赦して、サイコパスオーパーツダーリン
テクノを聞き始めの時ってケンイシイから入ったなあ、と懐かしく思い出した。ガキの頃は電子音のインストを聞いただけで少し大人ぶった気になっていたのだ。
十代のころは男なら皆、カート・コバーン、女ならアンナ・カリーナか浜崎あゆみか川久保玲になりたいんだってそこそこ真面目に思っていたが、かなり見当違いだと知ることになる。
見当違いばかりの人生。
テクノの中でも、ポップソングが好きな俺はハウスミュージックを知ることになるけれど、クラブは特に好きにならなかった。ひどく飽き性だからだろうか。雑踏は好きなのだが、雑踏で立ち尽くしたままだと思うとぞっとする。
俺が大学生だったころ、ダフトパンクがとても流行っていて、コンビニとかでも「ワンモーターイム!」って流れていたような気がする。
当時仲が良かった教授に「ダフトパンクは好きだけど、なんかきれいな感じがする」と「きれい」を言葉足らずで、自分としては少し否定的なニュアンスも含めていったのだが、教授に「あんなのただのベタなダンスミュージックじゃないか」と笑われた。
後日、俺が大学のキャンパスでバグルスを流していた時にその教授が通りかかって、嬉しそうに「何でバグルスを流してるの?」と言われた時に、はっと思った。その時は思っただけで言葉にはできなかったけれど。
哀しくてチープできれいなのだ。バグルスもダフトパンクも(一部の楽曲が)。
https://www.youtube.com/watch?v=QOngRDVtEQI
Daft Punk - Digital Love
https://www.youtube.com/watch?v=N7_HCriSm5U
THE BUGGLES【CLEAN CLEAN】1980
俺が思うハウスミュージックの条件は、華やかでベタでキュートで虚しい。踊れても踊れなくてもいい。でも、単にこれは定義というよりも俺の好みの話になってしまうのだけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=UdSI8R3nank
エンジェリックがなかったからこの曲で、というかこの曲も相当好きで相当すごい。
俺にとっての、誰かにとっての最高のハウスミュージック。チープで虚しくて狂おしい位キュート。ブルースの、歌謡曲のエッセンスとチープな電子音は最高に相性が良い(と思う)。ポップソングはやっぱりキュートじゃなくちゃいけないと思う。
きらきらした音楽が、消えそいりうな音楽が、鬱々としてしまう音楽が、耳を刺すような、ノイズ、ガラージロックみたいなポップソングが好きなんだ。
けれどもそんな地に足がつかないものばかり好きな俺は、実生活でも地に足がついておらず、投薬と惰眠と求職の日々。多分、本当にハウスミュージックが好きな人は健康的な人だと思う。ハウスミュージックが哀しいから惚れてしまう、なんて思っていると日常生活に支障が出る。
薬を飲むと、思考に靄がかかる。何もできなくなって落ち着く。何もできないのはヤバイと思ってそれを止めると、そわそわイライラうつうつしてくる。
様々なことを試して、十代からこの調子なのだ。死にたいとか生きたいとかではなく、安定したいと思う。思考の統合、志向性の編集、なんて想起するとうわーってなる。安定したい。
それには何かを作るのがいいらしい。建設的な思考、或いは趣味の時間はその人を落ち着かせる、豊かにする。はずだ。
ということで何か作ろう、と思っても先立つものがないからダメだとか、それより早く就業するべきだなんて思いがちらついてどうもうまくいかない。
でも、どうでもいいものを作るのって、とても素敵なことだ。まるでハウスミュージックのように、ダサイエレポップのように素敵。
俺に資金と技術があるなら、宝石を作りたいなと思う。MTGというカードゲームが好きなのだが、アーティファクトという単語を目にするとわくわくする。古代の超技術とか失われた部品とか、そういったイメージを喚起する人工遺物。
アーティファクト、人造髑髏の宝石を作る、作れるならばなんて素敵なんだろう。万が一職業につくならメシアが素敵だと思う。キリストになって石をパンにして街のおいしいパンやさんになる。メシアのパン。望むならワインもどうぞ。バイトに裏切られそうだけれど。
将来はオーパーツ職人になるのもいいな。オーパーツ。解明されていても、記事を読んだって、解明されていないことにしている(自分の中で)。
なんて阿呆なことを書くのが、リハビリテーションにはいいのかもしれない。ひどいはなし。阿保の人生。しかし俺の人生。
最近はクラウドファンディングというのが流行っているそうで、とてもいいことだと思う。俺の知らない人や俺が一方的に知っている有名な方々まで多くの人が活用している。
今俺が作れるならなんだろう、と考えて「免罪符」が欲しいと思った。俺は神も生まれ変わりも信じていない。でも、免罪符って、本当にゲスでロマンティックでキュートだと思う。お金を払って罪なんか消えるか! バカ! クズ! お前が犯した記録は記憶は永遠に残るんだ!! お前が忘れても俺がお前の罪の汚泥の記録を覚えていてやる糞野郎! 人型の泥人形め!
なんて思いを胸に免罪符を作成するとしたら、今流行りのたべものエッセイみたいで、ほっこりしますね。しますね。
免罪符が売っていたら欲しい。罪を許してほしいんじゃなくて、その存在があまりにも阿保らしいから。ジッドの『偽金つくり』も学生の頃読んだなあ、内容忘れちゃったなあ、『偽金』をつくるのも中々キュートだと思うが、一般市民(俺)が免罪符を作るのもキュート、つまり相当馬鹿げていると思う。
叶うならクラウドファンディングで免罪符を作りたい。俺が手書きで作るよ。紙切れが数万円になる。これを俺ではなく著名人がしたなら、悪趣味な人に多少、需要がありそうな気がする。ただ、アートとしての免罪符作りではなく、ゴミ(金銭的価値がついて流通しない)としての免罪符が、俺が求める免罪符の在り方だ。
俺のような信仰心なき一般人が「免罪符」を売りつけるというのは、突っ込みどころが多くて、本当にバカげていて、「まるで気狂いみたい」で中々キュートだと思う。
欲しいな、免罪符。行ったことがないのだが、コミケ、コミティアに行けば売っているのだろうか? 聖人が作ったのはいらないです、一般市民が心をこめないで作ったのが欲しいんだ。心をこめて免罪符を作る? 君大丈夫? 病院に行ったほうがいいかもよ?
数量限定! 今話題の「免罪符」の委託販売を開始しました!
今日は自分にごほうびとして、ラデュレのイスパハンとクソザコナメクジなパンピーの免罪符を買いました(インスタ映え、パチー)
とか、自分でタイプしていて、頭がくらくらしてくる。バカだ。好きだ。
まるで、質の悪いアルコール、或いはハウスミュージック。キュート。つまり現実逃避。でも、何が現実なのか分からない。ギュスターヴ・モロー大先生のありがたいお言葉、
「私は自分の目にみえないものしか信じない。自分の内的感情以外に、私にとって永遠確実と思われるものはない」
ああ、すてき。なんだかねむくなってきた。ながくねむれるように、おくすりでものんでねることにします。そうだんしようそうしよう。せきしてもひとり。