早くボタンを連打して

 俺は集中力が無い、ので映画を見るのがじっとしているのが苦手なのだが映画を見なければならないらしいのだ。大変だ。

 でも、久しぶりに見る、ブリジット・バルドーの『わたしのお医者さま』は見る前からわくわくしていて、だってバルドーの映画なんだ! だからバルド−が映っていれば動いているのを見られればそれでよかった、東北新社が発売元のシリーズは、ジャケットを森本美由紀が描いていて、森本の描くバルドーも超キュートで大好きだ、それに、バルドーの映画って、監督がバルドーを撮ることを喜んで撮影しているようにさえ見える。でも、それがすごく正しい撮影方法なんだって思えるんだ、バルドー、

 しかし何故か音声がフランス語ではなく英語で、嫌な予感がした、的中した、この映画は全然バルドーが出てこない! DVDのジャケットに彼女が大きく印刷されているってのに! 30分過ぎてようやく出てきたバルドー。主演は、男優だった。どっかで見たような、古き良きアメリカ(なんだそれ)イケメン(後で知ったけど、若き日のダーク・ボガードだって。へーびっくりした! だからどうした)。バルドーは添え物だった。なんだそれ。映画は、普通のコメディ。特に感想なし。でも短い出番のバルドーが元気に動いて「すら」いないのには閉口した。映画としては普通の無難なコメディ。でも、アイドル映画でも、いいじゃん。


 そして続いての、俺にとってアイドル映画。『エゴン・シーレ~愛欲と陶酔の日々~ 』を見る。本当は芸術家と言う名のアイドルを映画化したものはあまり見たいとは思わないのだが、なんか、借りてしまった。

 いかにもシーレのファンをつろうとしているタイトルとは対照的な映画だった。だってさ、音楽Brian Enoなんだぜ! 陰鬱で浮遊感のあるアンビエントやら「耳を刺すアンビエント」で映画を彩ってくれる。

 その映画の中身も良かった。光源を抑えた画面で、事件に巻き込まれ、死に行く画家の、普通の生活を淡々と撮っている。この頃の画家には必須ともいえるヌードの女性も、登場するが単なるオブジェとして撮られているし、盛り上がりに欠ける作中にある多少の『叫びやささやき』も、一定の距離感を置いて撮られている。

 主演している俳優はジャコメッティコクトー顔というか、面長でやや頬のこけた、やけに鼻の高い、神経質そうな男で、美男子ではないが、役柄に合っているし、それに、こういう顔の男は個人的に「かっこいい」と思っている。

 あとこの映画にはジェーン・バーキンも出演している。俺は彼女のCDも持っているし、インタビューに答える彼女はいつも真面目でキュートな印象を受けるし、写真の中の彼女はとてもキュートなのだが、何故だか、動いている、映画の中の彼女を魅力的だと感じることがほぼない。女がいるな、程度の感想しか思い当たらない。

 でも、俺が初めてそんなバーキンを可愛いと思えた映画、セルジュ・ゲンスブールと共演した『硝子の墓標』という映画がある。これこそ、最高のアイドル映画だ! ラストの「セーーーーーーーーールジュ!!!」というバーキンの叫び声を聞いて、やっと、俺は彼女が好きになった。

 セルジュ(バーキン)のファン以外から見たらかなりのクソ映画。しかもこれもシーレの映画のように、配給が客寄せの為のいかした邦題を付けている。『硝子の墓標』なんてかっこいいだろ? でも、原題はCannabis 。ちゃんと向こうではB級アクション映画としての認識があったはずだ(実際はF級アクション映画だけど)。

 しかもそのサントラというか主題歌も、アイドル映画として最高だ! 超大袈裟なオケをバックにセルジュが、「死は子供の顔をしている 冷たいその手で 俺をけっして離さない(この歌詞絶対に間違っているが、めんどいので調べない でもこんな感じのアホな歌詞)」とか、超かっこつけて囁く、アイドルの為のアイドルのファンの為の、最高の陶酔ミュージックだ。

