枯れなければ花々は燃えない

 ル・クレジオの『海を見たことがなかった少年』を読み、これこそ、俺が思う「ライトノベル」だ! と感じた。少年少女の、きらきらした息吹き、消えてしまう、その息づかい。この本はル・クレジオの著作の中ではかなり読みやすい方だと思う。若者向けに書かれたような、素敵な短編集だ。可愛らしい文章、例えば、


 彼は光の差しこんでくる大きな窓を見ながら、マカロンを少しずつ齧った。「きれいですね」彼は言った。「なんでこんなにすっかり金色なんですか?」
「太陽の光よ」ティ・シンが言った。
「じゃ、おばさんはお金持ちなんですね」
 ティ・シンは声をたてて笑った。
「あのきんは誰のものでもないわ」

 
 こういった「ライト」な会話ばかりでもないのだけれど、なんというか、若い人に読んで欲しいなあと思った。そう、コーマック・マッカーシーの『ロード』も、俺にとってはライトノベルだ。温かい、ライトな小説(前に日記で書いたけど、息子に送った小説だしね)。学生さんに、ぜひ読んで欲しい。

 ル・クレジオの、あんまり(若い)学生さん向きじゃない『戦争』という小説でお気に入りのシーンがある。詩を燃やすシーン。


 あたしはときどき、こんなふうに、紙切れに詩を書いて、そのあとで燃やすのよ。一篇の詩が燃えるのを見てるのって妙なものだわ。焔はどんどん進んで、紙がよじれ、言葉が透き通るように蒼ざめて、消えていくのが見えるの。それをやる時に、あたしは紙の上にかがみこんで煙のにおいと熱を嗅ぐの。とってもたくさん熱を出すのよ、詩が燃えると。だからあたしは最後の言葉を読もうとするの、ほら、焔の中で最後にもう一度、ゆらめくのが見える言葉よ。


 数カ月前に無職だった時、たまたま目にしたライトノベルの新人賞の募集を目にして、(まじで)暇潰しに、三日で短編を書きあげた。普段ライトノベルを一切読まない(ゲームは好きだけど)俺はめちゃくちゃスラスラ書けた。傾向と対策とか、流行とか全く分からないから。若者に届けよう、とかそんなんでいいのかな、程度の認識で。

 そして、なんだか楽しくなって、一週間かけてワード100枚分のファンタジー小説を書き上げた。まるで、友達の家で何十巻も続いている少年漫画を読み倒している時のような興奮があった。文章の文の単語の美しさ(俺がもっとも重視しているかもしれない!)を無視して、機械のように書き連ねる。楽しい。当然かもしれない、俺が好きな物語を、かっこいー、無防備な、少年少女を、無防備な文章で書きだすことができるのだから。

 その「特殊能力」を持った、登場人物の一人には、「詩を燃やして、その詩人の詩(奇跡)を再演する」という能力を与えた。能力名『ペトゥル・リヴァイヴ(花弁輪炎、美しい詩集って花々の集まりみたいでしょ?)』ライトノベルっぽいっしょ? てか、マジでかっこいいと思う。俺も欲しい(他のでもいいけど!)。

 それで、その能力を持つ少年は詩人になりたい、なっていたのだけれど「世界には美しいものがありすぎて、自分の言葉がどれだけの価値があるんだ」と思い悩み詩が書けなくなる。だから、他人の詩を燃やして、(詩人につき)一度だけ奇跡を起こす能力が目覚めるんだ。ランボーの『永遠』で、海とつがう太陽で悪魔を消滅させたり、ボードレールの『悪の華』の序文にある「病める花々を捧ぐ」ことで友人を守るん。正直書いててかなり楽しかった。

 でも、それが求められていないことは、その後よくわかった。まあ、書いているうちから「中高生向け」ではないし、「大人向け」でもねー中途半端なエンタメ小説だなーと感じていた(主人公の能力がラカン鏡像段階における……。てか、ラカン特に好きじゃないし、でもユングとかさすがに、ねえ。でもユングを選ばない選べない俺は「向いていない」)。でも、俺の為の物語だから、楽しかった。

 詩を燃やす快感は、ル・クレジオの小説を読む前から頭にあった、だから、彼も詩が燃える瞬間を見ているんだって思って、すごくうれしくなった。詩は、燃えるんだって、そう思っている。

 俺は詩を書いたことが無い。だから、詩人ってかっこいーと無責任に言える! 小説の中で、「下手な」というエクスキューズ入りで書いたことはあるが、そんなのは書いたことにはならない。また、「ペトゥル・リヴァイヴ」君みたく、「世界には美しいものがありすぎて、俺なんていらないんじゃないか」と思ったこともない。少し違う思いならあるけれど。


 俺にとっての詩人は、きっと本の中にしかいない詩人はプロメテウスのイメージだ。それも、焔を盗むだけの、美しい盗人。人間なんかに秘密を教えなくっていい。ゼウスに罰せられることの無い罪人。むしろ、ゼウスを罰してくれる、理不尽にプロメテウスに責め苦を与えたように、ゼウスにユーモラスな残酷な罰を与えてくれる人。世界に焔を生み、速やかに、生んだ焔までも盗んでいく、神話のような神話の中のような、そんな、俺にとってのヒーローだ。

 どこにもいない、憧憬の対象。ヒーローの押し付け。でも、それは帰依じゃない。だから許してくれる、ような気がしている。俺が思うル・クレジオマッカーシーの「ライトノベル」は、温かいだけの結末じゃない、というか、考える、学生さん達が生きる為の力を、考える時間をくれる小説だ。一緒に並べるのは大変心苦しい、というか質が違うと自覚したうえで、俺の、俺の為の「ライトノベル」も考える時間を与えている、つもりだ。君らの意志で、どうにかなることも中にはあるんだから。どっちかっていえばやっぱ、かっこいいほうがいいよね、って。

 焔が燃える、燃え尽きることに関して、それを思い浮かべると心が休まる。俺のエンタメも俺の意志も、ヒーローの言葉も肉体も、灰になる。それを思うと、俺は安らかな気分になる。あ、そのエンタメ小説ではボリス・ヴィアンの『ぼくはくたばりたくない』を引用して(燃やして)、ちゃんと、死にかけの友達を救うんだ。やっぱ無駄にかっこいー主人公は殺せないよね! 俺も、まだくたばりたくないと思うよ。