つまらない話

 ツタヤの借り放題プランが終わりそうなので、色々映画を見続けていた。普段見ないような映画をとにかく借りて垂れ流していた。だけど、胸を打たれるのは、所謂昔の巨匠とか鬼才とか言われるような監督のばかり。俺の感性がもう、昔のばかりしか受け付けないものだったら仕方ない

 ただ、映画に関しては今生きている監督でもすごいなあと感じる人にちらほら出会える気がする。自分が消化できる本数も感性を共有できるものもたかがしれている。文句や不満は出たとしても、作る人が一番すごいしかっこいいと俺は思う。それは、その人がリスクを背負って、何かしら作り出そうとしているからかもしれない。(単純にすごいと思えたなら、作りて、なんてこだわらなくて何でもいいのだけれど)

 bis のファンではないのだけれど、今更bisの解散コンサートドキュメンタリー映画を見た。

 『bisキャノンボール2014』

 詳しく確認しないで借りたのだが、内容が結構すごかった。解散ライブをするメンバーにそれぞれAV監督が一人つき、ハメ撮りを撮るのが目標、という企画で、メンバーにはそれは内緒にされてあくまで密着ドキュメンタリーという体をとっている。

 実際にはキス、ハグ、番号交換等で監督にポイントが入るというもので、勿論もっとエグイことをすればポイントが入る。そのポイントをとって勝者を決めるのだ。一応ハメ撮りをすれば100点が入り、勝てることになっている。だから監督たちもそういう方面に持って行こうとする。

 初めはビスって過激なこと色々してるし、こういうのもやっていたんだなあという感じで見ていたが、途中からげんなりした気分になってきた。

 まず、俺はフェミニストを公言するような人が苦手だ。女の子を食い物にして! みたいな視点で彼女たちを見ているのでは、ない。

 映画を見進めるとその違和感が大きくなって、メンバーが露骨に彼らの「セクハラ的な」行為に拒否反応を示したりするのもそうだが、何より「解散ライブ」に真剣に向き合い、それを全うしようとしているアイドルがそれを「密着ドキュメンタリーだ」と騙されていたのに怒っているシーンで気づいた。

 AV監督達はなんてカッコ悪いんだろうって。アイドルは自分の最後のライブに向けて真剣に取り組みたいのに、オッサンのセクハラおもちゃになっているという事実がげんなりした。

 なんでこのセクハラにげんなりしたかというと、これが抵抗しにくい相手への集団セクハラだということ。小中学生がグループを組んで、じゃんけんで負けた奴が学校の先生の自慰や下着について質問するようなもんを見せられたのだ。

 でも、こういうのを「悪ふざけ」だとして楽しめてるのがげんなりする。たしかにやってる側は楽しいのかもしれない。でも、アイドルのラストライブにそういう真似をするなら、AV監督側にもリスクをしょってほしかった。じゃないとマジで単に 会社の男達でグループを組んで、

秘密で仲間内で新入社員の女の子にセクハラ発言とかして、そいつとヤレたらみんなから一万貰う!

 みたいなんだもん。それなのに、男達(AV監督)がそれなりに自分たちのしたことで満足したりしてる。マジ気持ち悪いなって思った。もし、監督たちも本気なら、もしくは企画した人が「ガチ」でやるなら、そちら側にも罰ゲームがまってればまだマシだったのになと思った。

 例えば、ポイントが下の人は罰金100万とか。リスクをしょってほしかった。なんでもいいけれど、監督たちの方が圧倒的に立場が強い(女の子たちは嫌でも、今後のこともあるし「軽くあしらわなわなれば」ならない)のに、いじり、いじめ、セクハラオヤジの集団ホモソーシャルオナニーショーに付き合わされるアイドルと観客はげんなりだ。

 もっとも、見る側もそういうオッサンの、自分にはセンチメンタルで他人には共感しない気質があれば楽しめるのかなと思う。

 ちなみにこの作品には前の元となった、素人相手のAVの企画があったそうだが、(そっちをもはや絶対見ないのだけれど)、アイドルの方のこの企画の方がより人目を惹くけれど(おそらく)げんなり度は高かった。

 繰り返すけれど、アイドルの最後のライブだ。それはアイドルを経験した人しか分からない色々な思いがあるのだと思う。それをオッサンのホモソーシャルいじめセンチメンタルショーに使うのは、人目をひくものであっても、やっぱりださいなあと思うのだ。

 だって、圧倒的に傷つくのは、嫌な思いをするのはアイドルで、結果映画でも不完全燃焼な感じでおっさんらのホモソーシャルセンチメンタルオナニーショーが繰り広げられる。

 こういう自分の事、自分たちのことにはセンチメンタルオナニーショーになるのって本当にげんなりする。でも、こういう安全圏からの「いじめ娯楽」って商売になるんだなあと感じた。

 これがいじめにならないには、アイドル側に利益があるか、AV監督か企画者側に(順位が低かったりしたら)罰があるとまだ成立するように思う。

 バラエティ番組ってそれなりに好きなつもりだが、その中のこびへつらい、ごますり、いじめ みたいなのが露骨に感じられるとげんなりする。立場的に弱い者への攻撃を楽む、サラリーマン芸人を楽しむのって嫌だな

 つーか、単純につまらない と思う。

 弱い者いじめよくない! はそうだと思う。

 でも、バラエティ番組の、そういうAVドキュメンタリーの肝であるエンタメ的につまんない。だってスリルがないんだもん。おばあちゃんの財布スるよりも、格闘家に喧嘩うった方がまだ「楽しい」

 作品が良ければ、俺は作者がどうだろうと気にしない方だ(程度にもよるけれど)ただ、作者が一人でそれを完結できないもの、大勢の人間がかかわるものについては、相手への敬意を欠いたものはげんなりするのが多い。

 それは最低限のマナーを守れない、相手の権利を侵害するということも含まれるが、単純に言って自分の痛みや欲望には敏感でも、他人の弱みにつけ込んだり傷つけたりするのは平気というのはカッコ悪いなあと思うのだ。

 でも、そういうことを言ってるのって「中学生」みたいなんだとも思う。

 同じ中学生の感性、稚気でも外に(社会)向かっていく方と、嫌になって内へこもる方に分けられるだろう。俺は勿論後者で、そういう生活ばかりしていると、エネルギー、金も気力もなくなっていって、よくない。だって世界は自分に都合のわるいことだらけだから。

 俺はゾンビのような引きこもり生活を繰り返していて、たまにそれではダメだと思って色々な意欲が湧いてきて、なんとかそういう力で生きている。

 こういうのを目にするとすごくげんなりするのだが、このだらだらした書き捨ての雑文であっても、これは気持ち悪い、と口にするのは自分の健康には良い。これを楽しむ、楽しいと思う人がいるのだって自由だ。でも俺はこれが げんなりするのだと言いたい。

 内にこもると、自分の発言を(特にこういうどうでもよい感想)するのが意味のないことだと思うようになって、何も話さなくなる。

 でも、話した方がマシだ。それがほんと下らない、他人の物をこきおろすようなゲスなものであっても。

 次に書くのは、もっと人を褒めるようなのにしよう。そうしよう。