あほうシャボン

 足に小さな血の痕。昨日、久しぶりにマーチンを履いたせいだ。高校生になって初めてマーチンを履いた時には、あの硬い皮で、靴下が血まみれになったことを思いだす。大好きな多田由美の漫画のシーンを思い出す。

 悪ガキ同士でロックな靴自慢をしていて、「マーチンなら特許をとっていて十年履けるぜ」というガキに「十年このつもりをする気はねえよ」と告げる、そいつはとってもかっこよくて、でも、俺は十年過ぎても、たまに履いてしまうんだ、マーチン。


 外に出るときは大音量で音楽を聴いていて、注意力が散漫になっていて、自動車にひかれかけて、こういうことはたびたびあるんだけれど、セルジュ・ゲンスブールの曲を思い出す。「ジャズと自動車事故」 。クールだ、至上の贋物セルジュ。でも俺が聴いていたのはジャズじゃなくて、テクノ、テクノばかりの生活。

 かといって金がないからクラブに行けるわけでもない、っていうか、クラブ自体あんまり好きじゃなくて、それはあそこがハッピーな人の為にあるからかもしれない。あそこは俺にとっては、幸福な疎外感の為の場所だ。

 また渋谷の公園でシャボン玉をガーしてると、大量のちびっこにからまれて、休日だから人が多いし早々に原宿のジャングルジムに避難する、とそこにも遊んでいる子がいて、その子らを待ちながら取れてしまったナメコのストラップをどうにかして直そうとしていて、遊んでいた子が帰った、と思ったら別の子が来て、心が折れて別の場所で暇つぶしをすることにする、

 時にIpodを落として、イヤホンを駄目にしてしまった。金が無いのにまた出費なのか、と我に返った。そして人々の声が耳に入ってきてしまう。

 雑踏、から発せられるノイズ。ノイズ我に帰ってしまう。ノイズ、我に返ってしまう。

 雑踏のノイズも悪くない、かもしれない、けれどよく分からない、し、とにかく一番安いイヤホン、ってことでヘッド部分にラインストーンが施された、ギャル向け(だけど売れなかった)投げ売り品を買う。ちょっと違和感があるが、まあ、もともと安物を使っていたんだ、慣れるすぐに慣れるはずだ。

 ジャングルジムに戻ると運動をしているグループや色々質問をしている子どもら、が帰った後で一人のんびりできる、と思ったら、風の関係である店の前に大量にシャボンが向かってしまって、それを店の人が怒り狂ったように両手を振り回すのを見てしまった。本当に厭そうだった。しかもその人は定期的に外を見て、俺を監視しているようだった。

 シャボン玉は発射する方向決めるだけで、後は風に乗ってしまうのだから、特定の場所というか、人や店前にはいかないように配慮しているつもりなのに、それが相手に伝わることはないだろう。

 一気にここ数日の疲れがのしかかってきて、ジャングルジムのてっぺんで、ぼんやりしていたら、いきなりフラッシュがして、途方に暮れている俺は、また許可なく誰かに撮影されていた。当然、その人は撮った後は何も告げずにさっさとそこから消えた。

 あんな目立つ所でシャボン玉なんかしている俺が悪いとは思うけれど、こういうのって厭だなと思う。シャボン玉を自由に吹けないのも、相手の許可をとらずに撮影をするのも。

 力が抜けてきて、でも、ボタンを押すだけでシャボンは出てくれるから、うれしい。テクノミュージックの中で、視界がシャボンばかりになると、やっぱり心が楽になる。


 ふと、深夜ならば店も閉まっているし、人も少ないだろうし、最適かなと思った。深夜のジャングルジムでシャボン玉なんて完全に不審者なんだけれど、それでもいいかな、でも、なんか、疲れてきてしまった。

 でも行きたいな、行かなくっちゃ。こういう状況があまりよろしくない兆候だと気づいてはいるけれど、バカなことが出来るうちにしよう。きっと、それは間抜けでもかなしい事じゃないと、そう思うから。