取り出せない硝子や水晶や屑宝石

誕生日を迎えた。いつもなら、少しだけお洒落をして、普段かいたくても買えない、とはいってもたかだか数千円の本とかを買うのが習慣になっていた。でも、今だと難しいかもしれない。店自体が閉まっているし。

 というより、もう俺はいい歳で、色々と摩耗してしまったというか、単純な話で、騙し騙しやっていくのも終わりにしたいなあという思いが頭をよぎる。希死念慮離人症が手をとってワルツ。

 でも、俺の人生を豊かにするのは俺しかできないことなのだ。当たり前の話。幾ら、これから先が終わりのない沼の中であっても。

 雑記。

夜になって、調子が戻ってきて、森本美由紀の画集二冊読む。高校の頃に買ってから、今でも大切な本。ピチカートやバルドーのDVDのジャケもこの人
過剰な装飾が好きな俺だけど、彼女のイラストで引き算の美学を知った

本屋で沢山本が並んだ中で、すっきりと目立つのが良い、


というような発言は、今も胸にある。

色々あると、ストレスマックスになる。そんな時は、獣になりきって思い切り唸り声をあげるのがよい。当然、すさまじい音がでるので、タオルを噛んでさらに布団で顔を覆う(それでも音出る注意)。頭を揺らしながら吠えると気持ちいい。
俺がヤバいのではなく、たしか
演劇の練習の本に書いてあったのだ

夜になったから、やっと外に出られる。日光浴びたいけど、仕方ない。

注文してた『世界の美しいハチドリ』が届いていた。読んだことあるのに、手に取って色とりどりのハチドリを見ると、心が解ける。
毎日、綺麗なものを見て、考えること。時には難しくても、それが豊かってことだと思う

ピエール・ルイス『ビリチスの歌』再読。ギリシャの詩人を想定した、艶めく愛と死。鈴木信太郎の名訳

キプリスの小鳥、鶺鴒よ、萌え出る妾たちの欲望に、合わせて歌を唄っておくれ、乙女の肉体は瑞々しく、地面のやうに花に覆われる。妾たちのあらゆる夢に 夜は近づき みなひそやかにそれを語らふ

 読書自体は、家にこもっているのだから、色々とできている。昔の本を再読して、色々忘れていたり、覚えている感動に再開したり。

 読書によって自分が数々の輝きを知らないことを、また、それらを見つけることができることを再確認するのだ。誇張ではなく、それが俺を生き延びさせてくれている。

 芸術に生かされている、なんて大層な話というよりも、ぴかぴかきらきらするんだ。錯覚できるんだ。自分の内に、沢山の硝子や水晶や屑宝石があるような、そんな気分になれるんだ。

 正直、いい年して変わらなぬ浮草生活も、社会や人との不和も、もう沢山だ。でも、俺の人生は続くから、豊かにしなければ。本を人を知ってしまったんだから。

 良い一年になりますように、ではなく、しなくっちゃ。元気なふりして片づけるか、満足して死ねますように。

日本人てのはマゾヒストなんですよ。生まれつきそうなんです

妙な気分が続いている。不調とやや不調をいったりきたり。でも、たまに元気。これから先のことを考えても仕方がない。ひとつ、良いことを上げるなら、読書がかなりできていることだ。

 俺は色んな物がないけれど、本は家に山ほどあるのだ。再読する本も、昔は分からなかった、感じ取れなかったことに気付けたり。自由に動けなかったり店が閉まったり、この先の生活のことを思うと低級地獄でしかないけれど、誰かの書いた書物は、いつでも輝かしいのだ。

雑記。

ふと魔が差して、アニメ版の、小説『ロミオの青い空』を読んで、分かっているのに例のシーンで号泣。アニメ版は小さい頃見たっきり、みたいけど見たくない。

グールドを聴きながら、ノヴァーリスの『夜の讃歌』読み返す。信仰の輝き、真夜中を神秘を礼讃する美しい詩句。長くなるので、可愛らしい部分の引用。

星の世界は溶けて
黄金の生命の酒と化し、
我らはそれを飲み味わい
明星となるでしょう。

気分がのらなくて、なにもできない日。夜になって、人気のない町を少し歩く。

ALI PROJECTの、メゾン ド ボンボニエール(砂糖菓子入れ)を小声で口ずさむと、気分はお菓子の国へ。夜って、歌って素敵だな。一瞬で別の世界に連れてってくれる

千の甘い仕合わせを
仕舞うための
わたしボンボニエール

イリーナの帽子、中国現代文学選集
を読む。箱の中に薄い六冊の冊子が入っていて、六人の作家のアンソロジー。収められている小説は、さらりと読めるのから、文化大革命や犬食の話題が出るものまで幅広い。試みは良いと思うが、値段2000円だと気軽には……って、本自体高くなってるからな

