暁の話をしよう

 何だか最近妙にテンションが高くって、いいのか悪いのか。でもまあ、それはそれでいいってことにして。

 妙な気分で、町中をふらふら歩いていると、ふと、ゴダールの『カルメンという名の女』のラストの台詞が頭に浮かぶ。

「(質問に答えて、)それは暁というのですよ」

 とても美しい台詞だと思う。ベートーヴェンの良さは(勿論嫌いではないのだけれど)俺には分からないけれど、この台詞に収斂することを想起すると、とてもうつくしいような気がする。パッション溢れる感じ(ゴダールの『パッション』はすごく倦怠と小さな狂熱があって好きだ。メルギブソンの『パッション』は金かけたけどセンスない感じで、拷問するならもっとエグくすればいいのにね!)

 暁って、なんだかロマンチックで力強くて好きだ。seikou nagaoka feat adjaの「dancing until dawn」とかスゲー好きなハウスミュージックだ! すんげーハッピーでソウルフルでベタな盛り上がりのキラキラハウス。残念だけどyoutubeに曲がないしfeatだから他の曲はそこまでだけれど。てかなんでクラブミュージック、ヒップホップ系の人らってfeat比率がめっちゃ多いの?

 ポップンミュージックの「dawn」も好きだ。制作者によると、イメージはナルシスティックなロボアニメ主題歌らしく、結構好きだ。ロボアニメ見ないのに(笑)


 この手を赤く染める度 閉じ込めたこの思い… とか、かっこいいでしょ(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=5hAfykbUNMA&feature=player_detailpage#t=38

 元々pcのゲームで家庭用でも発売されている「ルナティックドーン」というゲームのことを想起する。すごい題名だと思う。無理やり訳するなら、「狂熱の朝焼け」みたいな?

 この世界ではプレイヤーは冒険者となり自由に生活をする。一応のゴールは王様になる、牢屋に入る、神になる、世界を崩壊させる、とバラエティに富んでいて好きだ。狭い世界の、自由度の高い、みたいな感じが。

 自分の好きなもの以外のことを知ろうとするとき、援用、応用できる部分は必ずあるものだけれどこぼれおちるものとかは必ずあって、だからこそ楽しいのだけれど、一人の人間が知りえることには限界があるし、どんなに優れた知性を持っている人だって万能だってあり得ないし、どんな人だって、人前に立って話し続けると、何かを描き続けると言うのは、小さな勘違いや誤りを生んでしまうのだ。

 だからこそ、知らない時にはガイドが必要になる。でも、日本人的というかお勉強小僧的というか、俺自身そういうところがあるのだが、その専門家的な人の著作をガイドにして、新しい世界に足を踏み入れるのだが、まあ、しょうがないことではあるが、その優秀なガイドを見つけると、とたんに信じ切ってしまうのもまた、曲者だ。

 そんなときに頭に浮かぶのが「ネオアトラス」というゲームで、俺はかなり前に友人の家でちょこっとプレイしただけなので記憶はおぼろではあるが、
 シリーズによっては違いはあるだろうけれど、確か大航海時代の王様に地図作り?を依頼をされたのが主人公で、その世界では「世界地図」が未だないのだ。プレイヤーは地図を作るのと交易でお金を稼ぐのと未知の大陸を発見して王様から援助金をもらい、そのお金を元手に船を買ったり人を雇ったりして、未知の大陸に自分だけの地図を作るのだ。

 勘違いがあるかもしれないが(あったらこの文がさらに酷いことになる!)、このゲームのいいなあと思ったのが、プレイヤーは実際には航海に出ず「調査団(船長)」が「この地形(国)はこんな感じだと思います」というのを信頼するかどうか、というのを自分で決めるのだ。当然どんな優秀な人にだって多少の間違いはある。そしてそれが「自分の中の世界地図」になるということだ。

その世界において、いや実生活において「世界地図」を作るのは困難だし、完璧なものなんて、(一部の人以外)本当は必要ではないのだけれど、不完全な地図のわくわく感とか、でも、完璧な地図という見果てぬ夢を追い求める好奇心みたいなのは、素敵だと思うし、いろんな人の声をききながら、結局は自分で考えて地図を決めるというのは大切だなと思うのだ。

 こんなかってな思い入れがあって、本来のゲームが十数年も未プレイのままという本末転倒な状態だ。俺も、世界地図作りたい!

