生活費、気分に余裕がないと本を読む気にすらなれない。何かの、誰かの表現に触れて人生は豊かになる。現実の生活よりも本や映画音楽美術等、創作物の世界は自由で傲慢で我儘で突飛で麗しくって下品で優しくって嘘つきで矛盾していて、とにかく様々な物がつまっていて好きだ

 誰かが本気で作り上げた妄想の王国が好きなんだ。

 俺も、お金にはなっていないが妄想の王国、小説を書き続けていた。でも、三十代を半ばを過ぎて精神的にもうだめかもしれないと思うことが多くなってきた。

 それでも騙し騙し、空元気でなんとか日銭を稼いで薬を飲んできたけれど、疲れた。同じ苦しみを何度も繰り返していると、身体がすり減ってくる。将来の展望が見えなくなる。

 それを視野狭窄と呼ぶのかもしれないが、俺の人生ガキの頃から瞬いては消える小さな光をずっと追いかけているようだ。安定、というものなんて、皆無ではないがほとんどなかった。

 光が、光の幻覚が見たい欲しい。

 結果、己の愚かさで、依存先にギャンブルを見出し自滅した。

 正直、今この瞬間もギャンブルがしたい。こう文章にして書くと、やはり自分がギャンブル「にも」依存しているのかと思う。

 知らない内に俺は精神まで腐ってきているのか。まだ、歯止めは効くのか。分からない。分からないんだ。