忘却の処方箋よりも

 体調が悪いということばかり書き連ねていた。実際にそれはじじつだし、新しい仕事はかなり大変で、平日は帰宅して飯を食べたらいつの間にか数時間寝ていて、げんなりしながらシャワーを浴びたり浴びなかったり。その繰り返し。良いことなんてほとんどない。ストレスだけの日々。

 それが多少は緩和された。緩和されたというか、少しは前を向いていかなきゃなって思えるようになってきた。相変わらず返済もあるし仕事やら体調やらメンタルやら、問題は山積みだ。でも、自分で変えて行かないとこのまま腐っていくだけなんだ。状況が酷くって、抜け出せない沼の中でもがいているとしても、やり続けなければ後悔するって、楽しくないって思えるようになってきた。

 三十代も後半戦。まっとうな人生、というのがあるとして、少なくとも俺はそういう人間にはなれなかった。歳をとり、どんどん状況は悪くなってきている。

 でも、未だ好きな物がある。

 その感情だけで、どうにかやっていけるような気がすることもある。

 今日、久しぶりに小説の設定が頭に浮かんだ。書きたいものがある。それだけで大分気持ちが楽になった。クソみたいな生活で労働とストレスだけの日々で頭がおかしくなる。自責と不安に依存するよりも何かを作りだすことを考えるべきだ。分ってはいても、それは沼に居る時には困難だ。

 でも這い上がらなければいけない。腐ったままおしまいなんてごめんだ。その為にはやはり人に会うこと。人に会えないなら誰かの作品に触れること。誰かの作り出すもの、感情にふれると俺の感受性も動き出すことがある。

 もっと、自由でいいんだ。自由が分からない、好きなことが分からない出来ないのなら、それでもいいんだ。それが現実だとしても、悪いことに拘泥するのは簡単なことだ。そのループに何度陥っても、這い上がらなければ、立ち上がらなければ、何度でも。

 雑記。

吉田喜重監督『血は乾いている』見る。理不尽な会社の首切りに抗議し、拳銃自殺を図る主人公。一命を取り留めた彼は時の人になり、保険会社に勤める女性は主人公をコマーシャル・タレントに仕立て上げる。最初は弱気な主人公が、どんどん膨らむ虚像に身を同一化していく。シンプルな筋だが確かな見応え

 吉田喜重アラン・レネにも通じるような白黒のフォトジェニックな構図はとても好きだが、俳優の言葉が人間のことばというよりも、いかにも映画の中でしか生きられない言葉だ、或いは監督やらの代弁者だなあとげんなりすることがしばしば。
 
 それでも映画、構図が美しいから見てしまう(個人的にはヴェンダースも見ていてイライラするが映画として素晴らしいのだから見ているくせに文句を言いたくなる。質の悪い客)。とはいえ、今回は善良な一般市民というか単なる小心者だった主人公が、マスコミの手により作り上げられた虚像の面が強くなり、支配され変貌するという内容であって、台詞回しの大袈裟さもあまり気にならなかった。

東京都写真美術館『イメージ・メイキングを分解する』を見る。プログラミングにより描かれた線、点の連なりが抽象画のような作品へと変わる。モニターがあり映像として生成の様子も見られた。シュールレアリスムが見た夢、手法を現代で再現しているかのようで興味深い

 正直、あまり好みではないかもと思いながら入館した。全く好みではない人のもあったが、抽象画のような作品はとても好みだった。ゲームのバグった画面を絵画にしたかのような作品もそうだし、モニターの映像で生成される浮遊する墨絵の海月のような線は一定の秩序があり美しかった。

ジェーン・バーキン主演『ヴェルヴェットの森』見る。放校になった貴族のジェーンが住むことになったのは、親戚や癖のある人々が暮らすお城。そこでおこる殺人事件!ミステリーとホラー! とは言え、話は結構ツッコミ所があるというか雑な感じ。映像美術衣装は良いので、ゴシック風味を味わうには良い

キェシロフスキ監督『愛に関する短いフィルム』また見る。孤児院育ちの19才の青年。向かいのアパートの女性を望遠鏡で覗き見をしている。彼は愛の告白をするが、恋愛は未経験。奔放だが傷のあるらしき女性は反発と試し行為でそれに応えるが。反転する関係も見事。暗闇の中で赤やミルクの白が美しい

見る、見られる。被害者、加害者という関係性も含んでいるけれど、ラストに女性が夢想する姿の痛ましくも美しい様、二人の主人公がどちらも愛について純粋な気持ち、おそらく慈愛を求め与えることが強く表現されているように思えた。すれ違い、二人は目覚めた後も結ばれないとしても、愛はきっとあった

 キェシロフスキ監督の映画は痛ましい。それだけ彼が誠実なのだと思う。見ていてとてもつらいのだ。だが、多分彼は人間の愛情を信じている。悲痛な結末を迎える作品も、不穏なまま終わる作品もあるが、情愛や優しさ(を求める人)が描かれているように思う。

キェシロフスキの『傷跡』また見る。正直また見てるくせに面白いとは思えないけれど、彼の映画が好きだ。性格良さそう。ハネケは厳しそうきつそう。ファスビンダーは性格悪そう。ユスターシュは死なないで欲しかった。

ルネ・ラリックの香水瓶の本を読んでいて、印刷された物であってもすごく素敵なのだが、美術館で現物をみたらマジで素敵で欲しかった。繊細なデザインなのに、重量感やガラスの少しくぐもった質感がたまらない。

エインズレイとハマースレイの食器見てた。欲しい。花柄の食器の中でも、しっかりと描いているけれど控え目(ピンクやら金やら派手なのは過剰だと思う。白地が好きだ)なのが好きだ。昨日久しぶりにアールグレイ買ったが開けてない。夏は毎日麦茶だけで3-4リットル飲むのだが、飲み過ぎだろうか?

竹内栖鳳見に山種美術館行かなきゃ。動物のふわふわの毛皮みたいな。後は三菱一号館美術館のヴァロットン。前に見たけど、あそこは建物もすごく良いし。官能的な黒をみたい。ギャラリーで森山大道のプリント見たら現物は印刷されたのよりずっと、油絵のようにてらてら光る黒で魅了されたの思い出した。

聖書すらまともに読んだことがないくせに、エノク書の人間から天使になったというメタトロンのエピソードが好きすぎる。メガテン2のメシアプロジェクトのエピソードもちょうすき。人造というか、人ならざるものを無理矢理作ってる背徳感といかれた感じが好きだ。屍の上に立つ勇士の幻覚を見るのだ

皮膚に傷をつけることでしか得られない栄養がある。それを効果的に摂取するにはタトゥーを入れるか入れられるか。そういった創作物を摂取するのが良い

 つぶやく気力すらなくなっているし、誰かの作品を受け止めるには体力がいる。でも逃げ続けていては駄目なんだ。

 自分の作品についての構想が生まれ、少し前向きになれた。状況が悪くったってそんなことに目を向けていられない。俺は俺の時間を有意義に使うべきだ。

 好きな物があるって忘れないように思い出せるように。