最近のこと

仕事を辞めた
人の出入りが非常に多い、ブラック企業、ということを最後のほうで知った。でも、働いている人の多くは良い人だったし、とにかく俺は自分の弱さや神経質さにへこんだり、もう、どうでもいいやって気分にもなった。

 買い物ばかりしている、というか、気が付くと服屋に行っている。幸いあまり高いものは買っていないのだが、出入りがあるってことはやはり、財布に響くし、こんな譲許だし。でも、買わずにはいられない。百円や二百円の小さなフィギュアやビーズでもいいのだ。何か、きらきらした物を手にしたいのだ。

 結構精神的にきた。こんなことの繰り返しで、でも、金を稼がねばならない。貧乏暇無しで、その内に瞳まで霞んでしまう。

 とはいえ、日記に書く体力は無いにせよ、それなりに本も映画も美術も音楽も、消費はできていて、パワーを貰ったり、素直に感動したり、暇つぶしをさせてもらったりしていた。

 やっぱり、こういうのがなきゃな、と思う。

 でも、例えばキラキラした服なり本なりを手にできたとしても、それは明日からの不安を消すような代物ではないのだ。でも、求めずにはいられない。

 先日、結構いい感じの仲の人と飲んで、その中で俺とは正反対の生活をしている人がこれからの自分の人生設計とか、アラサーだし結婚しなきゃなあ、みたいな話を始めた時、何だか、寂しくなってしまった。ちゃんと会社に所属している人の方が、そういう同調圧力みたいなのとか、いわゆる正規のレール、みたいに対する意識が高いと思う。けれど、好きな人がいて、お互いがそう思うならそうすればいい、みたいなゆるい、というかロマンチックというか打算な俺は、「周囲が、親が」とか理由で結婚って、と、思ってしまった。

 でも、そういう明るく前向きな人が、きちんと社会を回してるし、俺みたいに感情の起伏の激しい人を癒やしてくれるというか、極端な考えを修正する機会をくれるのだ。

 でも、その人に、俺は中々仲の良い友人というか、たまにメールしてもシカトされ自然解消が多い、と言ったら、その明るい人は「それは相手が悪いからでしょ?」と言っていたのだが、その明るい人から「メール送るね」と言ってくれたのに、こない笑
 

 今日、面接をした時に、正直に純文学を書こうと思っていて自分の時間も大切にしたい、と言うと相手の感触が良くて、その人事の老年の方と昔の日本映画について十分以上語ってしまった。八千草薫とかひさしぶりに聞いた笑 今の映画が悪い、とかではなく、俺は昔の映画が本当に好きなんだ。

 その気持を相手も持っていて、それを共有できる時間って、なんていいことだろう。
俺は事務で応募したが、事務って募集に対して応募がとても多いので(ここでもそう言っていた)「君はマジメだしウェイターの仕事はどうだい?」と言われ、しょっとだけ嬉しかったが、ウェイターは苦手だし(髪を切らなきゃだし)そんなことを言われるのって、また落ちたのかーとちょっとブルーだったけど、

 でも、ちゃんと、人間扱いされて、普通に会話ができるというのは心をほぐしてくれる

 数カ月ぶりに、制作を開始した。いつもそのことが念頭にあるから、少し、気が楽になった。

 空元気とかでどうにもならない時のほうが多いけれど、でも、日々消え去るヒカリを集めて、何かを作っていけたなら、そのためにも、もう少し生活も続けたいなと思うし、色んな人に、作品に、触れていけたなら