もうすぐ倍っすか

十四歳の世渡り術シリーズの中の一冊、森達也の『神さまってなに?』を読みながら、ぜひ十四歳に読んで欲しい本だな、と思った。

 森達也はドキュメンタリー、ノンフィクション作家、という位置づけで、やはりオウムを内側から撮る、「A」で有名になった人だと思う、というか俺はそれで彼のことを知った。

 何で、と感じたことに実際に触れてみる。これは想像以上に困難な、いや、面倒な作業だ。森達也は自分が使命感からではなく、行動していると、自分は空気が読めないと言われていたのだと語る。確かに彼の行動は「良識派」には受け入れがたいことであっても、「放送禁止歌
」も「職業エスパー少年」も「オウム」も、一方的な報道、テレビを見る人には「善」と「悪」しか求められていないとしても、考えてみなければならない、と彼は告げる。一歩下がって、考えなければならない。事件はどこかの誰かの出来ごとではなく、自分たちにも関係することなのだ、と。

神道という宗教が特に、戦争を肯定するような要素を強く持っていたわけではないと僕は思う。でも結果として神道は、この国の方向を決めるひとたちに、天皇制強化のための理論として利用され、そして天皇制もまた、日本は世界の盟主となるべきなのだと信じる軍人や政治家達に利用された。
 もちろん利用するほうが悪い。でも利用されるほうにも利用されただけの責任はある。特に宗教は利用されやすい。だからこそ僕たちは知らねばならない。宗教の歴史を。意味を。機能を。神様を」

 すごくまっとうな意見だと思う。それに中学生に向けて書いているせいか、このシリーズは著者がややナイーブになっているように感じられた。でも、そういう言葉って中々出てこない(「読者」は目にしない)から、ぜひとも他の方々にも執筆して欲しいと思った。

 柄谷行人「十四歳の内省」浅田彰「十四歳の現代」蓮實重彦「十四歳のシネマ」、とか、でも一番題名的にいいと思ったのが島田雅彦「十四歳の青二才」ってか、俺は島田の本をエッセイを含めて十冊くらいは読んでいるはずなのに、彼の何がいいのかよくわからない。常に一定範囲で収まる刺激と既視感と「うまさ」、というか、下手でも情緒が無いわけでも野心が無いわけでもないはずなのに。むしろ島田のすごいファンの人の方が気になるかも。彼の魅力とは何なんだろう(顔、とその顔に裏打ちされた振舞い抜きに)。馬鹿にしているのではない。しかし俺は褒め言葉が見つからない。なんか、ビジネスパートナーとしては最適(頭が良く自信家で容姿がいい)、みたいな。ところでビジネースパートナーって何?

 高校生の頃に渡辺一夫のエッセイで「教える者も教わる者も両者の意志と言うものがあって教育が成立する。それは困難ではあっても、目指すべきことだ」とか、そんな趣旨の(じっさいはもっと温かい言葉だったが)発言があって、俺は中学、か高校の校長先生(的な)人がこういうことを入学式に話すべきなんじゃあないかな、と強く感じたことを覚えている。困難について、立ち向かうことについて、その手助けについて。

 とか思いながら、俺は高校にあまり行かず最低限の出席日数を計算してぎりぎりで卒業した。俺は若者たちに多くの選択肢を与える(ような)ことは素敵なことだと思う。面白い「かも」しれない、その予感だけでも、十分すぎる。

 とか思いながら、同時に俺に去来するのは「若者は早く死ねばいいのに」「でも、どうでもいいんだ」という思い。思いの強さとしては前述した方が強いにしても、集中力だか何だか、足りない俺はすぐに思考が散漫になる、様々な思いが通り過ぎて、どれが自分の意志だか分からなくなって、またそれが普通だとも思っている。「しかし好きな人の死について待ち焦がれる」ことがあっても、頭のおかしいことだとは思えない。教育者には向いていない。あと多くのことにも。でも、彼/彼女らの意志は好きだと嫌うことなんてないんだと、思う。