綺麗な綺麗な

 久しぶりに美術館に行った。素通りするのはビデオアート、コンセプチュアルアートの類。概念芸術は最初の一つが提出された時点で、後は猿真似、幼稚な共感でしかない。壁にキャプションをつけ、説明を読まないと自立出来ないものが芸術作品か?シュールレアリスムの一番悪しき部分の後裔だ。

 ゴームリーの彫刻とティルマンスの写真は好き、大好きではないけど、好き、どちらかというとティルマンスの方が好きで嫌い。

 ティルマンスはセンスがいいけれど、気取りが感じられる。作為的な写真だったら、ファッション写真じみた過剰が好ましいと思う。ウィリアム・クラインとかクリフォード・コフィンとかブルーメンフェルドとかアーヴィング・ペンとか。

 会場にあった、夕焼けをバックにした男の子の写真は綺麗すぎて、違和感を持った。あくまで綺麗の世界の話ならばいいけれど、作られた日常の中に、あまりにも情念的な作品は来訪者のように思える。写真集が欲しかったけれど、絵葉書を一枚。地下に降りて表紙が恋月姫だったから、夜想の「DOLL」特集を一冊。

 恋月姫の人形は綺麗過ぎて好き。そして綺麗過ぎるから、距離を抱けて、感情移入せずにすむ。

 きれいな物に惹かれるくせに、その対象が綺麗だという理由で、覚めたり軽蔑してしまうのは何故だろう。あくまで俺が自分のくだらない生活に腰を下ろしているからかもしれない。ファスビンダーの映画みたいな、悪趣味。

 多くの人形は俺の興味を惹かない。彼らはまるでホスト・ホステスみたいな感じがするのだ。その画一化された顔や、盲目的になれる関係性。

 綺麗なだけじゃ嫌だよ、って、多分我儘なんだけれど、感じてしまったならば仕方ない。当分は写真の中の人形で十分、でも、胸部だけの針金のトルソーはずっと前から欲しい。服飾学校にある、やぼったいのも好きだ。要は悪趣味で趣味が悪いんですね、と自分で考えて、少し嫌。