花の死骸を飾る人生

小説を書いて応募をした。何度この作業をしただろう。自分ではかなりいいものがかけた、と思っているが、一度も当選したことはない。というか、昔の作家ばかり読んでいて(今の作家だって読んでいるし好きな人もいるけど)肝心の文芸誌というのを買って読んだことがない。

 自分にできることというか、積み重ねてきたものは、多分小説を書くこと。でもそれは金にならないしほぼ誰にも読まれずに終わるのだ。

 それでもいいと思っていた。二十代、三十代半ばくらいまでは。でも三十代も後半に入り、借金ができて人並みに週五で働き始めてから、ガタついてきた。本や映画を見る時間は激減した。昔はそんなに好きな物ではなくても最後までみたり、とりあえず暇だから、色々手に取ったのにな。

 それに確実に体力が落ちている。

 今、新しい仕事探しに加えて病院通いが大きなストレスになっている。
 少し前に甲状腺の腫瘍の処置をしたのに、今度は扁桃腺? 二度、別ののどはな医者に診てもらったが、かなり嫌な対応をされたり、薬を貰って服用しているのに良くならない。

 メンタルの持病もあり、治らない腫瘍というのは物凄いストレスになり、仕事も手につかない、でも働かねば。支払いは待ってくれない。

 もうだめなのかなって思うことが増えた。

 美術館にはそれなりに行っていて、小説もなんだかんだで一年に一、二作は書いていて、個人的には満足している(でも、文芸誌に応募するのは未発表の作品に限るそうで、noteにはかなり古いのしか載せていない。まあ、ほぼ読まれないのだけれども)

 美術に触れること、作ることはまだ、やりたいと思えるけれど、身体とメンタルが限界だ。せめて借金がなければな。一、二ヵ月休んで、それから仕事とか再開したいけど、無理な話だ。

 仕事をする時、明るいふりをするのが本当に苦痛だ。社会人だから当たり前のことなんだけれど。それなりに、みんなこなしていることだけれど。それが本当に本当に苦痛で仕方がない。

 自由にわがままに気楽に傲慢に放埓にきままになれるのは、小説を書いている時(の中の一部の瞬間、とある文章)くらいなのかな。

 芸術至上主義とか、芸術こそわが命なんてことをいいたいのではない。ただ、頼れるものが他に何も無いんだ。狭くて汚い部屋に、綺麗だった花の死骸を飾って眺めているのが、唯一の慰めってだけ。

 かなしいはなしむなしいはなし、それが俺の生活人生。

 本当に嫌なのにそれがぴたりと肌に馴染んでいるから嫌じゃないって気がするよ。