桜の花が散るとも

 小説を書き終えて、見直し、推敲していて、でもこの時間が結構嫌いだ。誤字脱字の多さとかもあるが、単に、これを本当に書き終えてしまったら、自分はどうなってしまうのだろう、という寄る辺なさだ。今までだってそうだった、作品を書き上げた後は、放心状態というか、もう、自分には何も無いような気がしてくる。何もしたくないような、でも、しなければいけない。働かねば生きられないし、美しい物を見なければ、何も感じることができなくなる。

 また、眠りと暴食が酷くなり、こんなものの為に余生を送るのか、と思い直すと、少しは気がましになる。自分の人生をマシにするのは、自分だけだって、わかってはいるんだけど、ね。

 太宰治の『津軽』を読む。この作品は太宰の中で一番好きな作品で、十代、二十代の時読み、三十代の今、また再読している。太宰の中ではとても明るく爽やかな、旅行記だ。その始まり方もうまい。



「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」
正岡子規36、(以下略)」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、その年だ作家にとって、これくらいの年齢の時が、一番大事で」
「そうして、苦しい時なの?」
「何を言ってやがる。ふざけちゃいけない。お前にだって、少しは、わかっているはずだがね。これ以上は言わん。言うとキザになる。おい、俺は旅に出るよ」


 と、故郷の青森、津軽へと旅に出る。太宰のユーモラスで自虐混じりの滑稽な話と、旅先で出会う人々との、人情話、滑稽話。太宰の、津軽の人々の、馬鹿真面目でちょっと滑稽な交流は読んでいてすがすがしい物だった。

 そして、この物語の白眉が、太宰が3歳から9歳まで育ててくれた女中、たけ、に会いたいという思いだ。ずっと世話をしてくれていた母のような存在が、ある日突然いなくなる。想像するだけでその痛みや、たけなりの事情もあるだろうと、痛ましい気持ちになる。

 そして、すったもんだの上、太宰は子供の運動会に行っている、たけに会うことができた。そして、たけと太宰の、言葉少ない会話。それで満足していた太宰ではあるが、たけに桜でも見ようと誘われて、二人歩くと、突然たけがせきをきったように話し出す。

 その秘めた思いを長々と語り出すシーン、特に街を歩く度年頃の男の子が遊んでいるのを見ると、お前ではないかと一人一人見て、歩いたものだ。よく来たなあ」と一語、一語、言うたびごとに、手にしている桜の小枝の花を夢中で、むしり取っては捨て、むしり取っては捨てている。

 という場面で、思いがけなく泣いてしまった。不器用でどうしようもない親愛の情。そして、俺はそれをわすれてはいなかったのか、と。

 自分の中ががらんどうのような気がしてきて、過去の好きな作品だけが俺に力を与えてくれる、と思うことがしばしばある。でも、俺も、もう少しどうにかできるかなあと思わせてくれるのが、過去の傷つき微笑む人々なのだ。