はにかむ瞬間は

 最近気になったものは?なんて言われて、つい相手に合わせようとる駄目な俺。でも、明らかに相手が興味を持たないであろうものの名前を口にするのは憚られる。素直に気楽に問いかけててきた人には、こちらも素直に返すのが礼儀だと思いつつも、悪趣味を押し付けるのはいい気分はしないのだ。

 コーマック・マッカーシーの最新作『ザ・ロード』をようやく読む。彼の人間的な小説を(褒め言葉として)読むのには体力が足りなかったのだ、最近、あ、いつもか。

 世界が崩壊して、とにかく移動を続ける父親と息子の話。世界で百七十万部売れたらしい。そういう本だ。多分、彼の作品の中で一、二を争うほど、シケタ出来だと思った。

 先ず定期的にスーパーや民家で食べ物にありつけるのがおかしい。暗き世の彷徨というよりも、まるで「危ない旅行」みたいだ。崩壊したことに関しての説明が無いので、その苦しみの描写への現実味が薄い。末尾もお粗末。最後まで細部は語られない、ただ父子の会話が足取りがある。しかし俺はちゃんと読了した。

「少年はなかなか眠らなかった。しばらくして身体の向きを変えて父親を見た。かすかな明かりに照らされた父親は雨で顔に黒い筋がつきるまで古い世界の悲劇役者のようだった。一つ訊いていい?と少年は言った
ああ。いいよ。
ぼくたち死ぬの?
いつかはな。今はまだだ」

或いは初めてのコーラを手にして、
「少年は缶を受け取った。泡が一杯出るね
飲んでごらん
少年は父親を見てから缶を傾けて飲んだ。それからしばらく考えるような顔をした。すっごくおいしいね、と言った。
そうだろう。
パパも飲んで。
お前に飲んでほしいんだ
でもパパもちょっとだけ。
彼は缶を受け取り一口飲んでからまた返した。後は全部飲んでいいよ。しばらくここに座っていよう。
それって僕が二度と飲めないからでしょ?
先は長い。いつかまた飲めるさ。
わかった、と少年は言った」

 小説の文頭には献辞があった。しかしそれは知らない名前だった。ファミリーネームは同じだから、親戚のうちのだれかだろう、と思った。訳者のあとがきを読み、この本が幼い息子に贈られたものだったことを知った、納得した。

 ふと思い出したのは『罪深き天使達』と言う名のシネマ。片親同士の二人の少年の両親が結婚する。不安定な少年同士は相手よりも優位に立とうとし、次第に愛憎で結ばれ、ラストは不可解で悲劇的に海に帰す、凡作。この中で主人公の少年の父親が、母親を失った時に言う
「それ以上考えなくていい。お前の分も私が考える」

 或いはルイ・マルの良くできた、戦争とナチスに翻弄される少年達を描いた自伝的凡作映画『さようなら子供達』の、主人公の親友(ユダヤ人)が兵士につれていかれるシーン。黙って、軽く手を振る(だったと思う)。

 凡作の美しさがあるとするならば、それは作者の良心に出会うことかもしれない。その洗練されていない、愚鈍とも言える瞬間の連鎖に不満を抱きながらも、この理由のある悪意への自己嫌悪と逡巡を生む、彼らの素直な告白。

 最近いい本読んだ?
 「今年発売された、コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』って良かったよ」

 って、言って、俺の代わりに。