花々は骸骨の心臓



胸糞悪くなることがあって、それが終われば錠剤を少し、テクノミュージックを少し、聞いて、ほら、スパンクハッピーの「麻酔」なんかいいよね、

ねえ、身体も心も何にも感じなくなっているのはなぜ 
最初にキスした時みたい 動けないの 
ねえ痛みも 悲しみも とても甘くて冷たいのはなぜ 
最初に裸になった時と同じだわ 一言も話さないで あたしを見てるだけ
何も他には 欲しいと思えない 
ねえ このままあたしは麻酔をかけられて泣いているの 
サヨナラも聞こえないままで


 自分がこんな上等な(温情を与えるにふさわしい)人間じゃなくても、そんな気分になれる、だから音楽は好きだ、それと同じくらい、好きだ、買い物、だからまたふらふらと買い物をしていて、でも会計の時には当然イヤホンを外している訳で、そんな最中に突然鳴りだした電話、に普段ならシカトしているのに、気が動転して着信に出てしまって、せっかくのから元気もぐちゃぐちゃになって、店を出て錠剤をアルコールで流し込み、丁度いい具合になってきた脳味噌に、sugar teaの爽やかでほんのり前向きな、心地よくって怖くなってしまうようなイージーリスニング、テクノ、インストを。

 物をどんどん売り払っていると、大抵はびっくりするほど安価で、ゴミを処分されるようにして引き取られることが多いのだが、時折それなりの値段がついてしまうことがあり、「騙せた」みたいな気がして少し嬉しくなる。「小さな兵隊」ならぬ、「小さな詐欺師」気分で。

 その詐欺が生んだ金も月末には消えることを思うと、何だか実感がわかず、実感がわいていないってことは、要するに馬鹿か阿呆ってことだ、まあ、知ってますけど、

 ここ数日はお腹が全然減らずに、ブルガリアヨーグルトの脂肪ゼロ(普通のプレーンヨーグルトの中では一番美味しいと思う)を200グラムで十分、といった生活で、でも俺は割と肉もチョコも好きだし、後でぶりかえしがくるのかなと思いつつも、これはこれで調子がいいような気がしないでもない。まどろみと短い睡眠の合間に、味の薄い、舌の上で冷たいヨーグルト。

 でも衣食住足りて礼節を知るという慣用句はそれなりに正しいと思うし、確かトーマス・マンが「貧困は品性を汚す」と語っていたように思うが、最近ネットレンタル、つまり「クレジット後払い」映画を見ていなくって、やっぱ小さな無駄遣いを、と思いレンタルをする。とにかく、どんな状況だって、心に小さな蕩尽を。

 『ピンクリボン』は当時や今のピンク映画をとりまく環境を、足立正夫や黒沢清若松孝二らにインタビューをするというドキュメンタリー映画で、俺は大学の頃の友人に「面白いよ」と言われて「あー見よっかなー」と思いながらも五年以上経ってしまった。よくあり過ぎるこういうの俺。

 内容と言えば、ピンク映画やATGに詳しい、興味が無い人にとってはあまり楽しめないような内容だと思うし、逆にそれらにそこそこ詳しい人にとっては周知の内容で、どっちつかずな印象を受けた。あくまで資料としてなら興味深く、価値のある映画といえるのかなとも思うけれど。

 でも映画が二時間なのはやり過ぎたと思った。平板な構成にだらだらとした喋りに二時間も付き合うのは正直辛かった、から片手間で未読の本を消化、

 している中で『フラワーデザイナーのためのハンドブック』(ハンドブックのくせに定価が2500円もする! まあ、古本ですけど)が結構面白かった。それは俺の知らない用語、特にフラワーアレンジメント業界用語、っていうの? そこで(多分一部だと思うけど)使用されている用語というか、この辞書に載っている用語がドイツ語が非常に多くって、フラワーアレンジメントはドイツで盛んだったのか、気になってしまう。

 でも、「メーレレ ヴァクストゥームスプンクテ」とか、普通の人分かるのか?(ドイツ語で複数成長点という意味で複数点での配置方法)まあ、言葉を知らなくても出来てりゃいいからいいんだろうけど。

