僕の身体はシャンパン、は御祝いに

 短い睡眠と倦怠の連続で、身体は疲れているものの、脳の一部はやけに冴えている、というか何かしていないと気が済まなくて、夏に結婚するという兄とその奥さんのお祝いに、シャンパンを注文することにした。

 俺には二つ上の兄がいる。体育会系で女好きで部活動や仕事をきちんとする、つまり俺とは正反対のような性格で、俺が中高の時は恐ろしく反りが合わなかったというか、俺が一方的に兄を恐れていた。

 ドアの開け閉め一つ、整髪料のスプレーの音一つ買ったcdの感想一つ、全てに憎らしげな言葉をかけてきて、それを恐れて何も喋らずにいると「俺に怒られないように黙っているんだろ、クソうぜえな、何か喋ってみろよ」と言われ、家族旅行の時に俺が気分が悪くうつむいているといきなり蹴り飛ばされ、意味が分からずに、ただ、兄の瞳を覗き込むと、曰く「辛気臭い面見せんじゃねえよ。これで気が紛れただろ」

 と、書いていくときりがないし、あくまで俺から見た兄だから、兄にとっては俺の存在は当時から疎ましい、良く分からないものだったのだろう。まあ、だからといってああいう行動をしてもいいとも思えないけれど。

 そんな兄も大学に進学し、一人暮らしをしてから大分態度が軟化してきて、一緒に買い物にも行くようになっていた。俺は怯えを隠しながら。でも、俺も、洋服が好きな人は好きだから、兄がブランド大好きな明るいキャンパスライフを送っているのも、遠くからいいことだと思っていた。それに洋服やゲームも買ってもらったし、誕生日に何か物をあげたりもするのだ。

 兄弟仲が悪いか、と聞かれると今でもよく分からない。俺よりずっと険悪な話を聞いたこともしばしばあるし、そんなこととはほとんど無縁の人達もいるから。

 兄はきちんとした会社に就職し、速攻で「営業職って見られる商売だから」とオーダーのスーツにモンブランのボールペンを揃え、もっと舐められない(調子乗ってもいい)年齢になったら、フランクミューラーやロレックスの時計揃えたいなと口にして、家には未開封のヴィトンの分厚いカタログをインテリア、音楽DVDはエグ●イル、と健康すぎる暮らしを送っていて、おまけにきちんと結婚までしてくれて、正直俺はほっとした。だって、俺がこんなので、兄までしっかりしていないと親がかわいそうだと思ったから。

 親は事あるごとに俺の心配をして、俺が「まっとうになるように」説得を繰り返していて、きっとそれはこの先も続くのだろうと思うと、ただ、吐き気がする申し訳ないと思う。それは兄だってそうで、プライドは高いのに、体育会系で揉まれてきた人間だから「死ぬ気でやればなんでもできる」と何度も俺をイラつきながらも叱咤激励してくれて、俺も魔がさして、「俺もみんなみたいになれるかな」、と何度もやってみたが、結果はこんなものだ。でも、家族は俺をまともにしたがっている。申し訳ないと思うが、従う気なんて、もうなくなってしまって、もう、色々とどうでもよくなってしまってから、少しずつ素直になれてきているかな、とか思うようになってきた。

 兄の婚約が決まった時に、久しぶりに家族四人で家で食事をとって、その時に俺は都心のドンキには必ず置いてある、ホスクラ御用達のモエ・エ・シャンドンでも買おうかなーとかブランド物大好き兄の為、嫌味半分で考えつつ、金がないくせに、兄の祝いにシャンパンを送るいじめられっ子の弟という図がえげつなく、適当なスパークリングワインにした。当然、あまりおいしくないというか、ペリエ買った方がましってかんじだが、兄は喜んでくれて、申し訳ない気持ちになる。

 兄は俺に理不尽なことを(あんまり)いわなくなってから「俺ってスゲー変わったよなー」と自画自賛ともとれる発言を何度かし、俺が当時の兄の振る舞いについて告げると、苦い顔で「そうやって、終わったことを一々口にすんな」と一蹴された。

 加害者は全て忘れる。兄に限ったことではない事くらい、その時の俺でも分かっていた。そして被害者は澱のように溜まった感情を時折覗き込み、手を伸ばし汚れたそれに触れてしまう。確かにそれは阿呆のすることだ。兄は正しい、というか、健康的だ。俺は大抵不健康だ。不健康で、普通なんだ。

 だから今回はちゃんとしたシャンパンを、と思い、最初はやっぱブランド大好きの兄へはドンぺりの、しかもお祝いだしピンクが、と思い、だが値段を見て、そして兄へ弟がドンぺりをあげるなんて、やっぱりおぞましくて、スノッブ過ぎで、げんなりした。

 しかし贈り物と言う者は、相手が喜んでなんぼだと思う。どんなに恥ずかしいものでもつまらないものでも高価な物でも、相手が喜ぶものをあげるべきだろう。

 それにシャンパンがいいのは、高級感があるし、香りがいいし、何より一番はすぐに無くなるところだ。さっさと無くなってほしい俺がしたことなんて。それにさっさとおしまいだなんて、虚栄に近くて、いいだろ?

