neko

朝から軽い吐気がした。普段通りの日、だったけど、実家から入っていたメールが猫の死を伝えた。


 俺は猫を二匹飼っていた。一匹は二年前に死んだ。俺は二年前と同じように、柔らかく、変な形で固まった身体に触れると泣いた。死体の上に嗚咽や涙や鼻水を垂らした。俺は暫くして帰った。明日はバイトがある。なにより、俺が残ったところで、猫の為にはならない。


 親は明日猫を保健所に引き取ってもらうと言った。俺もそれがいいと思った。二年前もそうした。最近ではペット霊園とか、そういうサービスがあるらしいが、個人的には吐気がする。死んだものを自分の為に飾ろうという神経が理解できない。ただ、それを好む人は多いだろうし、俺が吐気を覚えるだけで、その人達にどうこう言いたいことはない。これは趣味の、美意識の問題だ。


 親族は死んだら墓に入るだろう、彼らはそれを望んでいるだろうから。動物はどうだ?死骸を燃やされて、それでいいと思う。

 

 俺が死んだら他人にゴミ箱や、それに類するものの中に捨てられたい。死体はしばしば愛おしいものだが、やはりそれは醜い、どうでもいいものだ。


 俺は死ぬまでまだ時間がかかるだろう。それに、本当のことを言うと、死んだ後のことなんてどうでもいい。でも、こういった考えはロマンチックなものだ。俺はロマンチックと猫が好き。それと、もう二度と猫を飼うことはないだろう。