ストレス

 調子が悪いのも、下腹部の痛みも自覚していたけれど、昨日の夜黒い便が出た。ネットで調べると血便らしい。それを目にして痛みや不安が増した。大きな病気につながっていることもあるだろうし、何より、だましだましではもういけないのだと、気付かされてしまった。

 夜は満足に眠れず、翌日近くの内科に向かった。そこで話をしていると、医者は慣れたもので「はっきりと断定はできないのでとりあえず様子を見ましょう」と言って、俺は食い下がる。医者の判断は妥当な物だとしても、もし、大きな病気だったらと考えるときりがないのだ。

 自分で精神的なものだと自覚していた。特にここ数日の痛みの始まりも、ストレスに因る物だと分かっていた。でも、医者に多少迷惑そうに「何でも検査検査で私じゃないお医者さんなら怒られていますよ」と言われ、引き下がるしかなかった。

 でも、早期発見が大切とかいうチラシやらポスターを院内に貼っていて、しかもネット上でもきちんと胃と腸の診察をするべきだと言っておいて、いざそれを頼むと「ちょっと気にしすぎですよ落ち着いてください」と言われるなんて、どうすればいいんだ。

 多分、俺は完璧なコミュニケーション、或いは自分にとって都合の良い状況を夢想しているのだ。ありえないでしょ、と分かってはいても、でも、それを求めてしまう。そこから逃げ出そうとする。でも、はっきりとした病状からは逃げ出すことができない。逃げ出してはいけない。

 また、小さな病院だったので、別の心療内科での診察もすすめられた。原因は俺にだって分からないというか、いや、分かっている。多分、複合的なものだ。精神的な物だとしたら、それを認めたくないのだ。そういう性格が直しようがないのが、上手く付き合えていけないのは自覚しているから。

 精神的な安定って? 今の状況で一番難しいことだ。重病かもしれないし長引くかもしれないのに、金は減っていくだけなのに、「とりあえず様子を見ましょう」で?

 医者に多くを求めているのも(でも金を払っている者の権利だ)分かるし、大抵俺は色々な要求が多く、しかしそれを口にはしなかった。噛み合わない会話をするのが、本当に苦痛なのだ。

 会話をとって、コミュニケーションをとってお金を稼ぐ。そういう風に社会は出来ている。でも、くだらない嘘ばかり重ねて、そこまでしてお金が欲しいのだろうか? 結局働く羽目に陥るにしても、それを繰り返していけるほど、俺は大丈夫なのだろうか?

 身体の外も中も駄目で、仕事をしていても止めていても駄目だなんて、そんな安っぽい糞メロドラマは終わりにして欲しい。それは、自分で、終わりにするしかない。

 医者なんて嫌いだ、医者と言うか、コミュニケーションして「分かって」もらおうとするのが嫌いだ。でも、このままの状態ではいられない。


 翌日の心療内科の予約と、胃カメラの予約を入れた。お金の事は構っていたれなかった。苦笑いを浮かべていた内科の医者の顔が頭に浮かぶ。でも、そういう方法でしか、俺は不安を取り除けないのだ。ありふれた症状で感情的になる無職の男を見て、彼はたしなめようとしていた。相手に対する不満よりも、申し訳なさや情けなさが身を裂く。でも、代わりの医者はいる。そう思うしかない。エゴイスティックの、何をそんなに、俺は恐れているのだろうか。

 迷ったが親に相談をした。以前もこういったことがあって、親子間の仲は悪くないと思うが、俺の病気に関しては、親はかたくなにそれを認めようとはしなかった。古いタイプの、精神論で生きてきた人達だから、軟弱すぎる俺のようなタイプが理解できないのだ。寛容と拒絶の繰り返しでお互いに疲労する。でも、金銭的な支援には気が楽になった。ありがとうございます。


 多分、小説を書くことだけが、今の楽しみになっている。それがあるから、色々な劣悪な状況も、悪趣味なゲームとして楽しむことができた。それが出来ない状況をどう乗り切るのか。

 気持ちが不安定なのを、一部であっても吐露するのはやはり、恥ずかしいと思うけれど、今は早く考え事をしないようにするのだと、その気持ちでいっぱいだ。落ち着けない人間に、落ち着いて楽にして下さいなんて言ったって意味がない。むしろ、悪影響だ。でも、俺だって、わがままだけれど落ち着きたいと、「みんな」みたいなのがいいと、そう思うんだ。