瞳には花々

 冬になって色んな服が着られるのは、ちょっとした楽しみだ。何ヶ月も眠っていた服が陽の目を見ることになって、着こなしにちょっと迷ったりも

 特に俺、カーディガンの着こなしがいまいちピンとこないというか、カーディガンのコーデがあまり思いつかないというか、単純に、自分がタイトな着こなしが大好きだから、ああいうほっこりもっこりゆったりなシルエットがなんだかわからないというか
 もちろん着こなしている人はオシャレだなと思うが、自分が着てみるとなんだか居心地がちょい悪いというか、なんだかマジメ君になった気がする(単純だな

 そういえば少し前にエスニックコーデの本をたまたま読んだのだが、ずっとストリート系やモード系のファッション(雑誌)を好んで買っていたので、何がおしゃれなのか、というのが全く分からない、というのが我ながらちょっと面白かった。

 エスニックコーデというか、派手な柄の刺繍みたいなのは好きだけど、全身染めたルーズなシルエットの服とかでコーデすると、いうのは、俺にとってはコスプレに見えてしまう。まあ、これには単純に俺がそのファッションに関する知識やら興味やらが薄いためだと思うが。

 だって、俺が好きなモード系とか小汚いグランジルックとか、ファッションに興味ない人からみたら「目立ちたい人」とか、そんな風に見られてるのかなとも思うし

 で、ものづくり、とまでは言えないのだが、セリアでブローチの台座を買って、アクリルのダイアと教会ショップで買ったメダイを組み合わせてブローチを作ってみた。正直完成度については推して知るべし、という程度なのだが、楽しい!

 楽しい! もっとたくさん色々作りたい!! 作ってちゃんとガチャガチャ身につけたい。

 マルグリット・ユルスナールの自伝的な三部作のうち二巻まで、『世界の迷路、追悼のしおり』『北の古文書』を読む。

 女性作家の中で、俺はこの人とアンナ・カヴァンが飛び抜けて好きで、才能と誠実さと厳しさと明晰さに溢れている人だと思う。

 正直、俺は歴史物というか、何年に誰がどうしたとか誰と誰が身内で死んだとか殺された、とかいうのには全く興味がない、のにも関わらず、俺は彼女の小説が好きだ。

 そして、三巻を読む前に、彼女の全集の6巻、彼女の語りが収められた『目を見開いて』を再読する。

 彼女がいかに他者と作品と適切な距離をおいて制作に真摯に向き合っていたかが、胸に来る。

そして、また、同じ場所で俺は立ち止まる





 ―厳密にあなたに従おうとすれば、聖人になることを人々に求めることになりますよね。

 フランス文学のもっとも美しい言葉のひとつを、あなたへの答えにします。いいですか、それはレオン・ブロワのなかに見出される言葉です―「不幸はひとつしかない、それは聖人ではないということだ」。この言葉には恐怖を覚えます。しかしそれは間違っています。十四世紀フランドルの三人の小学生の話をお話ししましょう。きっとお聞きになったことがあるでしょうが。三人は「感嘆すべきルイズブルック」の所へ行ってこう言ったのです―「ぼくたち、聖人になりたいんだけど、何からどう取りかかったらいいか分からないんです」。あまり弁舌さわやかとは言えなかったルイズブルックは、おそらく頭を掻きながら考えて、こう答えます―「君達は、聖人でありたいと願うだけ、それだけで聖人あのですよ」。現にあるがままの私達よりもっと聡明で美しい人間になることは、ある程度まで私達自身にかかっていますが、それと同じように、現にある私達よりさらに聖なるもの、言いかえれば、よりよきものになるのも私達自身にかかっているのです。

 ―「そしてあなたはそういう形の聖性に到達しましたか?」

 そうできたらと願っています。というのも、自己を改善することが人生の主要な目的だと信じるからです。しかし私の注意力は弱まり、意志が揺らぎ、無気力あるいは誰もが免れない愚かさが優位を占めます。私はつねにあるべき私だとは言えないのです。最善を尽くします。しかししばしば、自分の最善以上にさらによくできることがあるのです。

 この箇所で想起するのは、マジック・ザ・ギャザリングというカードゲームにおける、フレーヴァーテキスト、『高潔のあかし』という、一時的に敵を迎撃する際に強力な力を与えるカードによる、ホメロスイーリアスの中の言葉

やがてわたしも、死の前にひざまずくときがくるだろう。
だがそれまでは、勝利の栄光を味わわせておくれ。



 なんと美しい言葉だろうか。冷たさも情熱も愛情も、とても人生を豊かにしてくれる。そして、俺はまがい物が好きで、まがい物の宝石やゴミのような値段で購入したブランド物の奇抜な洋服や、そして何より、魂を震わすような先人たちの言葉に出会うことができる。

 尊敬する、マザー・テレサジャン・ジュネのことを、時折考える。

俺が人生を豊かにできるならば、誠実に生きられるとしたらきっと、「愛しなさい、忘れなさい」ということだ。そういう風に生きられたならば。

 体中を流れる血液が散り行く花々ような心持ちになれるだろう。愚かしいことをしなさい。豊かな先人について思いを巡らせなさい。

 そう思えるならば、俺もまあ、楽しい日々を瞬間であっても、おくれているのかなあ、とか。