 ということで、F1の勝者が飲む、マム コルドン・ルージュにした。値段も手ごろだし、それなりに高級感もある。それに勝者の為のシャンパンなんて、お祝いにぴったりだ、という気がするから。

 こういう、小手先の狡猾さと阿呆の惰性で俺は人生を綱渡りしてきて、ときどき自分のそういう面に厭気が差す。俺はどれだけ人間らしく、まともに、素直に、人と接してきただろうか? 馬鹿らしい問題だ。相手を不快にしないのが一番だ。ちょっとだけいい気分にさせて、それでもう充分じゃないか。だって、対話は相手がいて成立するのだから。
 
 だけれど、俺は結婚なんて、相手を幸せにする、と考えると、おぞましくなる。自分の中にそれが抜け落ちていることに気がつかされるから。自分が誰かを幸福にするなんて、かんがえられられない、ことに愕然とする。どれだけ俺は人間に対して真摯に向き合ってこなかったのだろうか?

 なんて考えが深刻すぎるのは分かる、きっともっと、単純で適当な理由で恋人同士は選択をするのだろう。こんなときに俺は原罪を信じられたならば、咎人になれたなら、と馬鹿なことを思う。罪があるのならば、人間にとって都合のよい、罪があるのならば、俺だってきっと、それを償えるのに、俺の身体は生まれたときから借財ばかりで、もう、どうしたらいいのか分からないまま、心臓は血を吐き続け、生かされている。俺の血を巡る大切な、罪の意識と憎悪。

 結婚式近くになるとばたつくからということで、わざと月を外して渡すことにする。夜中に注文した品を持って兄の家に向かうと、電気がついているはずなのに呼び鈴を押しても返事が無く、しばらくたってからまた同じことをしても反応は無く、とうとう兄に電話をかけると外に出ていて、妻は家にいるが、いきなりピンポン連打で怖がっているということで、兄の帰りを公園で待つことにする。

 一応訳を話し、奥さんに渡して頭を下げて終わりでいいと思ったが、社会人の兄はそれには納得せず、寒さと吐き上がる思いに耐えながら公園で待つこと一時間半、兄の家に向かった。

 初めて会う兄の奥さんは見るからにいい人そうで、少しホッとして、「F1の勝者に振舞われるマム・コルドンルージュというシャンパンで、お祝いにいいと思って。顔を見せるのが遅くて申し訳ありません」と頭を下げる。

 玄関口で済ませようとしているのだが、兄も奥さんも上がって少し話そうと言ってくれ、しかしそれはどうしてもできなくて、話を無理やり切り上げると、にこにことした人のよさそうな奥さんに向かって、
「俺が言うのもおこがましいのですが、兄をどうかよろしくお願いします」と言って、後は引きとめるのも流して外に出て、シャンパンを運んでいた段ボールを両手で潰し、踏みつけ、涙が流れ、段ボールの残骸をコンビニのゴミ箱に突っ込み、ふらふら、はらはら涙を流しながら近くにあった電柱を抱き、嘔吐した。

 ろくなものを食べてなかったので水分の多い吐瀉物に涙が落ちる。気持ち悪い俺、素直に振舞えない、相手をちょっと喜ばせるだけの、小手先の達人。再びえづく、が何も出ずに、涙が、鼻水がゆっくりと垂れ、落ちる。

 最近乱造している小説のひとつの題名が『たまなし けだもの やすもの くちづけ 皆貴方の好きな物』という題で、母に捨てられてから親戚の家をたらいまわしにされ、少女買春に利用される女子中学生が主人公の話で、運よくそこから抜け出した彼女は美しすぎる幸福しか知らない女の子と学歴コンプホストからウリセンに流れた借金漬けクズイケメンと友人になり、めまぐるしく自身の考えが変わっていく、といった小説で、最初の方で主人公の少女は客の一人に

「やっぱちょいブスに中出しすると精子がびゅうびゅうでるなあ。おい、これは絶対店には言うなよ。言ったらお前の身体ボコボコにしてやるからな」と言われ、その時は中学生の女の子が、あまりのことに受け止められないでいるのだが、ある時、ふと、その言葉を思い出し吐きだしてしまう場面を思い出した。俺も、自分が汚いから、汚いから? 汚いから? 吐き気と涙が止まらないんだ。

「私がちょいブスだから精子が、びゅうびゅうびゅうびゅう出る。」

 本当に、こういった文章を書いているときは胸糞悪く、何で書いているのかと自分でもときどき分からなくなるのだが、そういうの小説を書こうとした時点で、引き受けなければならないことも、贄にささげなければならないこともあるはずだ。
 
 その主人公の女の子は、自分が犯されてしまったことを恥じてはいるが、二人の美しすぎる友を得てしまったことで自己憐憫からは逃れられる。この人たちと同じものを見たいと、この人たちにとっても恥ずかしくない人間でありたいと願ってしまったから。それは、容易ではないことを薄々とは感じてはいながらも、中学生の無防備さで。

 この書きあげた小説の結末はどうでもいいとして、でも『たまなし けだもの やすもの くちづけ 皆貴方の好きな物』(美しすぎる女の子によるサウンドオブミュージックの劇中歌マイフェイバリットシングスの超訳)なんて、あの幸せそうな兄の家族には、そして両親には絶対に見せたくない、見せてはいけない。もう、これにかぎらず碌でもない小説ばかり、でも、俺もこの犯されてしまった少女のように、恥ずかしくない人になりたいなと思う、思うんだ、

 今、こうやって辛いのも、不幸は幸福と違って複数で襲ってくるから対処が難しくて、今回のは一つのきっかけだったってことくらいわかる。大丈夫、大丈夫だから、こんな雑文を書けるなんてまだまだ平気な証拠だそれに、なあ、今の俺涙と泡立つ流れる吐瀉物と友達になって、俺の身体スパークリングワイン、いや、シャンパンみたいだろ。なあ、そうだろ? 御祝いしよう、な