トルクァート・タッソ『愛神の戯れ 牧歌劇 アミンタ』読む。十六世紀のイタリアの詩人の描く牧歌劇。
神話って、その多くが強引で突飛で意味が分からないけれど、魅力的だ。この話も筋はシンプルだが、読み進めると、その詩的な美しさにはっとする。昔の人の方が、自然と神々をより愛していたのかな

ずっと、家からあまり出ない生活してると、身体がうずうずしてくる。虎になってガルガルしたいマジで。虎は毎日虎で羨ましい。俺なんて文字の奴隷だ。文なんて好きじゃないのに。好きじゃないのに明日も文字に触れるんだ腹立つガルガル。ガルしたいマジで。

山月記』の主人公は虎になれたなんて最高やんけ!人の心捨てても良いじゃん!また拾える確率もあるかもだし。人の心も大切だけど、人食い虎も大切。
てか、そこで友人が虎殺して、毛皮をはいで、それをまといながら暮らしたら胸キュンblじゃないかな。

エルヴェ・ギベール『召使と私』再読。ユーモラスで身勝手な愛。奇妙なsm小説。召使の台詞が面白い

召使いは日本人にしますね。だって日本人は我々よりも卑屈な性格をしていますから(略)ありとあらゆる仕方で虐待して愉しんでやるんです。日本人てのはマゾヒストなんですよ。生まれつきそうなんです

ヴァチカン美術館のカタログ読む。
楽奏天使 は、とてもロマンチックですき

黒像式オルペ なる陶器は、獅子からスフィンクスまで描かれていて欲しい。

どの神話上の人物か、判別出来ないほど、破損が大きいトルソー。その欠損が魅惑的

真の十字架の聖遺物筺用ケース、って名前ヤバい。欲しい

ほぼ毎日、朝から晩まで、気分と体調はぐらぐら。だけど、夜中は安定していることが多い。理由は分からないけど、夜は落ちつく。

ロバート・メープルソープの写真集ぱらぱらとめくる。彼の写真は好きなのが多いけど、このパティ・スミスの写真(ファーストアルバムの)良すぎる!恋人だから、撮れたのかも、なんて。

箱の中の干菓子は梅雨の気配

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少しのお菓子で、気分が華やぐ。きれいなもの、かわいいものはいつでも俺に優しい。

トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』のパンフ読む。山田宏一も寄稿。俺は彼の映画への愛情と敬意のある文が大好きだ。きっと、トリュフォーもそう。
「映画を撮ることは、私にとって、少年時代の数々の夢を実現することです」と語る彼。小学校もきちんと出ていない不良少年の夢を、俺も見てるんだ

ジュネ原作ファスビンダー監督『ケレル』の小冊子を読む。様々な人が寄稿しているが、響かない物ばかり。サルトルバタイユの文だってそうだ。俺は、ジュネを偏愛しているから、何もかもが気に入らないのだ。ジュネについて、犯罪者として男色家として語らないなら、何を語ればいいのだろう。

 俺はジュネについて書かれるほとんどの批評が気に入らないんだ。それは、詩を無理に解剖するような無粋を感じる。彼は男と犯罪と裏切りが好き。その上、夢のように、詩的言語で描くんだ。それで十分だ。迷って酔って賛美の声を上げるだけで十分だ。

 泉鏡花『外科室・海城発電』読む。外科室という短編の、手術の様子が凄まじ(一目ぼれした医者と患者。麻酔なし手術!という狂気)

唯見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、夫人の顔は旧の如く、いと蒼白くなりけるが、果せるかな自若として、足の指をも動かさざりき

殺しの凄まじさは、マルグリット・ユルスナール『東方奇譚』の描写を想起する。才ある老画家を憎む王の台詞

「死刑囚の血は汝の画布に描かれた柘榴ほど紅くないし、農村では虫が稲田を感嘆する妨げとなる。生身の女の躰は、肉屋の鉤につるされた屍肉のように、余に嫌悪をもよおさせる」

また、献身的な弟子が処刑されるのを眺める老画家。絶望しながらも、血の染みは美しい!

「兵士の一人が刀を振り上げ、玲(弟子)の首が切られた花のように胴を離れた。下役人どもが屍を運び去った後で、汪佛(絵師)は絶望しながらも、弟子の血が緑の石畳につけた美しい真紅のしみを感嘆して眺めた」

ボルヘスの『砂の本』再読。訳者あとがきにもあるが、エッセーや短編小説がわかちがたく、それがまた、魅力的である。彼の主要なテーマ。夢と夢のような話と本の話。表題作は、砂の本という、終わりがない、無限の本を手に入れてしまった男の苦しみ。ふと、バベルの図書館を想起する

 本は、他にも読んでいて、自分が読書家と錯覚しそうだ。だが、様々な美しい言葉を、文章を目にすると、そろそろ俺も何か書きたくなってくる。少し前に一作書き終えて、それっきり。

