一文オペレッタ

 また、隣の騒音で、夜中の二時に耳栓をしているにも拘らず響いてきて、もう、体力の限界で、壁を何度も叩いて死ねと連呼すると、珍しく静かになった。いつもならばこれでもまだ平気で続けているのに。

 無理に寝ようとすると眠れるわけがなく、しかし身体は疲労しきっていて、翌日に一年以上苦情を入れ続けている管理会社への電話を思うと徒労感でいっぱいになり、そうこう小一時間程度で眠りにつけて二時間ほど寝て二時間ほど起きて二時間ほど寝て、ということを繰り返していたら、そう、もうすぐ月末で、金の処理をしなければと思い当たり外に出て機械の前で作業を繰り返す。

 大抵のむかつき、大きな苛立ちというものは、他者に起因するというよりも自分自身の愚劣さや至らなさによって引き起こされるもので、しかしながら他人が悪いのだと思ってしまうことが問題だ。

 だから、自分自身に問題があると思えれば冷静さを取り戻す。分かりあえない他人に要求をするよりも、自分自身で解決すること、でもそれが出来ない時は、己を恥じるしかないし、そんな時はよく眠る繰り返す、こんな日々はやはりもっとバカげた話をいや、楽しい話を、

 ということで某カードの申請に通った。しかも、メールで、数時間後にその旨が告げられ、提出書類も勤務先(自宅にした)への電話連絡もなく、あまりのザルっぷりにこれでいいのか、と思ったが、素直に喜んでおこう、

 って、これ、俺が二十歳位の頃問題になった某劣悪派遣企業の、登録と同時にクレジットカードに加入させて(俺はそれには加入しなかった)徹底的に搾り取る方式を想起させる。

 のだが、まあ、これはこれでいいというかもっと楽しい話を、そう、最近トランクスに大きな穴があいて、いつもなら捨てているところを縫って再利用するという「すてきなおくさん」(図書館で働いていた時にこの雑誌を知ったのだが、表紙に得とかドケチとかそんな文字ばかり踊っていて、素敵か?と思った)っぷりで、

 てか、服は良くても下着を雑に修繕するというのはなんだかそこまでしなくても、という気分になり、そういえばアマゾン先生でチェブラーシカグッズを検索していた時に、チェブラーシカブリーフというのがあったことを思い出し、さっそく検索してみると、それはガールズブリーフとかいうわけ分からん商品で、もう、本当に女の子はいーよなーとか思ったんすけど、でも、正直この29さいの俺がチェブラーシカのキュートなブリーフを穿いているところを想像すると、もう、こりゃあ変態とかそういうもの以上のメルヘンキチガイ地獄絵図で、ほっと胸をなでおろしましたはい。良かったね、ブリーフなくて、

 いや、そう、もっと楽しい話題を、としたら、あのリサとガスパールソニービルに来るぜイベント! がまたやるんすよ。これね、俺が大学の時にもやっていて、たまたま友人と銀座にいた時に遭遇して、もうね、テンションマックスなのを悟られないように友人を誘導して、ベンチに座っている二人の巨大ぬいぐるみの前で事情を理解してない友人に「どうしよう? なあ、どうすればいい?」とかたずねてしまって、「真中に立てば撮ってやろうか?」とか言われて、もうね、分かってねえわけ! 何でリサとガスパールの世界に俺が必要なわけ? 圧倒的にいらねーじゃん俺! でも一緒に写りたい気がしないでもないわけがないわけでもないような気がしないでもない、ということで折衷案で(は?)友人に、

「お前本当は撮ってほしいんだろ? 分かるからさあ、なあ、携帯かしてみろよ」

 とクズスマイルで告げると、クソムシを見る目で見つめ返されて、しょうがないので自分でぬいぐるみだけを撮影しました。本来なら真中に人(ちびっこが)いるはずのスペースが空いていて、妙にわびしい写真になりました。

 のだが、今回行くかというと、正直行っても行かなくても後悔しそうで、あの場所に一人で行くのはどうしてもきついし、だからと言って「久しぶりに銀座の画廊巡りしようぜああっとこんなところにリサとガスパールが作戦」なんてどう考えても脳軟化、慚愧に堪えないであります! 耐えられないであります、もう、俺をゆっくりさせてくれよ、なあ、なあ、もっといい話、

 そう、俺には素敵な物をプレゼントをしてくれる存在があって、まあ、ぶっちゃけなくてもアマゾンなんだけれど、大量に登録した欲しいモノリストから安くなったものを適当に注文しまくっていると、ある日突然に、何か分かっていたり分かっていないものが届けられてきて、いやあ、もう、こりゃあ天の恵みだね、最高だねキリストだねマリアだね菩薩だね釈迦だねアマゾン、金払っているのは俺だけど。

 消化しきれない物が大量に家の中にある幸福と吐き気。そして俺はどうせそれらを売り払う。

 以前書いた小説の中で、ストーカー被害にあっている元ホストがブチ切れしてその客に言い放つ台詞があって、そのクソメロドラマ台詞を引用すると、


「お金払ってサービス受けてたんだろ。あのさ、お金払ってたくせに、『本当はお金じゃないよ、君が好きだ』って匂わせてたのは、あんたらがその言葉を欲しがってたから。あんたらの気持ちよさげなことをするのが俺の仕事だったんだもん。何回も言ってるけど俺もあんたにも愛なんて無いね。もうさ、気づけよ。俺は高級バイブであんたの膣の構造に合ってたのかもしれないけど、バイブに恋してどうすんの? ねえ、バイブに恋してどうすんの? バイブに恋してどーするんですか? あんたさ、バイブ使ったことあるか知らないけど、あれ結構すぐに駄目になんのよ。表だって話題になるもんでもないし、耐久性より別のが求められてんじゃん。でもお気に入りが駄目になっても、別のいいのが沢山売ってるよ、ここ新宿だし、恥ずかしかったら通販でもいだろ、な、お金を出して愛してるって言わせんの恥ずかしいか、なーでも今レンタルホストもあるし、な、そこんとこ認めて、自己愛の為に頑張れ、自分大好きなおばさん女の子」

 この後元ホストはされるがままに殴られてから、たまたま同席していた友人と街に出るのだが、こういうのを書いていると、自分の文章ながら他人の書いているものを読んでいるようで、気分がすっきりすることがある。多分、何かを作っているような人は似たような経験があると思う。勝手に意識が流れ込んでくる、あの感覚。

 でもそれは結局自分の中にあるものから引き出してきたもので、本当の意味での新鮮さは<他者>はいないのだろうが、これはこれで、胸糞悪くていい話だ。お金で買っておいてお金じゃないと言わせたいとか、バイブに恋してどうすんの? ねえ、バイブに恋してどうすんの? バイブに恋してどーするんですか? とか、そういうソープオペラに似合いの人生なんだよね俺やっぱり。