俺の中の傷口、星座

クソ腹立たしいことやげんなりしていしまうことがしばしば、温厚な、努めて論理的にしゃべる自分が、人間の言葉を話しているとは思えない。あーあ、

 なんて思いながらも月末の支払い、魔法の箱、パトロン、スポンサー、ATM,大好きだ。human league のクソださいエレポップ、kiss the futureが脳内に流れる。

 現実逃避なのか現実で生きるの為なのかまた、タトゥーを入れなくっちゃって衝動がむらむらとわいてきて、でもこういうのって想像だけで十分に楽しいものだ。ほら、新しい服を買ったら、合わせに別のも欲しくなってしまうじゃん? 少しだけだなんて、やっぱりさびしいじゃんか。

 俺がすごい金持だったなら、迷わず、たくさん入れるのだけれど。

 元スパンクハッピーの岩瀬瞳のキューとな発言を思い出す。彼女はあのスノッブ(笑)で性格がひん曲がってナイーブな(褒め言葉だ)きくちせんせのオーディションでマイケルジャクソンとかモーニング娘が好きとか発言したそうだ。そして、合格した。

 電気関係の会社で働くOLの彼女は、インタヴューではほとんどしゃべらない。適当に微笑むだけ。きくちせんせの歌詞だって、ほぼ理解していないだろうし、その必要もないだろう。きくちが電気OLの彼女の為に書いた「アンニュイ・エレクトリーク」

https://www.youtube.com/watch?v=YUKCtSomBXM

 大きな音とブランデーが好きなのは 痺れるくらい退屈にしてくれるからなの

 

 DJあなたは匂いも味もしないの セルロイドの香りだけが切ないわ

 フロアにいるクールなだけの人たち ねえあたしが泣きたくなるような 

 曲は聞かせないで 聞かせないで 聞かせないで



 この店もそのうちつぶれるわ それまでせいぜい電気を消費して欲しいわ

 こんな風に素敵 退屈な夜も 電気がなくちゃ 私何もできないから


「私毎日マクドナルドばっかり食べてたら、人を殺したくなっちゃいました」
「大金持ちになったら、かのうしまいみたいに、全身整形したいです!」

 彼女はそんなキュートな発言をしていた。

 俺も以前のバイトの最中、ドナルドの肉ばかり口にしていたら、思考能力がで低下して、ピンクスライム製の、ゾンビみたいになっていくような感じがしていた(もちろんドナルドだけのせいじゃない。グリマスとか、ハンバーグラーとかもいるし)。

 俺は不細工でも美形でもないけれど、美しい顔、骨格にはあこがれがあって、自分の顔の許せない部分がいくつかある。整形手術でこことここを少し直せたら、なんて何度か考えたことはあるが、実行には移したことはない。恐ろしいことに多くのリスクを払って整形手術をしたとして、美しくなる保証もないし、メンテナンスの問題もあるのだ。
 
 それに、芸能人、美形であるべき仕事の人も、どこか、崩れている。完璧、という人は少ないし、逆に、なぜか完璧に近い容姿の人は、あまり活躍していないような印象も受ける。人は、俺は、好きな人の欠損や欠点をひどく愛してしまうのだ。

 その点、タトゥーとは一種の欠損、欠点かもしれない。いろいろなところで差別を受けるし、日本社会では肩身がかなりせまい。

 次に入れるなら花のタトゥーと決めていたのだが、何を入れるのかはぼんやりとしたまま。洋服もそうだが、自分の好きな花と、似合うものは別物なのだ。多分、花の中で一番好きなのはバラだけれど、自分に薔薇が似合うとは、自分の肌に薔薇が咲くとは、考えにくい。

 花屋の店先を通るたび、自分の肌に似合う花びらを探している。蓮も好きなんだ、でも、似合わないんだ。

 でも、先日、ふと、道を歩いている途中で、黒百合を鎖骨の下に咲かせるのはどうかな、と思い、その考えに取りつかれてしまって、ひどく、気分が良かった。百合の、週末を告げる天使のラッパのような形状はとても好みだった。十字架のタトゥーにも似合いだと思う。

 一度決めるとそればかりになってしまうのが俺の悪い癖で、黒百合の画像を検索して、図案はどうしようかとか値段は六万円前後かなとか色々と試行錯誤していたのだが、一番の問題は、そう、金で、スポンサー、パトロン、ATMに魔法で出してもらうことはできるけれど、俺の中の数少ない良心が、「もっと自分の身体(生活)を大切にしてくださいね」囁く。

 げんなり。我に返ってしまう。でも、シラフで人生生きられるかよ(逆ギレ!)