 暇つぶしのファンタジー小説はかいているが、それは思い付きを並べているだけで、小説とは言えないだろう。でも、気楽に書けて楽しい。書くのって楽しいな。ただ、俺が本当に書きたい、書いているのは、時代遅れの純文学、読みにくいなにか(自分ではそうは思っていないけれど)、なのだけれども。

 ほんと、どうでもいいのだが、数年ぶり!に漫画のキャラを書いた。一回も書いたことないし、ボールペン一発書き。出来上がって、ちょっとして、ああ、微妙だな、下手だなあ……って分かる。なのにさ、楽しかったんだ、すけべ過ぎるマタギ

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 高校の頃は、漫画家になりたかった。すぐにその夢は忘れたけど。でも、好きな画を描くのって楽しいな。俺はすぐ上手い下手にこだわるけれど、楽しいな。無心ですけべなマタギを書いてた笑

 球体関節人形教室や甲秀樹の絵画教室に通いたいな、ってたまに頭によぎる。でも、金銭的に絶対に無理なんだ。今、生きるので精いっぱい。それを考えると情けなくなる。

 ずっと読まれない、読みにくい、人が苦しむ小説を書き続けている俺。苦行かな? でも、それが割と好きなんだ。でも、他にも楽しみを。どんな状況でも、楽しみを探して。

いつもどおり、狂気で正常

日に日に事態は悪化しているようだ。俺もこの先の生活、マジでシャレにならないぞって思っているし、俺以外の人達だってそうだと思う。

ただ、毎日ネットで流れてくる、人々の悪意、不満、不安。それらは仕方がないことだけれど、俺みたいな過剰反応する人間は、少し冷静になって距離をとるべきだ。勿論、適切な生活は良いことだが、一人で不安に依存したり、「過剰に」攻撃的になるのはよくない。

 今は我慢して、待つしかない。少し、自分に優しく。できたら、見知らぬ誰かに対しても。

 どうでもいい雑記。

朝、ジェーン・バーキンの本を読むと、元気をもらえる。自分に自信がなくて、シンプルで、とびきりチャーミングで、愛を求め、与える女性。セルジュの創ったyesterday yes a day は本当に好きな曲。

ゲンスブールまたは出口なしの愛』はとてもいい本。小西康陽が絶賛していて、高校の頃買った。

パズルゲームを新しくやる。
今度のは、猫の家を修復する系。
テーブルを作ってやると、パートナーの猫に

⚪⚪(本名)も、友だちを連れてきていいよ。あっ、⚪⚪に友達いたっけ……変なこと聞いてごめんね

と煽られる。キモオタの名言『こんな思いをするなら花や草に生まれたかった』が浮かび死亡

昔、GBAロックマンエグゼで、最初に「苦手科目」に冗談で「人間」と入力、パートナーのロックマンに、

⚪⚪(本名)君今日は人間を頑張ろう

⚪⚪君、インターネットもいいけど
人間もね。

今日は人間をちゃんとやったかな?

と大好きなプログラムに煽られ続け、自分が人間か自信がなくなって中断。

金平糖の入った硝子瓶を揺らしていたら、ふと、男の子二人の姿が浮かび言うんだ『星くずがお喋りしてる。聞こえる?』

好きな本や映画を見ていると、よく、こんな風に別の物語の場面が浮かぶ。

俺はそういう欠片を集めて編集して、物語を作っている気がする。表現者は他人になれる、幸福を知ってる

今更、映画の、劇場版シティーハンターを見る。ベタでコミカルだけど、シリアスなシーンではクールに決める。小さい頃見たワクワクそのままの、とても良い映画だった。数々の名曲を丁度良いシーンで流すのはずるいなー。マジぐっとくる。サントラ欲しくなっちゃう。って、曲は持ってるけどね。

めちゃハマったグンマーファンタジーの作者のスマホゲー、
dream stairs
こっちもハマった。一人用クトゥルフTRPG。昔のゲームのような、シビアな難易度の死にゲーだけど、引き継ぎ要素があるから親切。シレンみたく、あ!死んだ!くそ!またプレイしてやる!のループ。san値削られる幸福

映画『永遠に僕のもの』見る。実際にあった事件がモデル。美少年による大量殺人、犯罪映画。でも、見たらマイルドな青春映画だった。主演の男の子の可愛らしさが良い。あと、相棒の台詞

世界は泥棒と芸術家のものだ

というのが十代の傲慢さが出ていて青臭く良い。可愛い男の子みたい人向け映画かも。

スマホゲーは悪。俺は一日中悪魔を殺すことばかり考えてる。スマホゲー制作者はサタンの手先。俺は更生するため、神父様の本を読んだりエロ同人を買ったり、善行を積むことによって、転生して来世はリサとガスパールになりたい。

リサとガスパールの絵本は夫婦で作画を分けて共同作業。素敵ですね。

ボルヘスの『伝奇集』再読。バベルの図書館という短編がとても好きだ。幻想の中の、円環を成す無限の図書館。 以下引用。

 

 

永遠の旅人がそこを横切ったとすると、彼は数世紀後に、同じ書物が同じ無秩序さで繰り返し現れることを確認する(中略)この粋な希望のおかげで、私の孤独も華やぐのである

 

ミュッセの『二人の愛人』読む。年上の愛人のあいだを行ったり来たりするロマンチストで幼稚な若者。彼らを、過剰で芳醇な語り口で描く。どこか皮肉めいた、悲喜劇的な眼差しがいい。ミュッセは『戯れに恋はすまじ』といい、題名が素晴らしい!