 小さい頃、親がナショナルジオグラフィックの日本版を定期購読していて、当時はなぜかそれをたまにぱらぱらめくる位で、今更少し後悔している。そういえば親が俺の中学の時の歴史の教科書が欲しいと言っていた時があって、その時はなんでだろと思ったが、あれってかなり分かりやすく歴史の勉強ができるんだよね。歴史も自然もどこかで自分には縁遠いものだと、好きなものとか多少の知識はあるものの、不自然な、ゲームや芸術の方がずっと好みだった。

 今もそれは変わらないけれど、もう少し位、世界情勢以上に、世界地図について知ってみたいなあと思う。

 俺のマンションは某テレビネット会社(?)しか契約が出来ない?らしく、テレビを見ないのに、渋々料金の高いテレビセットに加入する羽目になる。イヤホンが出来ない(しにくい)ので、テレビをたまにしかつけないけれど、契約者が見られる「ディスカバリーチャンネル」はたまにつけっぱなしにしている。俺は英語があまりできないし、
というかテレビはながら見が主で、しかも俺のテレビは小さな「テレビデオ」で、字幕がつぶれてかなり読めないのだ!

 何をしてるのかよくわからない、のだけれど、外人が元気に変な機械を作っていたり遠洋漁業とかに出ている様を見られるのは楽しい。大きな画面で見てみたいなあと思う。

 というか、最近ちょこちょこテレビを見ると、結構面白いなーと思う。久しぶりに見るとなんても面白い。腹減った時のごはんみたいな。

 で、俺はごり押しクイーンのゴーリキーさんに、今まで他人事(数年は家のテレビでゲームしかしなかった)だったのだが、じわじわとその毒が回ってきたというか、街で視界に入ると「あーうん。『バキ(ほぼ未読だが)』の主人公みたいでいいんじゃない? 個性派モデル(便利な言葉!)みたいな顔だし、悪くはないと思うし、みんなたたきすぎじゃないかなあ」

 と思っていたのが、CMで、動画で動くゴーリキー先輩を目にしていると、何、この胸のいらだち! 「私、何だかいらいらする!」(って芸をしていた人、まだいるのだろうか?)

やっぱり美人が、可愛い子が、ゴーリキー先輩のポジションにいるべきだ! だって、それが芸能界でしょ!(利権で結びついた関係など知ったことか!)

 俺はゴーリキーをカイリキーに進化していないことを責める人達の真摯な意見を軽んじていました。美人な人が演技が上手い人が華のある人があの場所にいるべきなのに、ゴーリキーの肉体美を強制的に見せ続けられていたから、みんなは怒っていたのですね。またひとつ大人になりました。

 俺が学生の頃やっていた、「堂本剛の正直しんどい」は、堂本剛ではなく、それをうっかり見てしまった視聴者が一番「しんどい」んだよと友達と言いあっていましたが、間違いでした。一番つらいのはあの「しんどい」を仕事とはいえ作らねばならない(無慈悲なことにガヤの笑い声とかまでも!)制作者、スタッフ達だったのですね。俺も少しは大人になりました。

 そういえば以前、同番組で堂本エンドリケリ剛紫さんとキングなんたらの西なんたらさんが「気の合う友人」として二人旅、みたいなことをしていて、怖いもの見たさで見てしまったのだけれど、俺の記憶(頭)が確かならば、かなり安定した作りになっていたというか、放送コードぎりぎりではなく、二人が響き合っていたような感じがしました。汚れていたのは彼らではなく俺自身だったのです。また一つ大人になりました。

 俺はジャニーズに大して興味がないし詳しくもないけれど、キンキキッズの曲は歌謡曲っぽいというか、アイドルよりでもあったりファンだけではなく一般受けするような曲もあるように思うが、キャラクターとしては繊細そうな顔立ちなのに骨太の光一と漫画の主人公みたいな犬顔なのにちょっと拗ねたようなセンチメンタルな剛のコンビはすごく「アイドル」的、「歌謡曲」的でいいなあと思った。光一の平板なニュアンスの薄いあんまり歌のうまくない王子様声とちょっとナルシスティックで甘い剛の声との相性は抜群だと思う(そのくせipodに彼らの曲が数曲しかないけど!)

 二枚目のシングル、馬飼野作曲の「愛されるより、愛したい」とかめっちゃベタベタなアイドルソングですげーわくわくする。あの時期の若さの青さの、彼らにしかうたいこなせないような。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=d3ShYOyoI30#t=85
 「ぎりぎりの大人たちが 積み重ねているすべてのもの」のところがスゲー好きだ。

 「こわさなきゃ、あたらしい明日はこない」らしいですよ、ほんとかよ

 とか良く分からないいつにもまして雑なまま。