燃やされる為に僕ら

 中目黒のTENGAI GALLERYへ、天明屋尚の作品を見に行った。

 無理やり枠組みに入れるならば、山口晃とか会田誠とかお金大好きおじさんとかと一緒の「日本」を意識した作品群を作る作家で、彼の提唱する婆娑羅や傾奇者といった概念の再構築、最誕、という行いは興味深いものの、どこか(作家自身が距離を置いているはずの)アニメ的な消費、評価がされているようにも思っていた。

 今回の展示もアニメキャラがヤンキー機械になった、みたいな感じで、正直好みとはいいがたかったのだが、やっぱりサムライはかっこいいわけで、欲しいなあと思う作品も結構あった。俺にとっては彼の作品はポップアート的イラストレーションに(前述した作家たちよりも)近いように感じられる。

 厳密に分けるなんてことは不可能なのだし、そんな意味などないのだが、良くも悪くも大量生産に向いているような気がするのだ。刺激的ともいえる題材の割に、おとなしい色彩、明度のサムライ、ヤンキー達はたたずまいがすっきりとしていて、ミュシャ的ともいえると思う。単純に日本画的、と言えばいいのかもしれないけど

 でも今回見たその中でも、プッシュされていないような気がする「もののけ」達の作品はいいと思った。奇想の系譜的な、「変」でかぶいているような気がした。妖怪、もののけといった作品をこれから彼が作るならば見てみたいなと思った。

 目黒川でシャボン。なんだかゆったりしていて、俺のぐでぐでなこんな状況でも
少しだけリラックスできるような気がしてくる。噴射式のではなく、普通に吹くのでシャボンを作る。シャボンの数は少ないが経済的だし、これはこれでリラックスできるというか、あの噴射式のはテンションが上がってしまって、今のおれにはちょっとヤバイかもしれない、とかいいつつまたやっちゃうんだろうな、シャボン。

 最近めっきり小説を読まなくなったのは執筆が続いていたからでもあるし、特に書きたくなるような人の本を読んでいないせいもあるが、集中力の低下もヤバイ。なじみのない文字の群れと格闘するような体力がない、そのせいで美術書とか軽めの本ばかり読んでしまう。でもそれが悪いかというとそうでもないような気もする。同じことばかりしていては駄目になる。だから、俺も、ちゃんとした人の小説に向き合わねばと思う。

 でもそうそうヤバイ新人を見つけるなんて困難な話で、最近は各国の宗教について読んだり考えたりしている。完全に門外漢ではあるし、人(著作)によって微妙に言っている内容がずれていたりとかはあるし、細かい宗派によっての戒律の違いとかを考慮すると、まともな理解は放棄しているのだが、やはり、神様について考えている人達、そして神様は、興味深い存在だ。

 頻繁に感じてしまうのが、大昔に書かれた、しかも弟子が書いたり偽典があったりするのを完全に信じるという態度は理解不能というか、真実なんてどうでもいいけど、「信じたい」のだとしか思えない。しかし俺は彼らを馬鹿にしているのではない。彼らの中には、「信じていても」生に真摯に向き合っている人達がいるはずだから。

 現代における神性が、一部の人にとってはアニメ、ゲーム、漫画、音楽、だとして俺も多少はそうだと思うのだが、どこかで寂しさのようなものを感じる。どんなに麗しき「キャラクター」達が傷ついた姿を見せてくれても、彼らが死ぬ姿を想像できない。死は、きっと恭しき者だけの、本当に奇跡的な特権だ。彼ら、バサラでもカブキモノでもいい、頭がおかしくなる位の表現には出会えないような確信をしながらも、どこかでそれを期待している。彼らにある萌芽やら破片やらには、どうしても惹かれてしまう。

裁かるるジャンヌ』のような、白い炎に焼かれることが、それを見て涙を流すことが、俺にとっては神性について考える機会を与えてくれる。そんなことばかり考えていると、もう、生きる意志が減退してしまって、The Velvet Underground and Nicoの、あの幸福すぎる「Sunday Morning 」やJoão Gilbertoの囁きが身体を満たしていくような、こんな雑文を書くことすら、(元々か細いものではあるが)意味を失ってしまう。

 生きることに意味はないとは思わない(しかしその考えを否定しようとは思わない)が、様々な認識がほどけていくと、圧倒的な情報量、現存在に対する志向性で頭がおかしくなってしまう。周波数の合わないラジオが複数で、絶えずなり続けているようなものだ。

 でも、それでも俺はまだ平気で、平気なのがありがたいと思う、

 のだけれど、宗教の根幹にある「禁止」と「救済」という原理がどうしてもなっとく出来ない。俺はかなり怠け者だし短気なのだが、それなのに、それがどうしても受け入れられない。しかしそれは所詮恒常性に対する愛憎に収斂してしまい、はがゆい思いをする。父殺しが出来ない、イニシエーションは機能しない、だって、神を殺すなんて、神に殺してもらえるなんて、

 ということで魔がさして、神粘土をこねりました。神粘土なんて何年ぶりだろう。特に俺は仕事が雑だし適当に作ったにしては、まあ、なんかかわいく作れた、ような気がする。ティガーとマリオのスターとゼルダのハートのかけら。

 正直クオリティがやばいのは自覚しているのだが、この雑なのも作りまくるとそれなりに楽しいかもしれない。本当は花を作りたいのだが、俺の技術力じゃ無理だと思った。それに、やっぱり花は枯れなきゃね。

 虎天国に住みたい、とか思いながらまたなんか書き過ぎてますけれど、まあ、いいか