ふと、友人と剥製屋に行ったことを思い出す。店中には、動物の死体だったもの達が行儀よく並んでいる。独特の獣臭さと薬品臭が酷く、五分もいられなかった。でも、剥製屋って、奇妙で面白い。また行きたいが、俺はその友人と絶縁して、店の場所も分からない。俺に残されたのは薬品と獣臭の記憶だけ。

シャルル・バルバラ『蝶を飼う男』ボードレールの友人でポーに傾倒。陰惨で無常でユーモラスで詩的な美しさ。最高。凄く好みだ。

不遇の演奏家の、幻想の中の賛美は
「花の驟雨の下で気を失いそうだった」

蛙の描写は、「お腹はミルクのように白く、そして、緑色の背中、いや全く、あの薄青緑色で眼にとても優しい、新芽のあの柔らかい緑色の背中をしていた」

訳者の亀谷氏の丁寧な解説で理解が深まる。

ネタバレになるから読み飛ばして欲しいのだが、『ロマンゾフ』は単なる義賊ではなく、死罪を覚悟して贋金づくりに手を染め、理想社会を作り上げようと志していたのでは という指摘はなるほどと思った。

 

 

ネタバレおわり。

ただ、この作者の本、日本では二冊しか手に入らないらしい。いや、「読めた」ことに感謝だ。ほんとに。

 ほんとに、色んな人々、幅広い意味の、表現者の人々のおかげで、救われている。自分の将来が暗くても、誰かに感謝できるなら、感動できるなら、いつもどおり、狂気で正常。

飴細工の馬車に乗って

どんどん状況は悪化している。とても気が滅入る。それは俺だけではないけれど。みんな不満がたまっているのを感じる。ささいなことで、ストレスがたまることがしばしば。理不尽さに耐えられる気持ちの余裕がない。

 外に出て仕事を探したり遊んだりできない日々が続くのが、終わりが見えないのが辛い。

 元々メンタルが弱い上、就業が難しく、外出で気晴らしもできない。症状が悪化したり、なんとか気分を良くしようと、読書や映画に視線を向けたり。でも、やっぱりふらふら外を歩きたいな。別に買い物なんてしなくてもいい。音楽を聞きながら街を歩くのが、俺は大好きなんだ。

 いつものどうでもいい雑記を。

家でバッハばっか聞いてないで、外歩いて、イヤホンでbaker brothers の cance and fly 聞いたら、ソウルフルな声と演奏で元気貰える。単純な俺。次はアルファベット順でBauhaus のsanity assassin流れる。こっちもパワー出るけど、方向性逆だな笑

メガテンソシャゲ、惰性で続けていて、俺にとって、何が足りないのか考えてみた。それはメンバー同士で思想の違いからの殺し合いしてないからだ! メガテン必須イベントじゃんかー仲良かった仲間との殺し合い。超燃えるのに。でも、ソシャゲでその展開は無理だよな。悲しい。女神転生5早く出てくれ!

リルケの詩集を読み返していて、ロマンチックメランコリックな一群の輝きは、今の俺の気分に合っていて気が休まる。引用したいけど、文字数オーバーになるからな。

去年、日本橋高島屋で行われていた展示をまとめた本『資生堂のスタイル展』の本を読む。化粧品には無縁の男だが、花椿の冊子や山口小夜子を起用したポスターや山名文夫のデザインはエレガントで好きだ。会場では一部撮影可能だった
硝子瓶の化粧品って、すごくかわいいな。

エルヴェ・ギベール『犬たち』再読。エロティックと言うよりも、ポルノ小説で、説明不足だったり過剰だったり。でも、わりとこの小説が好きだ。犬、かしづく者、服従する者の姿がシステマティックに描かれていて、そのイマージュの中で読者である俺も子犬のワルツのように楽しむのだ。

フェデリコ・ゼーリ『わたしの好きなクリスマスの絵』読む。聖夜にひらく小さな宝石箱 という文書が寄せられていて、可愛らしい。
美術史家が知識と信仰の眼差しで、暖かく絵画を紹介している。幸福な絵画たち。50ページと少しの、素敵な小品。

