君はぬすびと

 外にでると、そこかしこに満開の桜が視界に入る。風が強い日も多く、散る桜も咲き誇る桜もどちらも味わえて、なんだか豪奢な気分になる。桜は散る姿も味わえるから美しいと思う。側溝に貯められ棄てられる桜も、花筏になり流れ行く桜も。

 
 公園で見上げれば桜の花々。ふと、昔年上の少し仲良くしていた人に「君は他人の吐息を盗むような人になってほしい」と言われたことを思い出す。短気な俺はじゃあ手前でなれよ、と思いつつも、でも、その言葉は印象的でもあり、まあ、それ以前に俺は好きな人には甘いから、そうなれればいいです、とか答えた。今の俺はどうだろう?

買い物が多く、また、結構人に会い、少し阿呆なテンションだ。でも、まあ、阿呆な方がいいなあ、ってことで。


キルラキルというアニメが先日終了した。昔のアニメ、漫画を過激にオマージュしたらしい、べたで熱くてご都合主義でもなんでもいいけれども(というか、エンタメ作品はその性質上そうでなくてはならないのだが)力技で押し進む展開は単純に楽しめたし、元気をもらった。

 どうしても全話、十時間以上だかを拘束されることを考えると、アニメを見る気は失せて、見たいなあ、と思いつつも年に一、二本程度といったところだろうか。でも、アニメを見て、ありえない世界のありえない主人公たちの荒唐無稽な冒険を見ると、元気をもらえる。

 『監督不行届』という安野モヨコの漫画がある。安野モヨコと夫でエヴァ等の監督の庵野の夫婦生活のコメディ・エッセイ漫画なのだが、そのあとがきで庵野監督が、「妻の漫画は読む人に現実世界で生きるパワーを与えられて素晴らしい(しかし自分の作品はそういうタイプではない)」と語っていて、俺もそれに共感するし、敬意を持った夫婦関係も素敵だなと思った。

 でも、俺はまあ、元気なのも元気じゃないのもどちらも好き。

 なのだけれど、やはり元気がある、人が集まる、市場が形成されるような場でこそ生まれるものはあって、少しでもマニアックになると、生活に不必要な物になると、とたんに客が来ない、イベントも作りても生まれない、なんてことになる。でも、身が震えるほど好きなのは、そういう類のもので。

 でも、一見さんにもアピールする、ぱっと見でも了解できる幸福、魅力というのもまた、忘れてはいけないことのように思えて。

 先日渋谷PARCO PART1 B1階のロゴスギャラリーで行われた『約100人のブックカバー展』という展示を見に行ったのだが、様々な職業の人が考えた「架空の本屋さんの、架空のブックカバー」の展覧会。、それを全て一枚100円で陳列棚から購入できるということで、こういう展示としては珍しく(場所が渋谷のパルコという点を差し引いても)若い子の姿がとても多くて活気があっていいなあと思った。ギャラリーなんて人がわいわいしているのってレセプションだけ、しかも身内や業界人の名刺交換の場、みたいなげんなりする状況、なんてのがマシな方という有り様で、本当にそういう作品なんてほぼ誰にも求められてはいないし、まあ、道楽であって、それが寂しくも虚しくもありつつ、その伊達や酔狂かげんが、結構好きだ

 でも、まあ、わいわいしている方が、やっぱいいと思うけど。

 六本木のIMA CONCEPT STOREで行われている、森栄喜の展示を見に行く。とはいえ、カフェに併設されているギャラリーで、展示数は少ないのだが、やはり(写真集でみられるとはいえ)大きくプリントされた写真を見るのは単純に楽しい。

 ティルマンスのように、恋人との友人との親密で柔らかな連帯を捉える彼の写真。彼も、ティルマンスもゲイで、そして、マッチョではない、普通の、いや、少し先の細い青年や男性のセクシャルではあるがいやらしさがあまりない、幸福でしかしほんの少し物悲しい景色が広がっている。 彼らの暖かな風景。

 幸福な写真家について、盗人のような気がしたのはいつからだろうか? 彼らは幾つもの人物を収めて、ぬくもりと共に過去にしていく。俺がとても好きな写真家、アジェや中平卓馬のようなひりひりする震えとは別物の、親切な泥棒。しかし彼らは皆泥棒。幸福な。それを少しだけずるいような気がしてしまうのは、俺の性格がよろしくないせいか、それとも。


 でも、彼の作品の持つ親密さは、頼もしさとともに、ずるさ、なんてもののない他人(パートナー)を請け負う責任をも感じ取ることができる。要するに、頼もしいのだ。彼らはこれからも生活を続けていくというのが伝わってくるから。作品を作り続けるというのが伝わってくるから。

 あまり気があわないかも、と思っていた人と、治療途中で染みる歯で少し飲んで、ふたりきりになった時に、その人がやりたいことの話になって、その瞬間がその人と一番楽しい時間だと感じた。好きなことをしている人が、好きなことを使用としている人が、俺は好きだ。

 その人は彫師を目指していて、「なったら君に入れていい?」と言われた時、すこしどきりとしながらも、元気よく「はい」と答えた。

 共同作業を行う、行える人らは皆、セクシーでなければ、たらしでなければならないような気がして、なんだかそれを少し不謹慎(!)なことだと思いつつも、それが責任感のある盗人でも、暴力的な施術師でも、彼らの暖かさに元気をもらえる。


 ところで、俺は誰かの吐息を盗んできた、これたのだろうか、だなんてアルコールの残った頭で、アルコールが歯に染みながらも続ける恥知らず。