きみになりたい。

 動物のことばかり考えてたら、猫を二匹飼う夢を見た(小さなころ捨て猫を二匹拾って飼っていた。それとは別の新しい猫)。夢の中の猫、かわいがりたいのに、俺が撫でても知らん顔して部屋の中歩いてた。可愛かった。

 毛皮をネットで検索すると、オークションサイトやらブランド物の通販やら本物からフェイクファーの安物まで色々とヒットしたのだが、いつもは誰が着るんだって感じのイカれたイタした、ハイブランドの洋服が、本物の毛皮を使用した服がそろいもそろってスタンダードなデザインというか実用的でちょっと面白かった。

 でも、俺が欲しいのは猟師が自分用に捕らえた、毛皮かもしれないと思ってしまった。ハイブランドの毛皮のコートなら欲しいし画になるし。でも、それよりももっと、仕留めた獲物の頭がついているような、生々しい死体が欲しいなあ。そんなのどうやって手に入るのだろうか?

 魅力的な死体について思いを巡らす俺、人並みに働いて、死体みたいになって。へとへとで鬱々となる。人とあって、平気なふりを続けていると頭がショートする。Windows98位の性能だ俺。

 自分が後、どれくらい頑張れるか、ということを常に考えていて、長生きして楽しく生きる、なんてのは最高だけど、俺にとってそういう展望は少額の宝くじに当たるような、そんな現実味が薄い物だ。

 何かしようとしているのに、つまらない問題でできなかったり形にできないことが多くて、自己嫌悪や内省で気が滅入る。今日も、雨で家にこもってた。

 少し、積んでいた本を片付ける。今週読んだ本は、世界のかわいいお菓子とか世界のかわいい刺繍とか世界の美しいステンドグラスとか……(本当にそういう書籍がある)疲れてるのか? 

 疲れてると、かわいい本かアウトロー関連の本が読みたくなる。図書館で毎回十冊くらいの本の貸し借りをするのだが、海野弘のとても素敵なイラストレーター・童話関連の本や幸福な食事の本(食って幸福な物らしいんだ!)を返却するのと同時に、ドラッグや犯罪や反社会的な本や作品を返却口に並べていると、なんだかひどく恥ずかしくなって、大体週に一度図書館で本を借りる俺、これって一週間のポルノ動画のアーカイブみたいなものじゃあないかと一人感じてしまうのだ。

 昔の本を読むとたまに変態性欲、なる記述に目が留まることがあって、まるで本棚ってプレイリストってぼくの変態性欲カタログ。他人の好きな人のそれってさ、気になる気にならないシェアしたいしたくならない、知らないよ。

 小説を読んだり書いたりすると、体調が悪くなるか気が滅入る。でも好きなんだ。怠け者の俺が続けられているのがこれ位しかない。小説は俺を必要としないけれど、俺は必要だ。でも身体に悪い。反社会的、というよりも何かに属するのが困難になる。犯罪集団だって、帰属意識が持てるとしたらその人には意義があることだ。良い悪い、という問題とは少しちがって、だってさ、視野狭窄なんだ夜目なんだ、小さな救いしか目に入ってないんだ。

 だから、健康の為に写真、撮ってみたいなって思った。それか動物を感じたい。毛皮とか本物とか。小説よりも身体を使う感じ。身体使わなきゃどんどん駄目になる分からなくなる。ポルノ以外でも身体使ってよミスター。頭使って解決しないなら、身体使って誤魔化す方が良い。身体使って空っぽになったら、頭を使ってやり過ごすしかない。日々、誤魔化しやり過ごし。

 野田彩子『ダブル』読む。すごく面白かった。

 アマゾンの紹介文

 

天才役者とその代役。
鴨島友仁(かもしまゆうじん)と宝田多家良(たからだたから)は同じ劇団に所属している俳優仲間。
安アパートに隣同士で住み、共同生活をしている。
お互い無名ではあるものの、友仁は多家良の類まれな演技力を見抜き、その才能を世に知らしめるために彼を支えている。
自身も「世界一の役者になりたい」という想いを抱えながら。
やがて周囲は少しずつ、多家良の才能を見出していくが―――。

 熱気と実力はあるけれど、売れない役者の二人。宝田は天才肌のタイプで、画になる貌と才能を持っている。しかし生活、と言う物を把握できていない。勉強以外がまるで駄目な子供のような宝田。鴨島はそんな彼の才能に惚れ込み、献身的に、周りから見れば少し奇異に映るほど支えている。

