溺れるのが君の好みだとすると

 気分がひどく悪くって、テクノ。

 Actress - Hubble

http://www.youtube.com/watch?v=C0FmZReUWXU&feature=player_detailpage#t=12

Chris Lake - Robots

http://www.youtube.com/watch?v=KH7DW0BDVM8&feature=player_detailpage#t=0

  水銀の中で眠るような気分だ、体内時計が正常になって行くような気分だ。優れた、テクノ、ミニマル・ミュージックの中で溺れていくと、俺もまともな気分に、まともな人間だって思えてくる。そういうのがいい。そういうので、生きていくべきだ俺ら。溺れられるんだ俺も。水の中で水銀の中で。

 久しぶりに六本木のABCへ。青山ブックセンターが閉まった時には俺も驚いたし、すごく寂しかったのだが、本当に今はどこの本屋も商売にならないというか、大型書店で、しかも写真コーナーが充実している、(ほぼ)自由に閲覧できるというのはとてもありがたいことだ。

 jeff wall. Wolfgang Tillmans、David Armstrongとかの、写真を再度目にする。ファッション写真よりの、つまりハッピーでもある彼らの写真を目にすると、気分が更新されるような気がしてくる。

 Tシャツ一枚五千円、ならまあ、普通と思っても、写真集一冊六千円を高いと思ってしまう。それに、本屋に写真を見に行く、というのが好きなのかもしれない。本当は欲しい、けれど、手に入れてしまうとそれほど欲しくはなくなってしまうこともしばしばあるし。なんて言いながら、今一番欲しい外国の写真家、sam haskins 、の写真集三万円なり。

 お金のことなんて、考える時間は少ない方がいいのだけれど、そうもいってられない。でも、それ以上に、好きなことを考えなくっちゃと思う。短気な俺も、水、水銀、ipod,インスタント・リプレイで俺、簡単にどこかへ。

溜まっていた映画の消化。

 森一生の『兵隊やくざ 脱獄』。兵隊やくざ(それにしてもすごいタイトルだな!)シリーズは、シリーズで長いし、監督がほぼ全部違うわけで、見る気があまりしなかった。それに何より、俺、戦争映画ってあまり好きではないのだ。だって、実際の戦争よりも「ドラマチック」にならざるを得ないから。しかも状況説明とかがめんどくさいし。

 『夜と霧』とか『ベトナムから遠く離れて』とか『二十四時間の情事』みたいなのならいい(全部レネ!)けど。だって、「遠く離れて」いるのに、語らざるを得ない悲惨さ悲壮さ何より、切実な「貧しさ」が伝わってくるから。

 でも俺は森一生の画面が、映像がとても好きで、でも森一生は俺が苦手な戦争やチャンバラやアクションばかりを撮っていて。

 でも、そういったジャンルに飽きてしまう俺でも、彼の映像はいちいちすばらしいから、最後まで緊張して感動してみることができるのだ。

 彼の映像を見ると、写真家の安井仲治の写真を想起する。モノクロの点在する人を風景を美しく収めた、寒々とした空気を感じられる写真を。リュック・ドライエや先日恵比寿で展示をしていたマリオ・ジャコメッリの写真も想起する。広漠とした空間にいる人々のことを思う。

 森一生のカメラが、俺が苦手な「アクションもの」でも美しい画面を保っているのは、偏在を点在をきちんと理解している、配置しているということで、つまり、主役を状況説明を優先するだけの(つまりつまらない「アクション」映画だ)映画ではなく、画面としてショットとしての美しさも保たれている、画面における色々な要素を捨て置かずにモノクロの中に落とし込んでいることだ。

 また、この『兵隊やくざ』にとっては、やっぱり勝新太郎の魅力も重要なもので、彼のアホでアグレッシブな「くまのプーさん」的なキャラクターはとても魅力的、俳優的だと思う。ころころと表情を変える、コミカルなのが間抜けにはならない、人物自体は対して詳しくないが、俺がいうまでもなく、フィルムの外でも魅力的でアホアグレッシブなひとだったんだなあと思う。

 森一生の映画、ということで『日露戦争勝利の秘史 敵中横断 三百里』を見る。この題名で内容を表しているような、わりかし退屈な映画ではあるが、森一生の映画だからさいごまで見られるし、それに、この映画でもそうなのだが、彼は男同士の命がけの友情というか戦場の絆ガンダム知らないし!)というものをよく題材にしているなあと思う。彼が監督する題材が題材だけに、それらは結構ベタな感じだったりもするのだが、何だかすんなりと受け入れてしまう。『ある殺し屋』とか、最初は油断して見ていたのにどんどん引き込まれてしまった。「ヤクザ」な世界がかっこいいと思ってしまうような。

 ウェス・アンダーソンファンタスティックMr.FOX』を見る。

  盗みで暮らしていたけれど、子供が生まれスーツに着替えたミスター・フォックス。でも彼は野性を止められず、穴倉の生活なんて満足できなくって、木の家を購入し、人間との対決が始まる、

 というような内容の、撮影に二年にもかかったというストップ・モーション・ピクチャーで、ウェスの映画で人形劇ってどんなのだろうと興味とほんの少しの不安があったのだが、いつもの、すばらしいウェスの映画だった。

 本当に、俺は彼の映画が「すばらしい、すばらしくアメリカ的」な映画だと感じている。それは彼が常に家族を愛情を友情をテーマにして映画を作っていて、それだけだと単に良くできたヒット作、といったものでも満たしているが、彼の映画がそこらの映画ではない、「すばらしい、すばらしくアメリカ的」だと感じるのは、彼の映画を見ると、容赦ない愛情を不条理な愛情を、不器用な交流を、泥臭い交流を、そして、シニカルで気のきいた微笑みを感じられるからだ。

 彼は人間関係の、特に濃密にならざるを得ない家族、恋人関係に、アホらしさにダサさに感動的な面倒くささに、真剣に取り組む。それでいて、口汚いスラングやらにやりとしてしまう笑い、「アメリカンジョーク」の精神も忘れない。

 キツネは結婚をしてもスーツを着てもキツネの本能を、野性を忘れることができない。家族を森の仲間たちを危険にさらしてしまい、大きな被害を出してしまったことを妻に厳しく糾弾されても、彼はいう「野性動物だから」。そう、これは人間の話でも「人間のまねをしているキツネ」の話ではない。ウェスの「キツネ」の話なのだと分かる。

 ウェスは便利な誰かに人間の、超越者の役割を割り振ったりはしない。いつでも泥臭くシニカルに華麗にたたかう、文字通り、取っ組み合いの関係性なのだ肝心なところはいつだって、真っ向勝負、。それは彼の人間づきあいの信条なのだと思うし、それがいっつも映画であらわれているから、俺は彼の映画に感動してしまうし。「アメリカ的」じゃあないか、とやや、距離も感じてしまうのだ。

 彼の映画を俺に教えてくれた人がフィリップ・ガレルの映画を「愛の映画」だと言っていて、その言葉に若干の反発と同意を抱きながら思う、ウェスの映画も「愛の映画」だと。

 でも、俺はもう少し違う映画監督が、まるで、あいのように、ぴたりと肌に合ってしまう。ゴダールユスターシュ、ドライヤー、サーク、ファスビンダー。肌に合ってしまうなら、しようがないのだ。

 でも、いかにも「アメリカ的」なラストも、暖かいもので、溺れてばかりもいられないとか、思ってしまったり。正解なんてないのだ、けれど、色々と感じられますようにともう少しは、ふらふらしていられますようにと思うし、そうしなければと思う。

 愛は死より冷酷、ってファスビンダーは映画の題名にしたけれども、俺は。