トリュフォーの『大人は判ってくれない・あこがれ』を見る。高校の時に見てから、トリュフォーの中でも一番好きな映画。とても好きな映画について語るのは難しい。様々なものが好きで、しかしどこか冷静なのだ。自分の一部分に、呼応しているんだ。『あこがれ』は、甘酸っぱくて、身勝手で、輝かしい

アポリネールの『若きドン・ジュアンの手柄ばなし』読む。題名通りの、エロティックな小説。若い、貞操観念が無い少年が性を知り、好奇心と欲望のままに貪っていく様を描く。性交描写の頻出があっても、そこまで退屈しないのは、主人公の獣のような爽やかさと、詩人の筆致によるものだろうか。

『もしも?の図鑑 ドラゴンの飼い方』を読む。ドラゴンだけではなく、世界中の有名な幻獣、妖怪、モンスター等が紹介されている。幻想の生き物を実際に飼うとしたら何に注意したらいいだろう。それに対して具体例や豊富な図版で案内してくれる。想像力を刺激される楽しい一冊。

めちゃめちゃ懐かしくって、『ちびくろさんぼ』も注文してた。コミカルでちょっぴりスリリングで、大好きだった。つーか、虎かわいい。あと、虎がクルクル回ってバターになるって発想!すごいな!俺も見習いたい。とりあえず、虎かエシレのバター欲しいが、今世では無理かなー(来世などない)

デレク・ジャーマン監督『カラヴァッジオ』をまた見る。皆大好き、官能暴力男色悪徳たくさん。それとは対照的な、夜空を見る幼子に老婆が
「星は貧しい者のダイヤだよ」
と告げたり、病床のカラヴァッジオを献身的に介護する青年も美しい。絵画を意識したおさまりの良い構図も好き。大好きな映画

掃除したてたら、マイリトルポニーのレインボーダッシュ発見。アニメ見たことないし全然知らないのに可愛いから買った。

以前、ユニコーンやペガサス系を求めて中野ブロードウェイへ行くと、妙にリアルなサイケデリック馬が沢山いた。リアル系極彩色馬。アメリカのかわいい……わかるようなわからないような……カワイイの感覚は国によって違うからなー

最近少しだけ痩せた気がする。大学生の頃、身長190近くでガリガリで陰気な俺は、知らない人にエヴァンゲリオンとかナウシカ巨神兵とか影で言われていた。腑に落ちない。でも今はやっぱりエヴァになりたい!ゲンドウに褒められたい!そして、タイトなジーンズに闘うバディをねじ込みたい。

溝口健二原作『大阪物語』見る。極貧で夜逃げをした一家が、後に大阪で財を成すが……若い市川雷蔵かわいい。中村鴈治郎の浅ましい俗物守銭奴の演技が良い。ただ、監督は別なので、溝口映画だと思ってみると、緊張感に欠ける構図や間延びを感じる。その分、分かりやすく、悪い映画ではないのだけれど。

安物の天使を割った。だが、この姿もまた、良いものだ。人は、俺は、しばしば好きなモノの欠点や欠損を愛するから。

カミュの『異邦人』のムルソーの台詞

もちろん、私は深くママンを愛していたが、しかし、それは何も意味していない。健康な人は誰でも、多少とも、愛する人の死を期待するものだ。

 

 一応、おれなりに前向きにしようとしているのだけれど、毎日のニュースやら自分の置かれた状況、それを改善できないのがとても辛い。楽しむよりも、耐えることばかりみたいに感じてしまう。

 だが、状況がどうなるにせよ、生命があるうちは、それが豊かであればいいなと思う。マイナス思考や気が滅入るのもうんざりするのも仕方がない。でも、その後で、どうにか這い上がらなければと思う。

 俺は色々とよろしくない。でも、きらきらしたもの、沢山知っているのだ。嫌なことに意識を向けるのは悪い癖。飴細工のような、脆い夢の世界に逃げ出せるように、努力を。

小さな行為、願い

 小説を書き上げた。少し、気が楽になると共に、今後の展望を思うと気が重くなる。これ書いたって、どうにもならない。でも、書かずにはいられない。俺は小説を書くのが好きだから。

 美術館は大抵閉まっているし、仕事をするのも探すのも難しい状況。呑気に引きこもれるような貯蓄がない人間には、終わりが見えない今の状況はとてもキツイ。

 でも、それは俺だけではないし、もっと深刻な人らの叫びもネットらで目にする。とにかく耐えるしかない。耐えるには、じっとしているだけじゃだめだ。無理にでも、楽しむこと、本を読むこと、寝ること。

 正直数日、一週間位前までは、コロナに対してどこか他人事だった。でも、自分が感染者になりたくはないし、誰かにうつしてもいけない。

 ただ、メンタルの病気を持っている人間が精神的に落ち着こうって、結構難しい問題だ。でもな、やるしかない、悪いことを考えすぎないってことだ。

 わりと(メンタルが)元気だった、ここ一週間くらいの雑記。

 

