デジャヴの中年

外に出て、へとへとになったり、家の中でひたすら過眠とか、おかしを食べすぎたり。本を読もうとか、文章を書こうという気になれない。新しいことをしようとする気力がわかない。

 結構な期間通院をしていて、色んなお医者さんに「(ゆっくりと効果がでてきますから)あせらずにいきましょう」というようなことを言われて、これで何人目だろう何度目だろうと、デジャヴに襲われる。

 何度も何度もこんな風にして誤魔化して、生き延びてきたのだなあ、でも、それも駄目になってきているのかなあと、最近はそんなことばかり考えているし、とにかく眠ってしまう。でも、そのツケは時間の浪費として払わねばならないのだ。

 何もできない、何も生みだせないというのは、精神上非常によろしくないし、ずっと俺、沼の中でもがいて、そのまま沈んでいくのかな、多分。その前に、空元気が出た時には、何でもいい、綺麗な物が見れたら書けたらいいな。

 久しぶりに澁澤龍彦のエッセイをパラパラと読んでいて『極楽鳥とカタツムリ』というエッセイ集の中で、極楽鳥に関する昔の人達の妄想混じりの記述が面白かった。澁澤もそれを面白がっていた。現実の鳥よりも、「極楽」に住む鳥についてああでもないこうでもないと妄想する、というのはとても楽しい。

 ふと、今の自分にはファンタジーとか妄想とか愛情とか欲望とか、色んなのが足りていないのだなあと気づかされる。過眠で、惰眠で、自分を守る。世界と自分とを遮断して、小汚い布団の繭の中でゆっくり、腐り、癒され、駄目になる。

 そんなの好きじゃない、好きじゃないのにな。でも、俺も俺に優しくしなきゃいけないんだ。眠るしか逃げるしかないのなら、そうするしかない。

 十年ぶり位に、オードリー・ヘップバーンフレッド・アステア出演の映画『パリの恋人』を見る。本当にかわいくってご都合主義でカラフルで素敵な映画。幸福な映画。幸福な映画を見られるなんて、なんて幸せな事なんだろう!

 一人で家にいたり、金(仕事)のための言葉、その場の会話を成立させるための言葉ばかり喋っていると、気が狂って当然だ。だから、無意味でも虚空に吠えるような気持でも、何か口にする方がいいんだ、好きなことを、自分の素直な言葉を。沼の中にうずめてしまうとしても。そうやって、いきてきたんだ、これからも。うんざりする。でも、それ以外分からない。