 他にも美術用語への言及も多く、「ミニマルアート」とか「もの派」とか「イコノクラムス」とか美術を学んでいる人しか知らないだろ、って感じで、中でもシュールレアリスムに関する記述も多く、「オートマティスム」「ダダ」「フロッタージュ」とか、あー懐かしいわーとか思いながらも、花々の構成法として「ミニマル」な方向性と、「夢魔的」或いは「イコノロジー的」な方向性はとても相性がいいように思えた。いやあ、かなりいい本だよこれ、残念なのは、俺には花々を作る金もそれを見る機会も限られていること、

 でも再見する『青い棘』は集中して見ることができた。

 1920年のドイツの実話を元にした映画で、ギナジウムに通う主人公は金持ちの友人の家に遊びに行き、そこで彼の妹に恋をする。しかしそれは実らず、妹は兄の元恋人(男)と戯れの恋を楽しむ。兄はその元恋人に、まだ感情を抱いている。若者らの虚しくも盛り上がる饗宴、そして銃による終幕。

 映画の中で描かれる豪奢で退屈なヴァカンス(の精神)、というのがとても好みでシャブロルの『獅子座』やフェリーニの『甘い生活』やフェラーリの『ハーレム』を想起しつつも、この映画の胆であるのは、この二人の友人同士が交わす契約にある。

 「自分達の愛を裏切った者たちに復讐し,復讐したらほほえみながらこの世を去ろう」

 はっきりとした描写はないのだが、この主人公の男二人の、友情でも愛情でもない結びつき<幼い契約>或いは<悪ふざけの共犯者>に惹かれるのは、俺がきっと、友情も愛情も良く分かってないからだと思う。ほんとに、そう思う。「おしごと」位良く分からないよね。よくわからないことばっかだ。

 だからこういう関係性を扱った映画はどれも惹かれてしまって、はっきり言って映画としてはどうかなと思うのも入れてあるが、『罪深き天使たち』とか『野生の少年』も『憂鬱な楽園』も『ブエノスアイレス』も、「ヤベー超好き」ではないのに、たまに見たくなってしまう。俺は映画を何度も見るのがあまり好きではないから、好きな映画でも五、六回位しか見たことがないし、「百回見た」とか言われると本当か、とか思ってしまうのだが、それは俺が本当に飽き性だからだと思う。映画だけじゃなくて花々だけじゃなくてそうで、俺も、さっさとどうにかなっちまえばいいのにね。


 なんて都合の良いことをのたまう俺にもこの著作は優しく、「キンダーシュトラウス」という項目には、子どもの花々という意味で、花々の原点とも言えるもので、無心に重ねたような簡素な花束という説明と小さな挿絵が記載されていて、本当に、かわいらしいな、と思う。吐き気も頬笑みもつれてくるんだ、簡素な、子どもの花々の記憶。

 そしてフューネラルスプレー(キャスケットカヴァー)の項目を目にしたときに、俺は、これになりたいと思った。

 意味としては(キリスト教における)棺の上をおおう花飾りのことなのだが、前から知りたいと思っていた正式名称を知れて、本当に良かった。俺の身体もこんな風になれたらって思ったら、何だか生きる気力が湧いてくる。

 胸から腹に入れた、大きな黒十字のタトゥーをずっと花々で飾りたかったと思っていた。俺は幼い頃から気分が悪い時や興奮している時に、全身に無数のクリスタルが槍のように刺さるような感覚や身体中に花々が咲くような感覚を「見る」ことがあって、本当に数秒の体験なのだが、眉間がむずがゆく、とても気分が高揚する。もし、俺の身体が棺で、それを飾れるならば最高じゃないかと思う。

 もっとも大柄のタトゥーをいれるとなると最低でも十数万は飛ぶだろうから、いつになることやら、という話なのだが、それにしても何度も夢想してしまう。夢想こそが、幸福だ、という気さえしてしまう。

 シュールレアリスムの影響下にある、ルネ・ドーマルの『類推の山』が未完のまま、至高点に、頂上にたどり着けずに終わったように、自分の身体に献花される無数の花々は、自分を貫く無数のクリスタルは、とても甘美なものだ、

 けれど、健康の為に、棘十字を飾りたいんだ花々で。花々で。虚栄も素晴らしいけれどもう少し身体を献花で繋ぎ止めておきたいなと思う。多分、それはキンダーシュトラウスのような『青い棘』のような、無心のもてなしであって、それくらいなら許してもらえるだろうな悪魔だってきっと悪魔だって、きっと花々は好きだってそう思うんだきっと。