久しぶりやあ久し振り

 



ぼんやりとした身体で、いつにもまして自分の身体が自分の物ではないような気がしてまう今日この頃ではあるが、ふと、思い出すブリジット・バルドーが歌う、「私の身体は彼の物」

 この曲はコケティッシュで短いポップソングで、バルドーが歌うと全くいやらしくない、太陽の下の微笑のような、そう、川端の『伊豆の踊子』の、ひねくれ者の主人公がほっとした踊子の「子ども」らしさのような、そんな清々しさがあって、一瞬だけ俺も気持ちが明るくなる、から外出をする。

 特にファンと言うわけではないのだが、bunkamuraで展示が行われているとレヴァー・ブラウンを見に行く。俺は多分少年少女、みたいな、要するに漫画やゲームの登場人物的なモチーフが好きなんだと思っているのだが、彼(彼女?)の作品はちょこっと好き位で、そこまで期待はせずに向かったのだが、やはりあの、ギャラリーに大量の作品が陳列、いや、整列している空間と言うのは気分がいいもので、ひとつひとつに思い入れがあるわけでもないのに、来て良かったと思った。

 会場ではジャケットを担当しているアーバンギャルドのCDも売られていて、俺はこの二つのアーティストのコラボはとてもはまっていると思うのだが、微妙に、自分の好みとは外れていて、それは、どちらからも死の匂いがしないからだと思う。どちらも過激であったり残酷であったりするけれど、良い意味でキッチュで、死の温床である倦怠はほとんど薫らない、と思う。まあ、アーバンギャルドは結構好きだし、俺の好みとは違うだけだって話なのだが。

 会場で別の展示のチラシを手にすると、澁澤龍彦の『犬狼都市』(の盲導犬)の舞台化が宣伝されていて、舞台に行く余裕も(一番安い席で5000円だ!)嗜好もないのに、何だか強く惹かれてしまった。

 俺がとても好きな「優秀な」浅田彰が何度か、澁澤をけちょんけちょんに「過去の遺物」だとけなしていたことがあって、その発言は「優秀」な彼らしく間違いだとは思われないのだが、澁澤が圧倒的に優れているところがあって、それは、彼が顔のいいおぼっちゃま、ということだ。

 彼の文学的功績、なんてことは脇に置く。彼自身、そして奥さんも発言しているが、色々な(当時は)スキャンダラスな事件に関わったりそうした著作を出版しながらも「驚くべきノルマル」な、物知りイケメンの普通のおぼっちゃま、であることがどれだけ素晴らしい事かは、彼の後継者が皆無なことを考えても意識されていいはずだ。

 私設図書館の小さな王子様。少女マンガ(は詳しくないけど)の登場人物みたいでかっこいいじゃないか。俺は浅田彰の「漫画的(! つまりそんな人はほぼ存在しないのだ!)秀才さ」も、澁澤龍彦の「漫画の王子様」的役割を演じることが出来る資質も、同じように素敵なものだと思う。

 澁澤龍彦の著作で一番好きなのは『フローラ逍遥』という、ボタニカルアートに短いエッセイが寄せられた、さらりと読める佳品といった趣の作品で、俺は彼の筆の力をそこまでいいものだと思っていないが、いいじゃないか、王子様が気のきいたエッセイを書いてくれるんだから、な。

 少年少女、というものに以上に執着して、自著において「少年とは」「少女とは」とか詩的言葉を弄して定義して悦に入る方がいて、彼らは自著の中ではその箱庭の、私設図書館の中の監察人であったり登場人物であるのかもしれないが、そもそも彼を、彼女を定義する、という行いこそが野暮極まりない行為だ、ということに何で気づかないのだろうと不思議に思う。自分の言葉で、悦楽の為に、愛おしい対象を言葉の鎖で(でも彼らはそれを高級品だと思っているはずだ)捉えるのって、どんな気分なんだろう? 密やかな緊縛、楽しいのかな、楽しいんだろうな。

 俺らお前らなんかから、すり抜けるからこそ、彼らは輝かしいんじゃないのか?

 とかいう俺の帰属意識に対する過敏な恐れなのか嫌悪なのか吐き気なのかは、自分のことながら辟易してしまうことがあり、なあ、だって俺だって、自分を定義して提出して否応なく属してしまっている社会から小銭を稼がなきゃあならないんだ王子じゃないからさ、俺。いつでもすり抜ける逃げ去る消え去る志向性の先を至高性の輝きをぼんやり夢想してるだけじゃあ駄目だ。

 でも相変わらず家ではイヤホンと耳栓が手放せず、全くリラックスが出来ないわけで、でもテレビデオ(!)で再生する、この前100円で買った、世界の遺産シリーズは、ぼんやり流していると、少し、気が楽になってくる。時折視界に入る聖堂、遺跡、らは俺とは違って真面目な人らが、どこかにちゃんと属してる人が作っているんだろうなあと思いつつ、やはりそんなの俺には関係が無い事で、大きな建造物と言うのはそれだけでそれなりに楽しめてしまうし、飽きてしまう。しかし何度も繰り返しが出来る。テープ一本一時間程度で、短いのもいい。

 うんざりする繰り返しからどうにかして逃げ出すことばかり考えている俺は、王子になんて面倒そうだしなりたくないけれど、旅人だなんて恰好の良いものでもなく、というよりもそういう定義からは遠く離れているように思えて、その点に関しては少しだけほっとして、気が楽になるような。