柩を飾ろう

 最近は週六で働いている。短期の仕事ももうすぐ終わりだから、新しい仕事も探している。体力やメンタル面で不調を感じる。寝られない、夜中や早朝に起きてしまう。疲れがとれない。怒りやすくなったり突然わいた不安で頭が支配されたり。

 少しお薬を減らすように挑戦している。薬を飲んでいると感情面、精神的には安定するがやる気が失せてしまう。仕事中というか、仕事は当たり前だが値段分はきちんとこなす。でもそれでせいいっぱいで楽しいことをしようとか自分の好きなことをしようとする気が失せた。

 こんなからっぽのままで生きられるのだろうか。

 というか、楽しくないからやめた方がいい。借金返済最低限の収入を得て生活安定、不安を削る。それが一番だと思うがそれのことで頭が支配されている。

 前から漫画アプリで漫画を読んでいることはあったが、或る時スイッチが入ってひたすら読みまくっていた。漫画は大好きだったはずなのに、新しい物を読むことがなくなっていた。好きな漫画家の作品や軽く読めるものだけをただ読むだけ。

 でも、知らない人のもとにかく片っ端から読み続けた。

 あ、俺漫画好きだ、漫画面白い! と思える位に回復していたことに気付いた。借金将来生活の不安から、漫画を面白いと思える心さえ失っていたことに自分で気づいて本当に恐ろしいなと思った。

 一日で数万負けが当たり前。そんなギャンブル漬けの生活をを十ヶ月近く続けていた。それ以前、俺はほぼギャンブルをしなかった。数千円かけることすらもったいないと思っていた。

 でも、俺は弱かった。弱っていた。少しのお金で生活を安定して、画や小説をかいて生活をしたかったのに、その結果は借金の為にメンタルの薬を飲みながら不安と戦い働く日々。

 たまに、もう駄目だとか逃げ出したい、死にたい「ギャンブル」で一発逆転を狙いたい。そういう思いがよぎる。きっともうこういう思考は一生消えないんだなと思う。

 でも、誰かの豊かな作品に触れている時にはそういう不安や依存や衝動がやわらぐ。ギャンブルで生活が壊れ苦しんでいるが、俺は否定しない。自分の人生をこれから楽しまなくっちゃ。それに、俺にはギャンブルよりも病気よりも大切な物があったんだ。

 久しぶりにレイハラカミをずっと聞いていて、この人が死んだなんて信じられないけれど、彼の音楽はずっと残る。ありがたい。好きな物を好きだと言える感じられる喜び。

 ハービー ハンコックを数年ぶり? に聞いてああ、気持ちいいなあって思った。楽しまないと自分の生活を。ビル エヴァンス。セロニアス モンク。デューク エリントン。ジャズ、特にピアニストが好きだった。俺がそれを忘れていても音楽を聞けば素晴らしさや感動は瞬時に蘇る。

 カンディンスキーの本を読んでいて、抽象画好きだなあって気持ちを思い出す。大学に入ってミニマルアートや抽象表現主義を知った。あの頃の俺は自分が画を描きたいなんて思えなかった。下手だから向いていないと思って諦めていた。

 三十過ぎてようやく画を練習すること、描くことを再開したが、負債と仕事探してそれどころではなくなった。

 でも、何も作れない生活はむなしい。俺は小説を書く以外はほぼ何も能力がないし、他の人が持ち合わせてたり努力して手に入れた物を持っていない。 

 精神的に追い詰められて、書くことを失ってお金の為に労働に耐える日々。もしかしたら、色んな人にとっては当たり前の日々。

 そんな日々の中で楽しみもなくしてしまったなら。何も楽しいと思えなくなったなら。

 今も体調もメンタルもよろしくない。いつ駄目になるのか分からない。でも、俺は誰かの作品が、自分が作品を作ることが好きだって思い出せてきた。

 こんな単純なことを、俺はすぐに忘れる。

 俺の好きな物は、ほぼお金にならなかった。支払いだけに心を削られる日々。

 でも、俺も生活を立て直してものづくりを再開したい。何かするにはやはりお金がかかる。そして新しいことをしなければ俺は駄目になっていくだけだ。

 借金抱えて金を限界まで借りて勝負して終わったら死ぬってもありだと思うしそういう考えがちらつく。でも俺はそういうヒリヒリした躁の世界よりも制作の方が楽しかったはずなんだ。自分の作品と誰かの作品が大好きで楽しくって仕方なかったはずなんだ。

 この先はずっと不安だ。俺の未来が明るいなんて全く思えない。どんどん精神的肉体的金銭的に悪くなっていく。しかたがない。俺はボロボロになって駄目になるだろう。でもそれは今じゃない。

 灰になる前に、楽しいことが増えたらな。それをできるのは自分自身しかない。その楽しみが不安やギャンブルや人への依存ではなく、何かを作ることでうめられたら。

 俺を埋葬するとして、棺桶に飾るのは自分の、誰かの作品や言葉がいいな。