パチパチ

期日が来ているはずなのに鳴らない電話を待ちつつ、パソコンを立ち上げメールチェックをする。手ごたえがないのに、どこか、安堵を覚える。身体が熱っぽい。大したととはしていないのに、すぐに微熱を帯びる俺の身体。早く微熱がどっかいってくれ、と思い同じ本を読み返す。

 調子に乗って買った本と借りた本の山を、少しずつ崩している。『Sleep now in the fire』と惰性の読書。アルバムの二周目で、レイジって読書に不向きだと気づく。

 初めて村上龍の本を読んだ。最近頭の片隅にあるライトノベル繋がりで、『コインロッカー・ベイビーズ』を読んだ。勘が当たっていた。俺が思うライトノベルがこの中にはあった。雄弁に語る作者とドラマチックな設定、しかもモラリスト。誰か(誰?)を不安がらせる要素のない、高品質のライトノベル。けれど、一般に用いられている、ライトノベルという名称はこの作品には相応しくないだろう。本田透が以前口にしていた『ヘヴィー・ライトノベル』という名称が(本田の意図とは若干異なっているが)ぴったりくるように思えたが、どうだろう。

 彼の作品を読んで、初期の大江の作品を連想したのだが、俺は大江の方が性格が悪そうで、好きだと感じる。村上の過剰なサービスは面倒くさかった、けれど、こういうのが好きな人がいてもおかしくないしむしろ、雄弁で反社会的(に見えないこともない)モラリストに惹かれる人が多いのは当然のことかもしれない。一作品しか読まずに彼らについて語るのはどうか、とも思ったが、今現在の感想が、この先も揺るがないような気はする。

 あ、あと、この作品に限らず、メディアに属する人たちが、頭が悪い感じで描写されているのはどうかなーと思った。弁護をするつもりはないが、彼らは需要がある仕事をこなしているだけなのに。でも、こういったモラリスト的な(そして些細な)言葉に『大衆にもガス抜きが必要ですから、我々は必要悪ですよ』等と飲み屋のお姉ちゃんのいる席で話すメディア、政治関係者がいたら、『タクティクス・オウガ』、ゲーム、ライトノベル的で(別の側面として画一的な描写よりは)面白いけれど(恒常性を従者としているであろう彼らにはそんな発想は不必要であるし、もし、今の日本で言っていても寒いだけだけど)。

 『Sleep now in the fire』

 微熱が続く。雄弁な人/それを求める人は炎の中で眠れるのか、いや、そんなことを考えなくて済むのか。最近またCDを馬鹿買いしてしまって、でも、熱か、疲れか、あまり消化できていない。未開封のディスクをよそに、昔の曲を聞き返したりして。中絶が趣味、という言葉が頭に浮かんで、それは何だか「あたまがわるいかんじ」がしたのだが、俺はそれに近からず遠からず、でもどうせ死んで中絶だし、と思いながらも健康のために『Room on fire』聞くことにする。微熱ばかりが恥ずかしいとは思えないのだけれど。