サイダーシネマフレンド

 友人の個展があるということで、前もって買っておいたプレゼントを持って表参道に向かう、こんなこと久しぶりだなと思う。その友人とはもう何年も会っていないし、プライベートで遊んだことは一度もないのだけれど、その友人は「イイヤツ」なのだ。

 だから、日頃人と会わない、会ったとしてもどうでもいいと思っている俺も少しは身なりを整えなくてはいけなくて、適当リンパマッサージと表情筋体操と安物パックのコンボで、なんとかそれなりになる。

 怠け者がこういうことをすると、自分でもはっきりと顔のしまりが違っているのが分かる。ベテランゾンビが生まれたてのゾンビになった位に。

 日々女の子はこういうケアというかメイクをしていると思うと、無精者としては本当にすごいなーと他人事で、キラキラした、無数にあるブランド物のメイク道具も、必要無いからこその輝きを感じる所もあるだろうし、勤め人の機械的行動もそう、彼女達、そして彼らのそういう兵士<ソルジャー>的なところは、素直にすごいなあと思うし好きだ他人事だが。

 服や美術系の趣味は派手なのが好きなくせに、香水の匂いについては万人に好かれるようなものばかりが好きで、ブルガリとかドルガバ(のライトブルー)とかサムライとかディオールとかを少量だけ手の甲にかけて首筋にこすりつけてみると、一瞬だけ自分が爽やかな人間になったような錯覚も出来て、何だか楽しくなる。他人になれるような、そう傭兵、というよりも多分ソルジャー、新兵みたいな感じで俺も彼らと同じだって。
 
 しかし直接会場に行くのは何だか躊躇してしまって、そこらで少し暇つぶしをして、ギャラリーで出会った笑顔に、少し嬉しいような懐かしいような怖いような気分になって友人が「元気?」とたずねるから「元気じゃないよ」と微笑み告げると、相手の笑顔が少しこわばり、そういえばこのやりとりは以前もこの友人と、数年前はしていたはずで、その時の相手の反応は忘れてしまったけれど、友人は「イイヤツ」だし、そんなことにはこだわらずに、短い言葉の応酬の後で俺がプレゼントを渡すと本当に、喜んでくれて、俺も嬉しくなる。

 小さなギャラリーには他にも俺の知らないその友人の友がいて、俺は話相手を引いた。作品についての短い感想を告げ、俺が知らない人と話す友人と、もう少しだけ話したいなと思う。

 ふと、学生時代の頃を思い出しつつ、ギャラリーをぼんやりと見ていたら、ふいに友人から「ねえ、元気?」と、不安そうに、俺の顔を覗き込みながら再度尋ねられて、喉元に強い違和感がこみ上げてくる。

 女の人だけがこういうことが出来る。相手に自分の望む言葉を言わせるのだ。俺はそれがとても怖くて「元気だよ」と微笑むしかなくて、本当に、女の人の、人を怖がらせるあの、真綿で首を絞めるような脅迫は、才能だと思う。女兵士の才能。

 俺は正直に
「同じ学校の同期で、今も制作を続けている人がいるってのはやっぱり嬉しいよ」と告げると、
「今度ヨナ(仮名)君の書いたのも読ませてよ」と言うが、どう考えてもその「イイヤツ」に俺の書いた文章なんて見せたくないし、そもそも、この「イイヤツ」に今まで何を話したのだろう話せていたのだろうと思えば、か細い記憶しかないのだが、逆にその友が「イイヤツ」だからこそ、趣味や指向(嗜好)の繋がりがなくても、こういう風にプレゼントを送れるような、うっすらとした、しかし確かな関係性が築けているのかもしれない。

 友人、がいるとして、どこまで何を話せばいいかと思うと途方に暮れる瞬間があるはずで、きっと多くの人に、そう、多くの人が途方に暮れて口当たりの良い嘘を交換して、それはそれで楽しくも虚しいのだけれども「イイヤツ」はそういうのとは隔たっているから、俺は学校や仕事先の中でそれなりにやっている時のように、絶えず逃げ出したくなって困る。絶えず逃げ回る人生、そしてそれを意識すると様々な記憶を連れてきて、酷く疲れてきて、他の人と談笑する友を横目に黙って退室するとあわてて外まで出てきてくれて、俺は微笑を、友人も微笑を、そして短い言葉を交わして別れる。

 酷く、疲れてイヤホンをしてIpodの電源を入れると直前まで聞いていたRivieraが爽やかなラウンジボサのメロディーで「アイ シー ザ モーニング イン ユア アイズ」とか歌ってくれていて、疲労感が倍増して、でも他の曲を選ぶような余裕もなく、ひたすら歩き続けて、そういえば昔、携帯音楽プレーヤーを持っていなかった頃も、何かあるとひたすら歩いていたなあと思いだす。俺も、ただ歩いて、渋谷の(みんな大好き)ドンキの店先で投げ売りされていた、ストロベリーサイダーを飲む。昼食はこれできまりだ。

