開いて閉じて、咲かせて

ゴダールの新作『イメージの本』を見る。俺はもしかしたら、ゴダールの監督した映画を、本数という意味では一番見ている。というか、ゴダールがあまりにも多くの映画を撮っているということだ。そして、その多くが俺にとっても衝撃的であったり素晴らしかったりするのだ。

 でも、だからと言って俺はゴダールの全ての映画が好きなわけでも「分かっている」わけでもない。というか、他人の作り上げた作品が「分かる」だなんて、なんだかぞっとする。せいぜい、一部分しか理解できないのだろう、と思いながら俺は誰かの作品を求めずにはいられない。

 この映画は俺が嫌な映画についての映画、戦争についての映画、主張がある映画、なのにさ、全部見られちゃうんだ。素晴らしいんだ。コラージュだって、本当は好みではないんだ。なのにさ、ゴダールって抜群にセンスがいいから、音楽も構図も飽きさせないんだよね。プログレの途中で箴言が浮かび上がり、それが文章に、本になるかのような豊穣さがあるんだ。

 コクトーの『美女と野獣』が引用されている部分で、ゴダールの映画には美女も野獣も住んでいるんだ、素敵だなと思った。

 マジで、一番センスがある監督の一人(便利な言葉だ)なのに、見た本数だけで言うと、3,40作品以上見ているはずなのにさ、今だに彼は俺のことなんか、俺の好きなあれやこれやなんて眼中になくって(当たり前だ)でも、そんな人がいるということが、88歳でも情熱を持ち続けられる人に敬意を抱けると言うことが、とても幸福なんだ。

 ぼやけた頭で、なんとなく外に出たくて、新宿高島屋オードリー・ヘップバーンの写真展に行く。彼女の映画は有名なのは大体見たし、本だって持っている、どこにあるかは分からなけど! それに日本人はオードリー大好きで、頻繁に彼女の顔に出会うから、そんなに乗り気ではなかったんだ。

 でも、カメラの前の彼女はとても素敵で、ジバンシイの洋服、ドレスはとても上品で、お洒落をした女優としてのオードリーも勿論素敵だが、オフショットが多いのが嬉しかった。彼女は自分を美形とは思わなかったそうだが、造形以外という意味でも、とってもチャーミングだ。その表層であったとしても、感じられるのが嬉しい。可愛らしい人を見て、可愛いなと感じられる幸福。

 スタアの写真は幾らでも手に入るし、買ったらきりがないから、と思っていたのだが、一枚だけ買ってしまった。スイスの自宅で撮ったらしき一枚。本当の写真はもっと鮮明だが、雰囲気だけでも。

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 素敵な人が花束を持つなんて、素敵に決まっているんだ。とても好きだ。モノクロの写真なのがとても良い。

 会場から出て、デパートから出て、この後の行く先が無くなって夢から覚めて、新宿の街、ビラ配り、ホームレス、アスファルトの上に点々とゴミ。寄る辺ない不安と高揚。いつもそうだ。落ち着きたいのにな、安心したいのにな。

 そう思いながら、電車の中でユリイカ森茉莉特集号を読む。家の中の森茉莉の本、また繰り返し読んでいるんだ。そうしたら、ぼんやりした頭でも、きらきらしたイメージを集めることができる気になるんだ。

 その中で、『贅沢貧乏』からの引用文があり、はっとさせられた。その一文が「金を使ってやる贅沢には空想と想像の歓びがない」

 俺は、ジバンシイの洋服が好きだが一着も持っていない。ジバンシイのメンズは、よく星のモチーフが使用されているし、モノトーンのが多くて素敵なんだ。でも、値段が数十万。買えるわけがない。オードリーや、労働や自分が好きな人の為の服。俺には縁がない、なんて、ふと、感じてしまっていた我が身を律するような一文だった。

 ずっと、手に入らないもののことを思い続けて焦がれ続けていて、ただ、そんなのばかりだと身体が駄目になってしまうんだ。俺さ、健康大好きなんだよね。

 ただ、空想の妄想の為に、元気でいた方がいい、前向きでいた方がいい。元気なふり、大丈夫だって、誰かに自分に言ってあげる方が良い。

 何か、素敵な物を買いたくなって、でも持ち合わせが寂しいというか仕事探せよ莫迦、といった状況で、でも買えるのが本、古本。

 ブックオフでセールをしていて、家に読んでない本読み返したい本がたまっているのに、また買ってしまった。数えたら9冊もあった……まあ、エッセイとか軽く読める系の本が多いが……

 夢を見る為に、誰かに会ったり、哀れみに溺れないようにしっかりしなくっちゃ。映画の物語の中だけじゃなくて、天使とか神様とか悪魔とか、ありもしないこと存在しないものについて考えなくっちゃ、感じなくっちゃ。

 少しの花々と、チョコレートと共に、さあ、ページをめくって。