キミが必要なお金と悪魔

銀座エルメス ル・ステュディオ で『眠る男』を見る。

 パリの屋根裏部屋に住む25歳の男子学生は、自分を取り巻く世界から自らを隔て、無関心を決め込む。部屋に閉じこもりながら、空想のなかでひとりパリの街を彷徨うが、徐々に現実との境界が曖昧になってゆく。

 という、主人公の男子学生は喋らずに、執拗なナレーションが入る実験映画的な手法で、男の一日について虚実が入り混じるモノクロの画面がとても美しい。

 時間も90分以下だし、てかこれを二時間されたらけっこうきつそうだ。徐々に変質的なスピード感のあるシーンになりながらも、ラストに向かって収束し、街の映像に戻る感じとか好きだ。

 誰だって意識すれば一日は平穏平凡で、ドラマチック。

 その脚でシネスイッチでゴダールの新作、しかも3D映画『さらば、愛の言葉よ』を見る。

 正直最近のゴダールはそこまで好みではないし、3D映画は全く見ない(アクションやSF映画は見ないから)し抵抗感もあったのだが、めっちゃよかった。

  そう、佐々木敦が「冒頭、ADIEUの赤文字が飛び出してきた瞬間に、傑作を革新した」という感想そのままに、俺も同じことを感じたのだ。続いて彼が「3D技術の開発者はこんな使用をかけらも想定していなかったにちがいない」

 と語っているが、ゴダールおなじみの冒頭で文字が並んで文章になる、というのに平面の上に3Dで赤文字の「ADIUE」が並ぶと、なんともいえない高揚感があった。というか、この技術をゴダールも楽しんでいるような気がした。

 最初の方では3Dで対象物を動かしすぎると画面が散漫になるせいか、悪い意味で綺麗過ぎるかっちりとした構図で人物や物が対置されているのだが(でもこれでもいいけど)、3D表現の豊かさがすさまじい。

 わざとぶれた感じにしているのと、普通に立体としての3dと、何重にも影のようにしているのとか、あと、手前のフェンス部分だけを立体にして手をかけているのとかは閉塞感があって好きだ。それとは対照的にカップルのナイーブな話の時に、背景のユニットバスかトイレの手前が立体になっているのは寒々しさと生活感が見えていい。
 
 あと、この映画では珍しく動物、犬も主役級の活躍をしているのだが、犬の「くいっ」と首を曲げる反応の良さとかしっぽを大きく降るとか、「てとてとてと」と、爪を鳴らしながらせせこましく、或いは力強く歩く様は3Dととても相性が良かった。

 犬の画像で立体でぼやかす表現はごく一部だけだったので、もしかしたらゴダールも生き生きとした動物を楽しんで撮っていたのかもしれない。

 それと、やっぱり近年のゴダールは自然をとても美しく、まるで、「ありのまま」のように撮るのだ。しかもそれも3D表現で、作中モネの言葉を引用しているが、印象派の絵画のような光を捉え戸惑うかのような画面にもなっている。


 野心的で挑戦的で抜群のセンスの良さ、いつものゴダール! この映画も短いし「3D」でまた見たいと思わせてくれる素晴らしい映画だった。これを撮っているのが84才だなんて信じられないというか、いつ遺作になってもおかしくないのだ。でも、彼の映画が見られるというのは幸福だ。

 その後でスパン・アートギャラリーで、
ザッヘル=マゾッホに捧ぐ「毛皮を着たヴィーナス」
― 倒錯されたエロチシズムの光と影 ―
 
 を見る。宇野亜喜良金子國義小島文美、清水真理、 空山基三浦悦子etc…といった豪華なメンツが並ぶ企画展で、気軽に楽しめる。

 ほんと、昔からこういうのが好きなんだなーと思いつつ多少辟易しながら(こんなのばっか見てきたから)もやっぱり楽しめる。でも思うのはこういった作品らは現実世界で生きる、というかおしごと、勤労意欲がどんどんなくなりますね!!

 そういう意味でやっぱり芸術は金持ちの道楽、貧乏人の現実逃避で十分だと思う(勿論お金の話では「ほぼ」ない)。でも、遊びを大切にしない人生なんて、何が面白いのか、俺にはわからない。

 エネルギーチャージできた感じだ。色んな作品に触れると色々パワーをもらえるし、あと「ぼんやり」できる時間をくれる。いつも余計なことばかり考えていて、映画館で映画を見るとかギャラリーで作品を見るとか、動物園や水族館に行く、神社や教会に行くというのは、俺にとって刺激的でもあるが、リセットする時間をもらえる場所でもある。

 そこにずっといたいわけでもいられるわけでもないけれど、でも、受け入れて手放して失って、また、生活が続けていけるんだなって。そういうのはいいなって思う。