  でも、オサレ映画として売り出さなきゃね、生活がかかっている人がいるから、嘘ついて金儲けしなきゃ困る人がいるからね、


 映画を見を終わる頃から急に、といっても別に珍しいことではないが、(略)外に出ることにした。以前も行った四谷の教会ショップに行くことに決めた。とにかく、沢山のキリストが欲しかった。教会ショップなら、百円二百円で、キリストのペンダントトップ(メダイ)が買えるのだ。信者の寄付で、善意で成り立っていること位知っているけれど、でも、俺も、キリストカッコイイと思うから、許して欲しい(普通に誰でも買えますけどね!)

 一応ホームページをみて行き先と住所と開いているかどうかを確認したのだが、年末年始のスケジュールが何故か掲載されていない。この時期だししまっているのかな、と思いながらも、家にいるわけにはいかなかった。メモを片手に外に出る。

 俺は電車が苦手だ。「こ・ん・に・ち・は」という音素、音節が本来は挨拶を意味しないように、電車の何がどこに行くとか、何線で快速とか止まる駅がどうかとか、東京に住んでいて、頻繁に利用している癖に全然頭に入らない。そんな「決まりごと」まで覚えなきゃいけないなんて!(訳:電車が複雑で難しいので一人で乗るの大変です)

 というか、実際今日の帰り、家とは反対方向の電車に乗り、すぐに気付いて車内から飛び出し「あぶないあぶない」と長い階段を上って別の電車に乗ると、それも俺を家には返してくれなかった。電光掲示板に映る、知らない名前を目にしつつ、自分でちょっと自分に「ひいた」

 でも、いつもはちゃんと乗れるよ電車。

 教会ショップはしまっていた。周囲の店もほとんどシャッターが下りていた。やはり六日からの営業だった。連絡しようとしていたタトゥーショップも、六日から。どうすればキリストに会えるんだ俺。

 でも、ここは四谷だ。数年ぶりに、駅近くの、大きく有名な教会に足を運んだ。教会はいつでもはいれる(と思う)と「知っていたので恐る恐る」、礼拝室、大講堂、何か分からないがそんな感じの部屋へと足を踏み入れた。広い講堂の中で、まばらな、十人に満たぬ人々が黙し、椅子に座っていた。

 俺は一番前の椅子に座る。そこからでも、少しキリストとの距離がある。でも、とにかく椅子に座れて、少し、気が楽になった。身体の疲れを、意識した。

 別に何が起こるわけでもなく、期待していたわけでもなく、いつもの雑念がふにゃふにゃとわいてきて、その内の一つ、信仰の厚いアメリカとかでは冬にホームレスを受け入れたり炊き出しを頻繁に行っているはずだが、ここはどうだろう? そういった様子は、少なくとも今日は見られなかった、てか、今、そういうことを考えちゃ駄目だ。俺はホームレスにならないだろうし、俺はホームレスを助けられない助けない。

 キリストを見る。立ちあがり、近づき、数メートル上に浮かびあがっている彼を見上げる。背面で十字を表しているものの、その木製だかブロンズ製だかに見えたキリストは、上向きの矢印のような姿をしていた。宗教画の構図なら、その天に昇るキリストの周りを、天使が祝福していることだろう。でも、やはり十字架に架けられている打ちつけられているキリストじゃなきゃ、嫌だ。

 俺の家に貼っている、グリューネヴァルトのイーゼンハイムの磔刑画の、苦悶の表情を浮かべうなだれるキリストの「コピー」の方が、ずっと魅力的だと思った。君は、架けられるべきなんだ。間違っているか? 馬鹿げているか?

