白、それは虚無。黒、それは傷跡
体調が悪く、起きる時間やふと、寝てしまう時間もまちまちだ。
ただ、色々諦めると、気は楽になるし、「エンタメ小説」ばかり書いてないで(でも書くうちに、ちょいちょい調べたりして、それなりに書いてはいるが)
本でも読むかなって気分になる、というか、それ位しろよって感じだ。
昔から花が好きだ。綺麗だから、色鮮やかだから、そして、散り行くものだから。
買える物だと、ラナンキュラス、薔薇、百合、トルコキキョウ、ダリア、時計草とか好きだ。
体中が花園ならばいいのにな、と思う。ただ、タトゥーを入れてもらう金がないだけで笑
あと悪趣味で高い派手なギラギラした洋服やアクセサリー。あと、小さい女の子向けの安っぽい宝石だって大好きだ。
植物の美しさ、そして、作られた美しさ、どちらも好きなのだ。
蓮の写真集を見る。蓮は見る機会が少ない上に開花時間(でいいのか?)も短いし、写真自体は正直どうでもいいのだが、やはり蓮、というだけでいいなあと思う。
でも、蓮のタトゥーって、女の子が入れる率がかなり高いんだよなー。好きと似あう、はまた別だし。まあ、ここは自分がタトゥーを入れる数を増やしまくれば、蓮も、不自然ではなくなるかもしれない。
最近ぼんやりと、ドクロに茨の冠をしたタトゥーを入れたくって困る。だが、こんなあしたどうしようかなって時期に入れるのもなあ、とも思う。本当に、がっつりタトゥー入れて、ちゃんと働いている人はすごいと思う。俺、労働より死派なんで(クズ
あと大好きなマリオ・ジャコメッリに関する読み返す。本当に、この人の写真は痛ましくも生き生きとしていて、見ていて、辛くも、身が貫かれる気分になる。
白と黒の、ハイコントラストの写真。大好きなファッション写真家、アーヴィング・ペンもそうなのだが、彼の写真は(ファッション写真だから当たり前なのだが)美しすぎて、つまり構成されすぎていて、「きれいだ」としか言えない。
ジャコメッリの写真は、痛ましい、そして、美しい。
三年前に書いた感想をコピペすると、
ジャコメッリは言う
「風景は始め人間と同じ物質、肉の事を考えながら生まれた。土は人間の肉と同じなんだ」
「プリントするときに手で修正がかけられる印画紙。白が損なわれないように、黒が閉ざされないように、黒の内と同じように白の内が読めるように。白、それは虚無。黒、それは傷跡」
彼は早くに父を亡くし、母の働くホスピスに出入りするようになる。写真を始めたのは28というから割と遅いスタートではあっただろうが、彼はずっと、己の景色のなかにいたはずだ、そして、それを再現するすべを手に入れたのだ。
彼は亡くなる直前のインタヴューで告げる
「もし私の人生の良かったことを挙げるなら、貧しかったことと、私が受けたすべての苦悩である」
彼の言葉は重い。彼は戦い、それを力にして、写真を撮る。詳細は苦悩は。彼にしか分からない。それでいい。彼は素晴らしいから。
ただ補足すると、修道院で楽しそうに遊ぶ少年たちや愛おしそうな老夫婦の写真も撮っているので、念の為。
信念、というものが人はあるはずだと思う。それか、物を作る人間には、美意識というものが。
俺は、彼に、彼ら、多くの亡くなった痛ましくも美しい芸術家に会うことはできないが、その、残された言葉に触れることができる。
そうやってきっと、ダメ人間は生きてけるのだ。