 ってなことで、最近見た映画の感想。


 木下恵介監督、高峰秀子主演『カルメン故郷に帰る』。正直木下恵介はそこそこ好き、みたいな感じの印象だったのだけれど、この映画はとても面白かった。

芸術家気取りで故郷に戻った少し頭の弱いストリッパー、リリー・カルメンが、地元の人たちを巻き込み大騒動を繰り広げる。

 田舎の封建的な社会とカルメンが昔好きだった盲目になった奥さんもいるオルガン弾き、娘の職業がどうしてもゆるせないけれど、あの馬鹿な娘が何かできたならとそれを許そうとする父親とか、いくつかの要素がうまく絡み合い、ただのコメディだけではない少しほろりとなる秀作に仕上がっている

 当たり役といってもいいかもしれない高峰秀子の「私はゲージツ家!」といったひょうひょうとした演技は頼もしい。ストリップ嬢が「ゲージツは理解されないものよ」とか口にしているのは、あほらしくも、たのもしい。ラストの終わりも爽やかでよかった。

 市川崑監督市川雷蔵『ぼんち』もすごくよかった。とくに言うことのない、安心して見ることのできる。監督、俳優。ぼんやりしている内に、時間が過ぎて行ってしまう、幸福。

 このコンビの『炎上』も大好きだ。『炎上』の中代達也もすばらしい演技だと思う。あの、押しの強い瞳。過剰でもありながら厭な感じのしないたたずまい。

 
船場を舞台に、若尾文子/中村玉緒/草笛光子越路吹雪山田五十鈴京マチ子らという豪華なメンツが出演しているのも華やかでいい。あと、またダメ色男役で船越英二がでているのもわくわくしてしまう(なんでこの人の息子はあんながんもどき顔なんだ…)。『あにいもうと』でも『黒い十人の女』でも美形で役に立たない感じが好ましい。

 でも、市川雷蔵はぱっと見で惹かれるような美男子といった顔ではないだろうが、演技をしている時の彼はとても魅力的で、色っぽくて、役者だなあという感じがする。本人は演技に関してはかなり熱いものをもっているらしく、色々と語っていた、ぶつかっていたそうだが、今度は彼の自伝か何かを読んでみたいなと思う。

 マレーシア映画『rain dog』を見る。

 都会で消息を絶った兄を捜すために家を出たテュンは、闇の世界へ足を踏み入れてしまう。そして、大人になった彼は、故郷へ帰ることができず…。


 といったあらすじの割には、ほのぼのとげんなりできる映画で、この映画は光の使い方がとても工夫されていて、外の陽光や室内の明かり、緊迫した画面の暗闇やかろうじて人影が分かる程度の画面、と丁寧な撮影がされていた。それに加えてカメラが点景人物の動きもきっちりととらえていたのが、画面に動きができていて良かった。

 のだけれど、なぜか物語にはあまり入り込めず、監督の撮影スタイルというか画面とショットは申し分ないと思うのだが、どこか、変にドラマチックというか、澱のように積み重なるセンチメンタリズムのようなものを感じた、

 って、俺がヨーロッパ映画(的)な、硬質の、ファッション写真的なフォトジェニックな画面や激情と突き放し、みたいなものが好みだからからかもしれないけれど。

 昔トラン・アン・ユンの映画を見たときも似たような感情を覚えたなあと思う。数年後に見返したら、また違う感想が生まれるだろうか?


 数年後、なんて思うとぞっとする。本当にぞっとする。だから、その前にやることはきちんとしておかなくっちゃなと思う。

 夢の中のタトゥー。俺の中の、傷口、星座。そのことを思うと、少し気分が楽になって、また、どうにかなりそうな気がして、近々、動物を見ることを思う。あの瞳。(本当はじっと目を見るのは良くないのだが)スイート眼球。タトゥーも、眼球の中の水晶のように、美しい。

 わかってはいるけれど、どうでもいい人と会話するときにしてしまう、俺の中に生まれるくだらない感情。もっと、好きなことについて、美しいものについて考えること。それと、小汚い俺の身体を、傷口に近付けるために俺。