 そんな俺にキリストが答えた、

「お前よーどーせ帰りに新宿通る、てか、寄るだろ、そんだったらちゃんとCDと服とゲーム買えよ。さぼんじゃねーぞ」

 神様がそう言うなら仕方がない、ので、CD4枚、ネクタイ二本、シャツ一枚、ゲーム一個を購入した。だって、神様が言うんだもん。仕方がないだろ。

 全く説得力が無いだろうが、一応、これでも買うものは選んでいる。欲しくても、値の張る物は避け、自分の状況をわきまえ……わきまえていたら何も買わないんじゃ、じゃかましいわ! 買わなきゃやっとらんで怒るでしかし!(やすしさんだっけ? これ?)


 はなまるうどんで本日初めての食事、夕食をとる。いつも105円のかけを注文している。はなまるうどんは俺の良く行く渋谷原宿新宿秋葉原にあるので、とても助かる。一人で食事をする時は良く行く。いつも同じメニュー。あくまで客寄せと言うか、サービス値というのは理解しているし、客単価を下げる最悪の客だな、とちょくちょく思いながら、その思いも、うどんを口にしている内に咀嚼することに意識が移り、緩やかに霧散する(てか、はなまるうどんって、値段の割にけっこうおいしいと思うよ)。TVで勝手に流れだす、どこかの戦争のニュースみたいに。

 一応食費は抑えられている、その分他の物が買える、と思えば、多少は気分が楽になる。でも、それが馬鹿な考えだとは自覚している。きちんと食べて、健康にならなきゃいや、もう少しマシにならなきゃね。

 オンラインだけではなく、物ばかり買っている。当然ここには書いていないものだって(全部の事を「日記」に書くのか?)でも、買わずにはいられないし、別に、依存的ではない。借金していないし! (そんなんが基準か?)

 あと、洋服屋で、洋服が好きに違いないお洒落な店員と、短い会話を交わすのも結構好きだ。店や店員に因るけれど。(オサレビルはノルマを達成しなければならないので、行くのが嫌だてか、買わない行かない。必死な店員が気持ち悪い。とにかく買わせればいいと思っている。客の事なんて考えていない。その点百貨店とか、お値段する系の店は店員に余裕があっていい、って、そんなとこ随分御無沙汰ですけどね!)

 でも、好意的な無関心というか、相手を思いながらも、少しだけ力になりたいな、って姿勢が伝わってくる人は好きだ。他人にも、少しだけなら力になれるんだ俺ら。それにやっぱ、洋服を好きで、プライドを持っている(ように見える)、人がきちんとしたコーディネートをして、しっかりと「仕事」をこなしている姿を見るのが、交わす短い会話が好きだ。

 ファッションに限らず、きちんと、相手の事を考えられる人が好きだ。相手がいて自分がいる。シーレの師匠のクリムトの画を俺は好きではないのだが、彼は私生活でもあんな感じの、「自分がいて、周りに快楽やらを提供する他者がいる」といった思考の持ち主だっただろう。谷崎潤一郎もそういったタイプだと思う、のだが、文章はやはり引き込まれるというか、こんなことを書くのもアホらしいが「うまく」、人とも文とも相性が悪いけれど、ちょこちょこよまなきゃな、と高校の頃から思い続け、数年に一冊位は読んでいる。

 こういった思いやりについてはとても難しいというか、単純に相性の問題だと、そう思うようになってきている。そして、それを無理に曲げなくてもいいのだと、そう思うようになってきている。

 六日まで、後少し。買ったゲームは『キングダムハーツ re coded』ソラ君と早く冒険に行かなくっちゃ。でも、ちょっと嫌なのが、落ち着きのない俺はAボタンを連打するくせがあり、DSのAボタンが壊れ、レスポンスが悪くなっていること。未だ、一応使えるんだけど、新しいのを買うなんて考えたくない。でも、とにかくAボタンを連打したいんだ俺。

 六日まで。日々、少しずつすり減っているような感覚と共に、予定があるのはやはりいいことなんだって、そう思う。心から。god bless you too 俺は無神論者です。