 店頭に投げ出されていたそれは常温で、炭酸飲料なのだから当然のごとく不味く、そして俺は胃弱で(多分逆流性胃腸炎っぽい)、炭酸水を飲むとすぐにゲップをしてしまって、でも好きなんだあの甘くてシュワシュワして、メロンソーダとか、メロン入ってないとことか毒々しい色とかも、でも人前で頼むのとかって、やっぱりゲップをしてしまうし、メロンソーダとか、やっぱり少し躊躇われる。でも、欲しいのだってちょっとだけだ本当には欲しいわけじゃないよソーダ、少し口にしただけでゲップをひとつ、そう、最近見た映画の話。

 フランソワ・オゾンの『スイミング・プール』。面倒なのでコピーしたあらすじは、

人気ミステリー作家サラが、出版社社長に誘われて、南仏の別荘に出向く。そこには社長は来ず、娘のジュリーがやってきた。奔放な性格の彼女は、毎夜ちがう男を家に連れ込み、サラに見せつけるかのように刺激的な夜を過ごしていた。サラはそんな彼女に嫌悪を抱きながらも、目が離せず、次第に影響を受けていく。

 というものだが、最後まで見ると仕掛けがあって、その先はご自身で考えてください的なものになっていて、俺はそういう「仕掛け」とか「トリック」とか、もっというとミステリに興味が薄いのだが、正直オゾンの作品はどれも大好き、ではないけれども楽しめる作品ばかりで、なんか佳作ばかりを撮れる実力派、といった感じがするのだ。この人もきっと「イイヤツ」だぜきっと絶対にきっと。

 それと同様に楽しめた『コーラス』は、悪ガキどもの掃き溜め校に新任講師(みたいな人)がやってきて、音楽の力で少しだけ変わる、みたいなとても分かりやすい筋の作品で、しかし「少しだけ変わる」のが、ハリウッド映画的ではなくフランス映画的で(クソセンスのない分かりやすい比喩)心地よい。

 つまり冤罪をなすりつけられたクソガキはクソガキのまま、主人公的立場の音楽家崩れも、辛酸をなめ続けることになる、

 のだが、ラストは割と綺麗にまとまっていて、つまり登場人物の多くに、不信と愛情とを注いでいて、(ウェス・アンダーソンの存在を想起する)多分この監督も「イイヤツ」なんだと思うよ、アンダーソン、ヒネクレアメリカン的に、
 
 でもアラン・ロブ=グリエ監督の『グラディーヴァ マラケシュの裸婦』はもとい、彼は「イイヤツ」って感じがしないね! でもね、俺彼の小説が苦手で、一冊でギブアップしてしまって、この作品も美術史家の男の前に「ありえない」ミューズが! みたいなもう、サドの小説みたいな退屈で夢いっぱいな感じなのだが、意外や意外、構図がいちいち美しく、映画としていちいち先が動きが気になる秀作で(でもつまんないよ)速攻で飽きるかと思いながらも最後まで観賞出来た。

 その点見る前から安心できていたのが、実相寺昭雄の乱歩原作の映画化『D坂の殺人事件』で、前に感想を書いた「屋根裏の散歩者」と同様に楽しめた。もうね、同じです、良作です。個人的な好みとしては前に見た方だが。あ、でも主演の真田広之の抑えた感じの演技は良かった。寡黙な美丈夫って感じだ、そりゃあの顔だもんな、かっこいいぜ! おしゃべりなティガー、

 ということで、ティガー目的で嫌々借りた『くまのプーさん/プーさんのオバケたいじ』。ピンクの豚のピグレットが主役っぽい話が多くて、豚と熊いらねーからティガー出せよと思いながら、頭の三分の一位どこかに行って観賞していた。いやあ、「プーさん」結構きついねえ、とか思っていたら、おまけ特典で十字キーを使ったミニゲームが収録されていて、見た後にプレイしたのだが、右を押してという指示に従って右を押すと「すごいわ!よくわかったわね!」とか次は左を(以下略)といった深夜のテレホンショッピング並みの人権蹂躙プレイを強いられることになり、人間の尊厳について深く考えることになったぜプーさん、

 とか、そういうディズニーアニメとかを楽しめなくなったのって、いつからだろう? でも、動きが、アニメーションと演出がとても優れている(と思う)ので、一応は楽しめてしまうのだが、最近のCG作とかは全く見ていない。

 中原昌也が『ファインディング・ニモ』か『カーズ』か、まあ、忘れたけれど、そんな作品を見て、大泣きをして、「何で自分はこんなすばらしい作品を作ってないでクズ文章を書き続けてお金をもらっているのだろう」みたいなコラムを書いていて、少し驚いたことを思い出す。彼は日本のアニメとかを思い切りバカにしていて、でも、ディズニーはありなんだ。俺には違いが分からないし、どちらにもあまり詳しくないのだが、ゲームは、ずっと好きだなと思う。

 アニメのキャラになってしまうが、アンパンマンが「アガペー(愛)とタナトス(勇気)だけが友達さ」(は?)とか歌っていて、ちょっときゅんときたんだ。ゲームの中はきっと、嘘の「イイヤツ」らばかり虚構だからこその、ジルコニアの勇猛な輝き、でも、アガペータナトスは多分、人間の方が持ってそうで、どっちとも、友達になれたらたまゆらの共犯者になれたらって時には思うし、あの不味いサイダーを飲んでからこれを書いている今もずっと吐き気が続いていて。