Bunkamuraギャラリーで金子國義見る。何度も見てるから、今回はいいかなあと思いつつも、会場ではファッション雑誌の表紙にも使えそうな、モードな女性たちが多くて楽しい(写真禁止なので、それらは撮れないのだが)。

花屋で真っ白いチューリップが売っていた。普段見慣れない色で、とても目を引いた。重なった白い肌の事を考えながら帰宅し、数日後、その店のチューリップの色は変わっていた。買わなかった事を後悔したが、イマージュの中の白い花もまた、美しいから困るのだ。

 数日後、育ち切っていないやや球形に近い、白いチューリップを、店先で見つけた。しかし、あの時程心動かされなかった。すらりと伸びた、白いチューリップが輝かしかったのだ。当然、水をあげていくうちに花弁は伸びるだろうが、なんだかそんな気にはなれなかった。

泉鏡花の『春昼 春昼後刻』を読む。はらはらと流れる美文を追っているうちに、いつしか迷子になる。しかしそれは心地良いのだ。色彩感覚や動植物を捉えるたしかな目が、危うい、妖しい夢の世界を支えている。良い作品だった。

町田康『しらふで生きる』読む。毎日酒を飲んでいた著者が『狂気』で禁酒をして、持続している記録エッセイ。いつもの語り口が、気のせいか、少し(題材のせいか)説教じみて、冷静な気がする。だが、酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい、と言いながらも、人生を文体を楽しんでいる町田康が好きだ。

初対面の人が、僕アニメ好きなんですよーと言ったので、俺の大好きなアニメ

シリアルエクスペリメンツレイン
あいまいみー
坂道のアポロン

の名前を出すも、
相手の「あ、知らないです」
で、無事死亡☺
万人受けするアニメって何だろう。
シロバコや無限のリヴァイアス

 

海野弘『本を旅する』読む。序文

私にとって本を読むことと世界を旅することは別々のものではない。私は本の中を歩き回って旅をし、世界を本のように読みたいと思うのだ。

百冊の本が紹介されているのだが、知らない本や苦手なのもちらほら。でも、俺は彼の本が好き。本は世界に沢山あるって素敵だ

 

中身を見ずに買ったタゴール展、詩ではなく、画集だった。素朴な絵ではあるが、鳥の絵は好き。

『私の絵の起源は(中略)私のリズムへの本能、線と色との調和した組み合わせから得る楽しみに存していたのである。』

って、本人が言っていて、なるほどと感じた。

 

モローの本『ギュスターヴ・モロー 世紀末パリの異郷幻想』がとても良かった。大きな図版と、引用や分かりやすい説明。モローの美を堪能できる。

彼のとても好きな言葉を引用。

あなたは神を信じますか
私は彼しか信じない
私は触れるものも見えるものも信じない
私は見えないもののみを、
感じるものだけを信じる

 

桜の花を、漬けたのに、お湯を注ぎいただく。ほんのりすっばく、桜の風味がして良い気分

 

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 来月は俺の誕生日で、ちょっと無理しても、ハチドリのタトゥー入れようかなって思ってた。でも、今は色んな意味で難しいかもしれない。

 一週間前は、ほんと呑気だったなー俺。だけど、コロナ関係なく、これからの自分の展望が暗いのは変わらない。困難な状況が増えて、ちょい頭が悪い感じになっているけれども。

 外を歩けないとか、花や美術館に行けない見れないっていうのは、本当に精神衛生上良くないけど、色んな業界の人が踏ん張っているんだもんな、俺も負けないようにしなきゃな。

 政府は国民や文化に支援を。手洗いうがいはするけれど、無意味にであるかないこと。小さな行為、願い。

 暗いことばかり考えているとどんどん状況が悪くなるだけなので、本とゲームと映画と音楽を頼りに、俺も、みんなも元気でいられますように。

まぼろしにさよならなんてできないよ

朝に早起きして銀座へ。ウイルスの影響で一度は中止になったエルメスの映画上映だけど、再申し込みがあったんだよね。それで二日前にはいつもみたく、「お待ちしております」メールが届いたから、銀座へ向かったら、三月中は全てのプログラムを中止するという立て札が! お待ちしておりますメール送っておいてそりゃないよー!

