ノージョブスチューピッド、蓮量産

 

酷い夢を見て、それが覚めた後もずっと涙が止まらなくって、こういう夢を見るのは久しぶりだなと思う。

 夢判断とか、以前少し話題になったように思うんだけど、あれを信じる人が良く分からなくって、だってあれ、結構なこじつけで根拠なんてないのに。それを始めた人、というかフロイドやユングについては「こういう考え方もできる」という点を示しただけでけなすつもりはないのだが、それを今も信じ続けるというのはおかしいように思うんだけれど。

 最近は家にいられなくって、こういう精神状態が生み出した夢のことを考えると、自分の状況が良くないことを認めざるをえなくて、げんなりして、外でシャボン玉を吹いていた。とにかく考えるのは、イヤホンをして、耳が痛くなったら貧弱なスピーカーを接続して、外に出ることばかり。

 どこかに出かけるのが好きなのは、多分移動の途中は、ぼんやり出来るからなのかもしれない。考え事ばかりしてしまうのに集中力が続かない。断片が、頭の中を通過している。でもそれもそれで心地よいような、そうでないような。

 シャボン玉を吹いていると結構声をかけられて、そのうちの一人、年上の男性と後日食事をすることになった。その男性は俺みたいなとか、遊び人的なタイプではないし、それなのにやや強引で変だな、と思ったが電話番号だけ交換して、三日後に俺が指定した渋谷で会い、ファーストフード店に入る。その時、もう一人その人の知人男性がたまたま一緒になったということで三人になっていた。ちょっと変だな、と思ったがそこまで気にはしなかった。

 最初は趣味の話とか仕事の話をしていたんだけれど、あまり弾まず、というか、俺は結構話を相手と合わせられる方だと思うが、誘ったくせにそういう話に乗らないし、しようともしない。なんかおかしい、と思っていたら、途中でヤクザだった人が今は真面目なタクシー運転手になって、という話をずっとし始めて、その元ヤクザのタクシー運転手が「なんみょうほうれんげきょう」をとなえてから心の安定が、ってので、あ、確信しちゃったんですね。

 あーあれだ。ネットで見た通りだ。だってこういうのって二人がかりで説得するんでしょ。一人が話す係で、「偶然」一緒になったもう一人の人が補助的な役割で。別れられないようにして。

 久しぶりに血液が濁るような、気持ちが悪い感じになって、俺は半笑いで「あのーこれ勧誘ですよね?」とたずねた。相手はあいまいな態度をとったが、これで勧誘じゃない方がおかしいわけで、俺は「貴方がたの考えを否定するつもりはありませんが、知らない人としゃべりに来たつもりなので、申し訳ないけれど帰らせてもらいます」と言って席を立った。

 その時、飲んでいたジュース(おごってもらった!)を「それ持って帰りなよ」と冷やかに言われ、なんとも厭な気分になった。でもそれに従った。それはおいしジュースだったけれど、店から出てすぐにゴミ箱に捨てた。

 その日や、その前の日は、久しぶりにちょっとおしゃれをしていた。いつもは着ている服の事なんて考えたくなかったし、自分自身に対しておしゃれを見ないようにしていたのだけれど、もともと派手な、実用的ではない洋服が好きなので、ずっと前に中古で買ったりもらったりしたギャルソンやドルガバとか、穴があきまくった服とか、スタッズだらけの服とか、ちょいラリった恰好で街を歩くのは、やっぱり気持ちがいいものだった。好きなものを着て、それが普通だと思えることは、幸せなことだと思うんだ。ドットのプリントシャツで、水玉を吐くのって、楽しいんだ。

自分の事を汚いなんて思ったら、やっぱり良くない。やっぱり、おしゃれをしなくっちゃ。作品に触れる自分自身も、ある程度は誇れるようにしなくっちゃ。汚い自分のままを肯定するのは、調子が悪い時はしょうがないけれど、でも、やっちゃダメだ。自分が醜いなんて、思ったら駄目だ。俺、俺のいいとこも多分知ってるよ、君も。

 その相手と別れた時に自分でも思いがけずに傷ついていたのは、その人は「若い人と知り合いになる機会がないから、ちょっとはなしたいと思ったんだ」っていっていたのに、結局は勧誘だったからだ。単純に勧誘にはまったバカな俺自身へのげんなりもあるけど、でも、こういう嘘って、やっぱ厭だなと思う。俺の小さな善意みたいなのは、クズだったってことだ。

 でも、ヤクザが改心した話の際に「最近は暴対法がどんどんきつくなっていて、昔は箔がついた御勤めが、豚箱に入る年数が伸びているからそういった伝統が崩れている」とか、建築系の仕事をしていると言われたら、「戦争請負人の伊勢崎賢治さんは始めは建築に興味があったけれどめっちゃ大金が動くプロジェクトに潜り込むのがめっちゃ大変で別の道を探して戦争の仲裁人という道を選んだ」とかそういう話を延々と話す俺自身のずれっぷり(当然あいてはやや引いてた)は、思いだすとちょっと面白かった。気遣い出来る駄目人間の典型的コミュニケーションですねー

 いつだって悲惨な話はどこかこっけいで、それでなんかちょっとましになる時がある。そういえば新しく知り合いになる人に、すぐ仕事も辞めますしクソ短気ですよ、みたいな話をすると大抵そうは「見えない」なんて言われたりするんだけれど、それは俺が直接そういう人にそういう態度をしたくないからだ。話が通じないと思っている人に、何を言えばいいんだ?

 結果、仲が良さげな人ほど、素直に、どぎつい(と自分では思わないけれど)ことを言ってしまう。ファッキン浮草家業。申し訳ない、とも思ってるんだ。

 でも、自分自身を醜いと思わないこと、くだらない笑い話に出来ること、何かの力を借りてもいいから、そうできるといいなと思う。

 最近また折り紙にはまって、ハスの花を作っている。楽しいな。勧誘する人は厭だけど、やっぱ釈迦も、ハスの花も俺は好きだ。花の事を考えるように、していたら新しいタトゥーが入れたくなって、それは定期的に感じることで、体中がはなばなだったなら、とよく夢想する。そしたら、もう、身体の一部が葬式みたいで、キュートだ。

 これに懲りずに、またシャボン玉を吹きに行こうかなと思う。楽しいんだ、やっぱ。沢山の玉が生まれて消えるあの感じ。優しい悪夢の中にいるみたいだ。どうせ悪夢でも、自分で、ましな方に進んで行かなくっちゃって、本心ではないけれど、そう思うよ。