「ザ・ワールド・イズ・ユアーズ」

 最近やっと、肌寒さを感じる日が多くなってきた。嬉しい。月の終わりになると発生するお金のあれやこれやで、これから先のことを考えざるをえないのだけれど、これから先ってなんのこと。

 割と書けていた小説が急に手が止まり、別にそんなのは珍しいことでもないのだけれど、依存対象の一つが消えるのは、こころもとないことだ。こんな時には。

 とにかく何かを書きたくって、というか、書きたい題材は幾つかあって、それは幸福なことなんだと思う。幸福。意志のようなものがあるなんて、幸福だろ?

 でも考えはまとまらないし、むしろ少しだけ、文章から離れてもいいんじゃないか、という思いもわく。構築と言うよりも、エンターテイメント、楽しみを俺を楽しませることを。

 ライトノベル、というよりも、単純にエンターテイメントっぽいのを意識して小説を書いてみている。これも初めての体験で、面白い。というか、あんまり自分を楽しませようとしていなかったのか、と今更気付いた。ノリ良く書けている時はそりゃあ楽しいし、楽しまないと作り続けることなんてできない。それでいいと思っていたし、もっと硬質の、要素が作用し合っているかのような小説が、憧れだった。けれど、そういう消費されるべきものを書きたいと思ってもいいだろうし、そういうのを、とても楽しく消費出来ているのだ俺も。

 芸術は、文章は、小説は、ユーモラスであるべきだと思う。それは簡単ではないが、ユーモアがないものは、悲惨だ。例えば善悪の二項対立(を意識したメタ視点の凡庸さ)、みたいなハリウッド映画を見せつけられているかのような悲惨さ。でも、ハリウッド映画ならば大金が投入されている。それだけで救いがある。大勢の人が死ぬ。俳優の大袈裟な演技、お約束の展開、カット、カメラワーク。豪華なセット、CG。それだけでも十分見る価値があるだろう。それが小説だとしたら? 俺が考えるのは、多少の感情移入と(多少でも十分だ!)読み捨てられるべき速度。速度。効率的な、ユーモアの消費。

 今キングダムハーツシリーズをプレイしている。キングダムハーツとはFFのキャラとディズニーのコラボのアクションRPGで、まあ、超王道の鉄板って感じの作品だ。ハリウッド映画のような。そんな感じの。正直この年でやるのはきついなあ、と思って敬遠していたのだが、やれば楽しめる。心底楽しめるなんて、はなから思っていない。

 シリーズの1と1.5的性格の作品をクリアして、今は2をプレイしているのだが、この1がすごかった。俺のポンコツテレビでプレイすると、半分近くのステージで画面が真っ暗になり、どこにいるのか何をしていいのかが分からないのだ。ガイドのミニマップもなし。カメラワークも最悪。敵も襲ってきてマップには仕掛けがあるのに、真っ暗。動かすキャラクター以外が真っ暗。真っ暗な中を訳も分からず歩き続け、剣をふるい続ける。でも何も変わらない。

 慌てて攻略本を買って、本に映された本来のゲームの画面を見ながら先に進めていた。本当はディズニーだし楽っしょ、と王道の金のかかった物語を、ただ頭を使わずに消費したかっただけなのに、気付けばやけになって必死にプレイする羽目になってしまった。馬鹿?

 あ、2はかなりの良作です。さらに豪華になった内容で、サクサク進むし、1の問題点がかなり解消されてる。でも、楽しむには1からやらなきゃね!

 お金や労力をかけたゲームは面白い(それを正確に把握はできないけど)。それは、何か一点だけでもそれを感じられれば、まあ、満足出来るからだ。「わあ、映像綺麗」だけでも、十分だ。俺は多分ゲームが好きだ。ハリウッド映画よりもハリウッド的なゲームの方が好きだ。時間を拘束してくれるのもそうだが、ゲームはボタンを押せる。俺は酷く手くせが悪く、落ち着きが無いので、助かる。介入しているかのような錯覚と言うよりも、手の震えを正当化してくれるのだから。

 数年前に薬中ミッキーみたいなフィギアが一部で人気で、俺もそれが欲しかった。ラリった感じの、パンクな感じのミッキー。(ネズミ王国は著作権に大変厳しいらしいから、あれはライセンス商品なのだろうか?)でも俺には少し物足りなかった。

 俺が欲しいのは、薬中ゾンビキラキラミッキーだ。口元の肉が削げ、開いた口がくわえてるのは自分の眼球と宝石。片足は無くしてしまって、自分の事が大好きな人間の男の子の足を切り落として無理やり継いでいる。手には勿論お金が沢山。できれば外人のラッパーがしているみたく、歯もダイヤ(おもちゃだからジルコニア)だといい。「俺金持ち」「俺かっこいい」「俺以外クズしね」みたいな、ミッキー。超欲しい。考えただけでわくわくする。そんなんないけど。