(※後でエルメスのホームページで予約状況確認したら、四月某日に変更していた。勿論変更したのは俺。だけど三月に申し込みした分の記録があったから、エルメス側から、お待ちしておりますメールが送信されたんだよね。ちゃんと四月に再予約したんだから、メールが届いても日時確認しなかった俺が悪い。でも、お待ちしておりますメール来たから勘違いしたんだ)

 資生堂ギャラリーもしまってる。人がまばらな朝の銀座。祝日で、日の光で暖かいのに、何だか別の街みたい。銀座百点もらって、鳩居堂へ。銀座の鳩居堂に入ると、紙の、和紙の匂いに包まれるから好きだ(他の店舗はデパートの一角なので)。あれもこれも欲しくなるけれど、あまり無駄遣いはしないように。

 時間が空いて仕方がないので、四谷の教会ショップへ。そしたら、三万五千円の木彫りのキリストが売り切れていた!!!!! 哀しい!!!! どうせ買えなかったけど、値段の割にとても造りが良かったんだ。ガッカリしながらメダイを数個買って、教会へ。

 教会に行ったら、そこも色んな催しが中止の張り紙が!(俺はキリスト教徒ではない) ぼんやりした頭で聖堂に入り座っていると、正午を知らせる鐘が何度も、聖堂の中に鳴り響いた。広々とした空間で鐘の音を聞いていると、気分が良い。また、聞きたいな。

昼間に日の光を浴びながら、yo la tengo 聞きながら雑踏を歩く。健康的だ。真昼が大好きだって、今だけそう思うよ。

 某、女の子向けのキラキラショップが閉店セールで、全品半額! セールという文字を見るとIQがマイナス六億になるぼくは、気がついたらこんなに買い込んでしまっていた。愚かな中年、レジで自己嫌悪。夕ごはんは、ラムネと金平糖とキャンディかなー?

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 でもなー無駄遣い楽しい。一生無駄遣いしていたい。パステルカラーの世界に憧れる溝色の瞳の俺。

 持っているのに、どこにあるか分からず、『さよなら子供たち』のパンフを買う。ルイ・マルの映画は『地下鉄のザジ』も『死刑台のエレベーター』も『鬼火』も好きだけど、この『さよなら子供たち』が一番好きで、一番見るのが辛い。だが、どんな過酷な運命があったとしても、その前に、彼らは少年なのだ。生き生きとしたり、怯えたり、はしゃいだり、様々な眼差しを持っているのだ。

そこに寄せられていた、宮崎駿の文章が良かったので、引用。 

 

 

世界の奥深さをかいま見る瞬間の少年を描くのに成功しているからだ。それにしても、なんと寒々とした世界だろう。(中略)世界の敵意に触れて今も子供たちがたじろぎ、張りつめた瞳で凝視し続けているのを作り手が識っているからこそ、この作品は意味を持っている

 

 

 

 宮崎駿といえば、女の子を生き生きと描く人で、女の子の生活、冒険、戦いを描くイメージが強かった。だから、少年同士の、この映画についての言及は少しだけ驚いた。でも、性別は違えど、子供の心で、いや、真っすぐな瞳で世界と向き合うのなら、年齢も性別も関係ないんだよね。それができるか、年経ても、可能かはその人にかかっている。

 でも、そうしなければ、多分人生つまらない。困難なこと。常に驚き、挑戦し、世界の不条理に不思議に立ち向かう瞳。

 最近、完成させた自分の小説を読み直していて、苦痛だ。陰気で嫌味で読みにくくて、人に薦められない物語。こんなん書いても、どうにもならない。そう思いながらも書かずにはいられない。

 だけど、ものづくりしている人なら誰でもそうだと思うけれど、制作中やら完成後やらに、ふと、あ、いいなあ、とか気が楽になる瞬間がある。それだけでも俺にとって救いになる。きっと、素直に何かを見つめて、みつけているんだ。その時だけでも。錯覚、まぼろし。それを良いものにするように。一人感動するだけではなく、感性を、殺さないように。神様なんていないけれど、神々への捧げものになりうるように。そう思うと、少しはマシなものを作らなきゃって気になる。

 眠ってばかりの俺だけど、目を見開いて。

夢の中の絵画も、バベルの図書館も、天使になれずに息絶える俺達の為の贈り物。

久々に夜勤。へとへとになるというか、自分の体力のなさにうんざりげんなり。終わって電車でフォーレ弦楽四重奏をずっと聞いていた。疲れていると、音楽はクラシック以外聞けないって、ジジイか?

 帰宅してシャワーを浴びて、起きて寝てを繰り返していたら、深夜十二時を回っていて、また寝すぎたと、げんなりしながらもそこまで嫌な気持ちにならなかったのは、その前に見た夢の映像を記憶していたから。

 こんな夢を見た。俺は本当は行ったことがないニューヨークにいて、momaに行きたいと思いながら(夢だから当然なのだが)どこかの奇妙な美術館にいて、そこの作品に感動していたのだ。

 中でもピカソ作(当たり前だがピカソの作品ではない。しかも俺はピカソがやや好き程度だ)の巨大な黒と白の抽象画に感動していた。学芸員が「これは偉人の巨大な寝室です。人は具象絵画から始まり、抽象絵画に還っていくのです」と説明をしていた。なんのことだかよくわからない。