 そんな中、宝田だけ、事務所に所属が決まって、彼の才能を世間が発見していく、

 という物語の始まりが描かれているのだが、すごく引き込まれた。多分、二人の関係がいびつでぴったりとしているからだと思う。共依存や恋人同士、のようでそうではない。二人の奇妙で幸福な関係。まるで仲の良すぎる兄弟みたいなふたり。多分、どちらかが欠けたら生活や役者人生に支障が出てしまうだろう。でも彼らは子供でも兄弟でもない。おそらく同性愛者でもない。この幸福な関係はいつまで続くのだろうか? どう発展していくのだろうか? 役者としての成功と、二人の関係という二つの要素が絡みあい、続きがとても気になる。

 知り合い、はたまにできるが友達、と考えると思考停止になる俺だけど、以前は親友と呼べるような友がいて、金がない学生だったこともあってか、毎日のように一緒に彼といて、何かあると彼のことを考えていた。その人の幸福が、一番輝いている状態が、俺の幸せだ。

 世界で一番素敵な物の一つは友情。なんてくさい台詞を吐いたとして、それは的外れではないような気がする。でも、友情だって愛情みたく愛人みたく肉欲みたく恋人みたく、あっさりと壊れたり戻せなく戻れなくなることがある。

 親友、という言葉で思い出す友と、俺はもう二度と会わないだろうし、会ったとしてももう、しらじらいいだけだろう。過去は大抵ロマンチック。

 誰かのことを考えられる人、というのは幸福で、俺もたまに、いや、しょっちゅう、誰かのことを考えている。願わくば、それが恋人や友人であればいい。ドラマチックだしロマンチックだし。

 夢が、野心がある人というのは、それだけでもそれなりに素敵だ。わくわくしている人じゃないと、出会った人、きっとわくわくしたりしない。

 役者って素敵な商売だなって、たまに思う。嘘ばかりつけばいいから、いや、そんな簡単な話じゃない。

 二十代の頃オーディションみたいなのに出たことがあって、しかし「小説を書くときの資料になるから」という理由で受けたそれ。審査員に演じることとはどういうことですか? みたいな役者についての質問をされて、質問されるなんて思ってなかったから(馬鹿なのか?)、ちょっとびっくりして、でもその場で答えた。

「演じる他人の人生に責任をもって、やりとげることです」

 本当は「埋葬する」という表現をしたかったが、しなかったはずだ。文学的で、恥ずかしいじゃん。

 で、演技したんだ。台本持って。楽しかったよ。大きな声出して嘘つく。でも、途中で気づいてた。それはオーディションだけど、合格者は事務に所属っていうていで、実の所入学金やら登録料をだまし取るためのものだったんだって。

 後で俺、呼び出されて、事務所で二人がかりで説得された。才能があるよって言われた。ああ、個室に呼び出し二人がかりでさ、こうやって人を騙すんだなあ、とわりと冷静にその場を「記憶」しようと思ってた。人を騙す人の瞳、きらきらぎらぎらしてるんだ。はなっから疑ってるからさ、疑い過ぎてああ、この人たちはもしかしたら俺を騙そうとしていないのかも、なんて思っちゃうよね。

 ただ、金を巻き上げようとする事務所の人間ではなく、実際に演技を見て審査をしていた名前を知らない役者、らしい人から「この先演技を学ぶとして、エゴイスティックさを捨てておごり高ぶらないなら、君は良い物を持ってるよ」みたいな言葉を言われていたよ、みたいなのを後で聞かされた時、お金回収の為のオーディションだったとしても、その言葉は俺の胸に残った。

 その場その場で誰の迷惑にもならない嘘ばかりついて場を繋いでいる人間は、ばれる嘘はつかない。誰かを傷つける嘘は(なるべく)つかない。嘘を一つついたら、整合性を整える別の嘘をつかなきゃならないからさ。

 取り繕う手段は、それなりに心得ている俺。でもそれは役者の演技ではない。

 でも、誰かの、物語の誰かの責任をとること、機会があるならしたいと思ってる。だって俺も小説を書くときは、それを意識しているから。俺にとって魅力的な誰かを生み出し、埋葬するんだ。血肉を与えて友情、交合、みたいなふりだけして、それから眠らせるんだ。

 さすがに三十代でオーディション、なんて出る気はないけれど(夢や熱意がある人は別だ。俺には役者の魂がない)、でも、楽しかったな。大きな声で誰かのふりをするんだ。

 

 俺の友情はおわったけど『ダブル』は連載途中なんだ。きっと彼らの友情は終わらないんだろうな。ずるいな、うらやましいな。素敵なことだな。

 誰かのふりがしたい。それで、健康になりたい。けだものになりたい、俺、君になりたい。