 それに俺は本物のミッキーも結構好きだ。千葉にあるのに「東京ネズミーランド」なんて名前を名乗って極上の笑みを浮かべる面の皮の厚さは、どうしたって嫌いになれない。

 友人の家でぼんやりニュースを見ていて、某国で子供が列車の間に入り込んだりして遊ぶのが流行っていて、指や身体を切断したり、中には死亡するケースもあり問題になっていると報じられていた。俺は「こういうことを言うのは何かやだけど、教育が行き届いてないとそうなっちゃうよね」と口にした。友人は「そりゃ、そうだよね」と軽く口にした。

 そうだ。正しい。俺の「こういうことを言うのは何かやだけど」なんて前置きはいらないだろう。教育を受けてしまっているのだから、教育のの影響下にある解決策を思いついてしまうのだから、仕方がないことだ。でもそれなしに口にするのは、やはりはばかられるのだ。

 その国にはその国の問題が利点がある。某国の幸福を俺は味わえない。列車でわくわくなんて、できない。そして、それに類することは日本では特に、許してはもらえないのだ。

 紛争を解決する手段として、第三者が攻撃的な側により良い条件を提示する場合がある。「そんなんしなくてもお金やるし罪は問わないよ、この後のあんたらの生活も保障してやるから。だから戦い止めなよ」

 戦う理由なんて、集団で戦う理由なんて、維持する為には阿呆な真似をするしかなくなるだろう。多くの人々はそればっかりじゃあ、飽きてしまう。自覚的かどうかは別として。正しい方法がない以上、恩赦と保障を餌に内紛を治めるのは間違った手段だとは言えないだろう。

 貧しい、と、ある国で、人を殺しまくった少年が恩赦を受け、国連や某法人からの支援で綺麗な衣服と住居を与えられ、就職の支援もしてもらえ、学業に励んでいる。内紛に耐えた、家族を仲間を失った少年が、貧しいまま、学業に励む。二人は同じクラスで勉強を共にする。互いに互いの立場を理解している。綺麗なシャツの男なんてそうそういるわけではない。そしてそれが珍しいことでもない。少年兵は大勢存在するるのだ(それを俺はきちんと把握していないし、そうする必要もないけれど)。

 けれど、貧しい少年がかたき討ちをしたとしたら、一方的に罰せられるのは貧しい少年だ。今は戦時中ではないのだから。

 だとしても内紛を解決した「彼ら」は責められないだろう。むしろ解決したのだ。立派だ。どこかにしわ寄せがくる。それに立ち止まることがはあっても、悪人を作る意義はどこにある。ましてや、当事者ではないものが悪人を作るのは、あまりにも品の無い行為だ。

 そしてこういった類の情報を、俺はエンターテイメントとしても享受している。俺たちに魔法をかけてくれて、マイルドに搾取するミッキーも、紛争に立ち向かう勇士も悪漢も一般人も、エンタメ。色々と想像を与えてくれるものだ。別に悪いことではない。一側面としての話で、また、日本に暮らしているのだから、どんどん、好ましいと思うのならば、消費するべきなのだ。崇高な行為なんてものはない。俺にはない。英雄視された人々は素敵な人達が多いと思うが、素敵であって、崇高ではない。愛の言葉は、二人きりの時にして欲しい。恥ずかしいのなんてよそでやってくれ。

 あるとしたらせいぜい、かっこいいか、かっこわるいか位だ。

 とか言っておいて、自分はどうだと考えると、別にかっこわるくはないがかっこよくもないなあ、と素直に中途半端だなあ、と感じる。まあ、くっきり分けられることではないのは承知しているが、熱さが足りないんよね。

 そのくせ、かなり加筆修正した、以前書いた「ライトノベル」で、「世界が壊れてしまった」主人公にむかって、俺はその友人に声をかけさせていた。

「終わらない物語が欲しかったんじゃなかったのか? てかさ、世界はお前のもんだよ。分かってんのか?」

「ザ・ワールド・イズ・ユアーズ」 

ザ・ワールド・イズ・マイン」とかならたまに目にすることはあるが(俺が好きだったくるりのアルバムはここまでっす)、「ザ・ワールド・イズ・ユアーズ」というのはあまり目にした記憶がない。別に特に目新しい表現というのではないけれど、ピチカート・ファイヴのクラブ路線の、ハッピーなアルバム「happy end of the world」のような、ポップでキュートな言葉だと思った。「ライト」な「ノベル」にぴったりな題材だと思った。

「世界はお前のもんだよ。分かってんのか?」と自分で書いていながら、あ、そうなのか、いや、分かってなかったっす、と思った。ていうかこの年で「世界はお前のもの」「世界は俺のもの」なんて言ってたらやべーだろ、やべーよ俺知ってるよそんなん。

 様々な物が娯楽になってしまう。そういう自覚をしているならば娯楽にしなければならない。特に、労働と生活と繋がらないと自覚しているならば、なんとかして娯楽の中にいないと、どうにかなってしまう。中途半端な、キラキラしていない、他人をぱくぱくするだけのゾンビミッキーになってしまう。

「分かってんの?」

 jackson sistersのmiraclesみたいに、I beliave in miracles [Don't you?]

 分かってんの? 憧れが遠くても、娯楽の中に。君のなんだから好きにしな、ってそうしなきゃ俺、ゾンビになるのなんて考えられないよ本当に。