妄想してトーキョウはいいとこ

 青空の上で雲が大きく動き、やがて雷鳴と通り雨が降って、それも去って行くと、快晴の後に雨の匂い。歩きながら聞くエレクトロがよく似合う。

http://www.youtube.com/watch?v=VSkMpddYEYg

Disclosure - F For You


 軽い浮遊感と繰り返されるリズム。大音量で聞くと、オレの歩みと音がリンクするかのような気分の良さだ。いいことありそう、なんて。


 また、性懲りもなく狂った街、凍狂(トーキョウ)の魔都シンジュクのツタヤで十数枚もレンタルしてしまったわけで、でも、不思議と病的な感じはしていないというか、なんか晴れ晴れとした気分だ。何年も聞きたかったCDやら最近気になっているものらを手当たり次第に。ただ、それだけのことだ。

 でも、変わったなあ、と思うのは、レンタルなんてしないで中古で探していた学生時代は金もないし(今もか!)他に使う分もあるし、かなり考えて買っていたわけで、それだけに思い入れが強かったり、どこでいくらで買ったか、ジャケットを見れば思い出せるが、レンタルではそうはいかない。ずっと、あの時のままの熱量ではいられないけれど、今の生活だって、まあ、悪くない、ってことにして。

 闘牛の映画を見る。牛会いたいマジで。でも、多分、会ったからどうだって話なのだろうが…。都内で牛を見る、いや、触る、には農大にでも行けばいいのか…?


 マノレテ 情熱のマタドール、という最近撮影されたカラー映画は、もう、見る前から内容の予想がつくような出来の良い凡庸さで、途中で視聴をやめようかと思ったが、割りとはまり役らしいペネロペ・クルス、ではなくて牛がちらほら出てくるから(当たり前だ!)止められない。

 それよりも無声映画の、最近読んだヴィセンテ・B・イバニュス原作、『血と砂』の方がずっとクールだった。メモした紙を捨ててしまったのだが、

「オレは貧乏なんだ、貧乏人は死を賭けるしかないんだ」みたいなセリフにキュンときた。これも話の筋としては前述の映画と似たようなものだが、こっちのほうがずっとクールだ。スローモーションとか闘牛と性交のフラッシュバックとか、そういう出来が良すぎる映画サークルセンスはもう、げんなりしてしまう。それなら、『血と砂』のように死んだ勇士がアリーナで流した、わざとらしいほど大量の、モノクロの画面の真っ黒な血を係員が上から砂をさっさとかぶせてエンドクレジットが出てくる方がずっとクールだと思うのだけれど。

 
http://www.youtube.com/watch?v=7LKQ2WCgfCw&index=1&list=PL0E8E63C1F013A4CE

Overrocket - voice

気分が悪い時にエレクトロを聞くとそのまま音の世界に閉じこもりたくなるけれど、最近はようやく感性がわりと普通になってきたような。どこまでも歩いていけそうな気がする、エレクトロ。


http://www.youtube.com/watch?v=IGcj5MfaqyQ
  Genki Rockets (元気ロケッツ) - Crystal fall


  世界がいい具合にきらきらして見えるというか、感性がゾンビからサイボーグ並になったかのような。

 オレが好きな漫画やらゲームやらでたまに出てくる表現で、シャーマンが神の言葉を翻訳しようとして、その多すぎる情報だか神的な何かに触れて、発狂して廃人になる、というシーンがある。 ファンタジーサイバーパンクの世界では結構ありふれた表現のように思える(似たようなのは何度も見たことがあるし)。


 でも、それらから目をそむけたまま生きられるだなんて。先日友人と話した時に「かっこつけて、かっこよく生き続けることは多分ムリだけれど、かっこつけられない人生なんてつまんない」とか、そういう話をしていて、要するに、けだものを飼いならせないだなんて、けだもののことを愛せない人間にはなりたくないなってことだ。勿論、然るべきマナーを、ドレスコードを守った上で。

 友人に本をあげたお返しに簡単できつい筋トレを教えてもらった。オレなんてすぐにへたってしまう。でも、こういう普段使わない筋肉、身体を使うってのは結構さわやかな体験だ。馬鹿みたいにレンタルしたCDとか通り雨の後の快晴とか。

 そして、ユーモアを。アホらしさを大切に。

http://www.youtube.com/watch?v=MTK577BfGbo
  相対性理論 (Soutaiseiriron) - 09 帝都モダン


 妄想してトーキョウはいいとこ
 
 お願いその目で見つめないで心が折れちゃうそう

 お願い私の知らない言葉でしゃべらないで


 


 トーキョウに、日本に生まれてよかったなって、たまに思う。多分、他の国にうまれてもその国に生まれてよかった、と思うような、そんな予感がするんだ。まあ、それなりにこなしていく日々。