 でも、モノクロでカンディンスキーマチスフランク・ステラをごちゃまぜにしたような、迫力のある抽象画。しかもばかでかい。どこまでも続く抽象画だ。でもそれは夢の絵画で、俺は二度と会えない。そして、その画の細部も大部分も、すぐに忘れてしまうんだ。

 書き写したとして、それはつまらないものだろう。あくまで夢での感動した体験なのだから。でも、夢の絵画、ありがたい贈り物だ。

 もし、自分にきちんと働ける社会性なり精神力なり、お金を稼ぐ才覚なりがあったら、好きな時に好きな場所にいけるのにな、なんてたまに思う。お金を理由に、色々な美しい物を見たいものを目にしないで、老いるか自死を選ぶのかなと、たまに考える。

 お金に抗う、ということを真剣にしてことなかった。する必要も感じなかった。でも、新しいことをしなければ精神が老いるんだ。

 とか言いながら、またいつもの読書音楽映画で満足してしまう、懲りない俺。

アントニオーニの『さすらい』の台詞

「逃れられない悪癖以外の全てから 逃れようとした。」

ヒューかっこいー! 十代の俺はそれがかっこいいと思いまして、そういうこと以外ができませんで、三十代でそのツケを払っているような気がする。

 

十数年ぶりに、『麗しのサブリナ』見る。オードリー素敵!以外の感想がない……つーか、オードリーが主役じゃなかったら映画の魅力半減以下的な印象…… ブリジット・バルドーの主演した、バルドーを見るための映画みたく、ごちゃごちゃ言わずに見るのがいいっすよね。面倒な俺。

 何か一つでも美点が見つけられたなら、ご都合主義でもストーリーや登場人物に疑問を覚えてもいいじゃんか。って、思ってるんだけれども。

 アゴタ・クリストフ原作の映画『悪童日記』見る。原作の小説読んだの高校生の時だ! 映画を見ながら、おぼろげな記憶で、原作はもっと淡々と悪事を為していて、それが大きな魅力だった。その映像化は、生身のちびっ子が主演の映画では難しいはずだ。露骨なエログロとか、ちびっ子が主演だと映像化はほぼ無理だろう。

 でも、この映画の双子の幼い輝きも、切なく良かった。彼らの顔の変化、双子なのにたまに違って見えたり、物語の進行にしたがって顔つきが変わるのが魅力的だった。名役者のとはまた違った、刹那的な変化の、ある時間だけの魅力。

 よくある聖書系絵画の読みやすい本を読んでいたら、ジョットの『ユダの接吻』が! マジ好き過ぎる。自分のローブで包み込むようにしてキリストを捕まえるユダ。そして口づけ。犯人を他人に教えるのにキスをするか? というか、それいったら神話も聖書も意味不明な個所ばかりだが……まあ、ユダのキリストへの歪んだ愛情に胸キュン。普段は(一般誌の)男同士のイチャコラに何も妄想しない醒めた性格だけど、これはホモでは?案件っすわマジ。太宰治の『駆け込み訴え』は超王道エもい同人誌。異論は認める。

 ボルヘスの詩文集『創造者』の、冒頭の作品、自死を選んだ図書館長「レオポルド・ルゴネスに捧げる」の図書館の描写から、うっとりして困る。

ほとんど肉体的にと言っても良いが、わたしは書物の引力を、ある秩序が支配する静謐な場を、みごとに剥製化して保存された時間を関知する。右に左に、明晰な夢に没頭する読者達の束の間の顔がミルトンの代換法(語句の中で修辞的にも意味的にも適合しない単語を結びつけること。その意外性は読者の想像力を刺激する)さながら、好学のランプの光に照らされて浮かび上がる。

 こんなに魅力的に図書館を表現した人が他にいるだろうか? というか、ボルヘスは図書館大好きだから、何度も図書館について言及していて、彼が目の疾患を抱えていたことを考えると、残酷でもあり、痛ましく感じながらも嗜虐心に火をが灯るんだ、屑な俺。

 また、「天恵の歌」という詩文でも図書館について語っていて、その中の一か所

ギリシア史書の記述によれば)ある王は

噴泉と園庭に囲まれながら飢渇ゆえに死んだという。

わたしも当てどなく、この高く奥行き深い

盲目の図書館をさまようだけだ。

 

 彼の人生(ほぼ盲目状態で図書館長に就任した)を思うと、痛ましさと共に、俺も書物の、意味の虚無のごとき広さにがらんどうになる。多くのことを知り得ない、そもそもその手段さえ、試みさえ奪われる。老人も幼子も、天使になれずに息絶える。

けれど、本を人を意思を作品を貪らずにはいられない、グールのような人生、宿命。

 夢の中の絵画も、バベルの図書館も、天使になれずに息絶える俺達の為の贈り物。そう思うと、多少は気が楽になって、自分の現実なんて見ちゃあ駄目だ、本、読まなきゃな、等と考える。